一般財団法人アイヌ民族博物館は2018年に公益財団法人アイヌ民族文化財団と合併し ホームページは移転しました。 お手数をおかけいたしますが、お気に入りやブックマークに登録されている方は 登録の変更をお願いいたします。 5秒後に自動的に新しいサイトにジャンプします。 自動でジャンプしない場合は、下のURLをクリックしてください。 https://www.ff-ainu.or.jp/
ブログ解説-貂主の国について 「貂主の国」という言葉は、美の象徴として文学や歴史において非常に重要な役割を果た…
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アイヌ語地名リスト 環境生活部アイヌ政策推進室 アイヌ語地名は、アイヌの人たちの伝統的な生活や本道の自然環境を理解する上で貴重な文化財産であり、その普及を図ることは、アイヌ文化の振興や理解の促進を図る上でも極めて有意義なことと考えられます。 道では平成11年度に「アイヌ語地名普及会議」を設置し、検討を経て、各種地名表示や関係刊行物へのアイヌ語併記など具体的な普及方策を推進するための基礎資料として本リストを作成しました。 今回、平成19年1月末までの合併市町村名に訂正し、掲載しています。 (以下PDFファイル) 本リストを利用するために アイヌ語地名リストの読み方 ア~イチ P1-10 イチャ~エリ P11-20 エン~オニシ P21-30 オニシベ~キタ P31-40P キト~コム P4
■それぞれの語りに耳を傾ける 本書は、アイヌの母と日本人の父とのあいだに生まれ、阿寒湖のお土産屋さんで育った四十代前半の著者が、自らのルーツとアイデンティティーについて真摯(しんし)に考えた記録だ。 著者は、親戚をはじめとするアイヌの人々、樺太の少数民族ウイルタの老女など、さまざまなひとから話を聞く。冬の川の様子。サケ漁や狩猟の思い出。夫婦や家族の歴史。語り手たちの人柄が生き生きと伝わってきて、読んでいて何度も笑い、涙した。 かれらの語りや、著者がたどる先祖の足跡から浮かびあがるのは、明治期以降の「同化」政策と戦争がもたらした影だ。アイヌだけでなく樺太に住む少数民族も、日本語を話し、日本式の生活をしなければならなくなった。 しかし同時に、かれらは強制的な「日本化」に静かに激しく抵抗し、民族の言葉や文化風習を決して捨てなかった、という事実も浮かびあがってくる。著者の曽祖父は同胞と会い、ほとば
「アイヌ伝統・文化資料の紹介」について 「アイヌ伝統・文化資料の紹介」は、全国でも有数のアイヌの衣装、工芸品、生活用品などの資料を広く紹介し、多くの皆様にアイヌの伝統・文化の一端に触れていただくことを目的に、平成21年度の国土交通省の事業で作成したものです。 これまでアイヌの伝統・文化に関する資料は多くの博物館、研究施設などに点在し、その情報に触れる機会は限られていました。「アイヌ伝統・文化資料の紹介」では、全国でも有数のアイヌ関係資料を収蔵する博物館・資料館の主要な資料(北海道各地、樺太、千島のアイヌ伝統・文化資料)を、衣食住、信仰などの分類別に参照できるようにしており、学術的意義のある各資料データだけではなく、皆様に理解を深めていただくための分類別の説明をつけています。 是非、「アイヌ伝統・文化資料の紹介」を活用していただいて、アイヌの伝統・文化へのご関心やご理解を深めていただければ幸
The Endangered Languages Archive (ELAR) is a digital repository for preserving multimedia collections of endangered languages from all over the world, making them available for future generations. ELAR’s mission is to: provide a safe long-term repository for language documentation collections train and support depositors in collection creation and preservation make collections accessible free of c
はじめに アイヌ語は北海道・樺太・千島の先住民族であるアイヌの言語で、現在消滅の危機に瀕している。とは言え、アイヌ語を学ぼうとする人は決して少なくない。今日はアイヌ語に関するインターネット上のリソースを紹介しよう。 教材 アイヌ語ラジオ講座:STVラジオのアイヌ語講座。アイヌ語の教科書のPDFとポッドキャストのMP3音声がダウンロードできる。 アイヌ語教材テキスト(アイヌ文化振興・研究推進機構):アイヌ語の教科書が無料でダウンロードできる。千歳方言、美幌方言、幌別方言それぞれについて入門編、初級編、中級編がある。 アイヌ語学習者のためのアイヌ語基本文献・音声資料リスト:アイヌ語の教科書・研究書などのリスト ほっかいどうアイヌ語アーカイブ:アイヌ語の入門がある。 辞書 A talking dictionary of Ainu:1898年発行の『アイヌ語會話字典』をもとにアイヌ語母語話者の音声
