埼玉県戸田市戸田公園の戸田競艇場で24日、大型魚(体長153センチ、体重50キロ)が浮いて死んでいるのを職員が見つけた。前日に発見しボートレースに支障がないようコース外に移した際にはすでに弱っている様子だったという。職員らは「重くて引き上げるのに手間取った。見たこともないほど大きく、びっくりした」と話した。 【幻の巨大魚】コイ? シーラカンス? 巨大魚の正体は 引き上げられた魚の画像を鑑定した県農林総合研究センターによると、アオウオとみられる。中国原産の淡水魚で、大きくなると体長2メートルを超えるという。 同所では1960〜70年に大量発生したアオコを除去するため放流した記録があるという。08年9月に体長137センチ、体重37キロのハクレンが見つかっている。 【関連記事】 【幻の巨大魚】アオウオを写真で見る 【幻の巨大魚】生きた化石といわれるシーラカンスの解剖 【写真特集】毎
■編集元:軍事板より 240 名無し三等兵 :2011/01/17(月) 00:13:09 ID:??? よくこんな給油を考えるもんだ 241 名無し三等兵 :2011/01/17(月) 02:29:56 ID:??? >>240 そこまで考えた抜いた末に、ある出撃では給油ブロープが壊れてブラジルに緊急着陸 するハメに・・・・ 余談だが、くだんのバルカンの乗員はマスクからの呼気に含まれてたヘリウムだかで 声が変わってたため、ブラジル側の管制官は 「いきなりドナルドダックが通信に割り込んできたからビックリした」 そうな。 242 名無し三等兵 :2011/01/17(月) 14:41:31 ID:??? >>240 なるほど、給油機に給油しないと、一番先まで届かないのか。 「補給は距離の2乗で困難になる」の好例だな。 243 名無し三等兵 :2011/01/17
宮城県が性犯罪で服役経験のある人物にGPS発信機を携帯義務付けさせようとしている動きと、「非実在青少年」問題は同根であると喝破なさっておいでです。
100年前、天皇暗殺を企てたとして、社会主義者の幸徳秋水ら12人が死刑、12人が無期懲役になった事件があった。世に言う「大逆事件」である。 自白を強要する取り調べ、証人申請は全く認められず、大審院一審のみのスピード裁判。そして判決からわずか6日後の1911年1月24日に、幸徳秋水たち11人(1人は25日)が処刑された。 処刑の日からちょうど100年の今年1月24日、院内集会を開催し、冤罪、表現の自由、民主主義への弾圧などの大逆事件の現在に続く大きな問題点を共有し、「大逆事件百年後の意味」を共に考える集会が参議院議員会館内で開かれる。 開催概要は下記の通り。 日 時 : 1月24日(月)12:00~13:30 場 所 : 参議院議員会館B107会議室 講 演 : 鎌田 慧(ルポルタージュ作家) 大岩川 嫩(「大逆事件の真実をあきらかにする会」世話人) リレートーク :早野 透(桜美林大学教授
古賀氏郷(仮) @KogaUjisato 漫画を見下す風潮に憤る藤本氏の意見は、ごもっともなのだが、だが一方で漫画家や研究者達、出版が漫画の地位向上に今までどれだけ努力してきたか?という事を考えると、ちょっと首を傾げてしまう。(続 RT @honeyhoney13 国内の他分野の研究者のマンガ研究への侮りは度し難い。 古賀氏郷(仮) @KogaUjisato 続)「マンガはなぜ規制されるのか?」等でもそうだが、今まで規制問題が起きても、特に研究者達の存在感がほとんど無い。また出版は自主規制に奔走し、漫画家達は世間へ抗弁するか自粛するか、どっちにせよその場を凌ぐだけで精一杯。誰もが嵐が過ぎ去ると、あっという間に忘れてしまう。(続 古賀氏郷(仮) @KogaUjisato 続)戦後、何度も何度も「漫画は低俗だ」という批判がされたにも関わらず、戦略的に「漫画の社会的地位ををどうやって向上させるか
劣化して波打ったマイクロフィルム=京都市、西山写す 古い文書や画像を記録したマイクロフィルムの劣化が、各地で問題になっている。酢のようなにおいを放ち、ワカメのようにゆがんでしまう「ビネガーシンドローム」。図書館などでは劣化を遅らせる工夫をしたり、新しいフィルムに複写したりするなど対応に追われている。 京都市内の私立大学の図書館。資料室に入ると、鼻を突くような酸っぱいにおいが漂っていた。原因は、貴重な仏典などを撮影したマイクロフィルムだった。10年ほど前、資料を閲覧した利用者の指摘で、異変に気づいた。フィルムが波を打ち、表面に白い粉が付いていた。まるで酢こんぶのような状態で、機器で映し出すこともできなかった。 この図書館では、2千本を超えるフィルムのうち、約半分がビネガーシンドロームになっている可能性があるという。担当者は「将来、大切な文献だと判明するフィルムも含まれているはず」と考え
自分でもよくわかっているわけではないのだがたとえば(これはあくまでも一例でしかない、自分はホームレス問題について深刻な関心を持ってはいない)、ホームレスの公園「占拠」を巡る事件において、事実としてではなく権利としての「占有」の意義が下手をすれば浮上しかねない、といった話が妙に頭の隅に引っかかっている。 そして木庭顕先生は、あろうことか「法の核心は占有にあり」ととんでもないことをおっしゃる。世界のどこにでも普遍的にある広い意味での「法」ではなく、今日の我々の実定法、市民法と司法のシステムとそれを支える学理としての「法」の核心は、もちろん「人権」などではないがさりとて「所有」でもなく、今やほとんど死にかけてその意味も見失われている「占有」である、と。しかしそのことはローマ法、それも「所有」概念とともに爛熟期を迎えた帝政期のではなく、共和政期のそれを見なければわからない、とも先生はおっしゃる。
可寝た @tomoyukix 今回のまとめに対する批判の声も多いようだが、基本的に私には個々の発言者を糾弾する意図はまったくない。なので、個々の発言者に対して人格攻撃をするのはやめていただきたい。差別とは、個別の発言者の人格とは関係なしに――言い換えれば、「社会的」に――行われるものなのだから。 可寝た @tomoyukix 個別の発言者の「意図」はここではあまり関係がない。問題は、その個別の発言が集合的な力を持つことだ。個別の発言(あるいは「言表」)が撚る集められて、ひとつの「社会的な」文脈(これを「言説」という)を形作るとき、その個別の発言は言説実践を行っている。
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