16年まえの1月17日、阪神・淡路大震災が起こった。 その日、朝起きてテレビをつけると、火と煙がたちのぼる長田の姿を伝えるヘリコプターからの映像が流れていた。大変なことが起こったと思ったが、その時点ではまったく、どれだけ大変なことなのかわかっていなかった。 その後、ぺしゃんこになった家屋やバタバタと倒れるビル、高速道路が横倒しになり駅がつぶれる映像がだんだんと映し出されるようになり、死者の数がどんどんと増えていくにつれ、どえらいことが起こったのだとわかってきた。 当時はすでに東京にいて、雑誌の編集に携わっていたのだが、神戸出身の同僚と一緒に神戸の街に入ったのは、震災から2日後の19日の夜だったと思う。陸路の交通機関が寸断されていたことと、同僚の実家が伊丹にあったので、飛行機で伊丹空港へ。同僚の実家で1泊し、翌朝バイクで東神戸朝鮮初中級学校(現在の神戸朝鮮初中級学校)へと向かった。 電車など
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