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知里 幸恵(幸惠)(ちり ゆきえ、1903年(明治36年)6月8日 - 1922年(大正11年)9月18日)は、北海道幌別郡登別村(現・登別市登別本町)出身のアイヌ女性[1]。19年という短い生涯ではあったが、その著書『アイヌ神謡集』の出版が、絶滅の危機に追い込まれていたアイヌ伝統文化の復権復活へ重大な転機をもたらしたことで知られる。 概要[編集] 生誕100年を迎える2003年頃から、マスコミや各地のセミナー等でその再評価の声が高まり、また幸恵への感謝から「知里幸恵」記念館の建設運動が活発化した[2]。2008年10月には、NHKの『その時歴史が動いた』で幸恵が詳細に取り上げられ[3]、インターネット書店「アマゾン」の「本のベストセラー」トップ10に『アイヌ神謡集』が入った[注釈 1]。また、『アイヌ神謡集』は、英語・フランス語・ロシア語・エスペラントにも翻訳されており[4]、2006年
A本の表紙見返しの異国人物図は原本とは関係なく、『日本節用万歳蔵』から後補されたものか 。左の蝦夷地図は加藤肩吾系のもので、村上の「蝦夷諸島図」とは大きく異なる。「カラフト嶋一名キタイゾチ」とある点が注目される 『蝦夷島奇観』は、江戸幕府の役人・村上島之丞(秦檍丸・1760~1808)が当時のアイヌの習俗を忠実に描いた資料として知られています。村上は幕府の蝦夷地探索の一員として、1798(寛政10)年から数回にわたり北海道、国後、択捉を踏査しました。 寛政年間はロシアの脅威に対する北方警備が深刻化した時期で、アイヌに関するさまざまな情報も入ってきましたが、興味本位に扱ったものがほとんどでした。村上らは、アイヌは日本人の古い姿をよく留めており、その研究が日本自体の理解にとって大変重要だという考えから、アイヌの生活をていねいに観察し『蝦夷島奇観』『蝦夷見聞記』などを著しました。樺太を含む蝦夷図
アイヌと共に生きた男 ニール・ゴードン・マンロー [前編] 20世紀前半、日本でアイヌ人たちの保護に人生を捧げた 一人のスコットランド人がいた。 彼の名はニール・ゴードン・マンロー。 考古学への興味から来日するが、 アイヌ先住民との不思議な縁が彼のその後の運命を決した。 「アイヌの皆の様に葬ってくれるね」と言い残し 北海道の地に没したマンローの生涯を辿りながら、 彼がこれまで正当に評価されることなく 日本の近代史に埋もれていた理由なども、 マンロー生誕150周年を機に探ってみたい。 © Fosco Maraini 参考文献: 『わがマンロー伝―ある英人医師・アイヌ研究家の生涯』桑原 千代子著・新宿書房刊、 『N.G.マンローと日本考古学』横浜市歴史博物館編纂ほか 2013年春、横浜市歴史博物館で、ある特別展が開かれた。タイトルは「N・G・マンローと日本考古学 ―横浜を掘った英国人学者」。ス
アイヌ料理(アイヌりょうり)は、アイヌ民族の伝統的な料理。ここではアイヌの食文化全般を解説する。 概説[編集] アイヌ民族の食文化は漁撈や狩猟で得られた鮭や鹿、山野の採集で得られたオオウバユリの鱗茎やドングリ、山菜、畑で栽培された雑穀やジャガイモ[1][2]などを素材とする。特徴としては、油脂をふんだんに使った味付けが挙げられる[3][4]。 調味料は塩のほか、魚や獣の脂肪(タラ、イワシ、ニシン、サメ、アザラシ、エゾシカ、ヒグマなどからとる)を用いた[5]。近世以降は味噌も使用された[6]。また、コンブや動物の骨、魚の焼き干しを使って出汁をとる文化をもっていた[7]。香辛料としては、ギョウジャニンニクやキハダの実、タネツケバナを利用した[4]。 食材の調達[編集] 狩猟[編集] ユㇰ(エゾシカ) 狩猟は盛夏〜晩夏を除いて1年の大半の時期に行われ、ユㇰ(yuk エゾシカ)、キムンカムイ(ki
北上市の八幡遺跡という村落跡から岩手県でははじめて馬を描いた土器がみつかった、このニュースはちょっと前からネットで流れていて、なんどかツイートもしているのですが、ずっと画像がありませんでした。それがようやく出ました。 奈良〜平安時代に東北を舞台にした「三十八年戦争」というのがあります。阿弖流為や坂上田村麻呂が活躍する戦いです。 東北の現地勢力の「蝦夷」は、イメージとして馬に乗っているわけです。 平泉も馬を献上するし、伊達政宗も東北の馬をいばる・・・東北といえば、馬の名産地。 でも、三内丸山遺跡の縄文人は馬に乗っていないです。 馬はもともと日本列島にはおらず、朝鮮半島から5世紀頃に渡来したと言われているので、九州から延々と人が放牧地を求めて移動してきて、「適地だ」となったのです。 古代の近畿で牧場があったのは淀川沿いで、渡来系の集落が多い場所。 関東で牧場があったのは群馬県で、渡来系の移住地
釧路の奥田幸子さん 「息遣い感じた」 釧路アイヌ語の会(合沢寛会長)の事務局長奥田幸子さん(63)が、江戸幕府が18世紀後期に初めて蝦夷地(えぞち)に調査隊を送った時に聞き取ったアッケシ(厚岸)の総首長イコトイと根室・ノッカマップの総首長ションコのアイヌ語を、ローマ字化、現代語訳した。奥田さんは「言葉から、イコトイやションコなど歴史上の人物の息遣いが感じられた」と話している。(小野孝子) 奥田さんが現代語訳したのは、調査の記録文書である「蝦夷地一件」(二)に登場するイコトイとションコが幕府側に語った言葉。中でも注目されるのは、イコトイが幕府の調査隊の宿泊所をひそかに訪れて話した内容だ。 イコトイは「松前藩の役人と運上屋(商人)が、『幕府にはロシア人と交易していることを話すな、話せば首を切り落とす』と言った」と、口止めされていることを告げた。 背景には、松前藩が、幕府による鎖国政策下
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