タグ

文芸に関するtxmx5のブックマーク (53)

  • 立花隆さん死去 ジャーナリスト、評論家「田中角栄研究」 | 毎日新聞

    多くの調査報道やベストセラーを発表し、「知の巨人」として知られるジャーナリストで評論家の立花隆(たちばな・たかし、名・橘隆志=たちばな・たかし)さんが4月30日、急性冠症候群のため亡くなった。80歳。葬儀は故人と遺族の意思により家族葬で行われた。 1940年、長崎市生まれ。両親ともクリスチャンの家庭で育つ。教員だった父が赴任していた中国・北京で敗戦を迎えた。東京大文学部仏文科を卒業した64年、文芸春秋に入社し雑誌記者となるが66年に退社、フリーとなる。67年に東京大文学部哲学科に学士入学した。在学中から雑誌などにルポや評論などを発表。74年には月刊「文芸春秋」に「田中角栄研究 その金脈と人脈」を発表した。…

    立花隆さん死去 ジャーナリスト、評論家「田中角栄研究」 | 毎日新聞
  • 映画メモ・2020 小西康陽 | memorandom.tokyo

    ちょうど一年前、東急Bunkamuraのル・シネマで新年早々に行われたオリヴィエ・アサイヤス監督の特集上映が満席で大混雑していたことを、この鑑賞リストをながめながら思い出す。去年の正月、東京に住む人はまだ誰も新型コロナ・ウィルスのことで騒いだりしていなかったはずだ。中国の武漢という都市が新しい疫病で封鎖されている、という報道を知ったのはいつだったか。2月に早稲田松竹でジャ・ジャンクー監督の『帰れない二人』という映画を観たとき、チャオ・タオという女優が演じるヒロインが列車の中で、これから武漢に向かう、と話すのを観て、それ、いま話題の街じゃないか、と思ったが、そのときは物語を追うのに夢中ですぐに忘れてしまった。いや、その前日、ラピュタ阿佐ヶ谷のモーニング・ショーで桑野みゆき主演の『明日をつくる少女』を観に行ったとき、寒いので膝掛けを借りようと上映前にスタッフの女性に声を掛けたら、新型コロナ・ウ

    映画メモ・2020 小西康陽 | memorandom.tokyo
  • 【寄稿】現在のアメリカ社会を考える:池田年穂氏|慶應義塾大学出版会 Keio University Press

    黒人男性のジョージ・フロイド氏が警察官に首を押さえつけられて亡くなった後、人種差別に抗議するデモが、Black Lives Matter 運動(BLM 運動)としてアメリカ全土で拡大を見せており、終息が見えない事態となっている。 そのような状況のもと、アメリカであらためて注目を集めている書籍がある。アフリカアメリカ人作家、タナハシ・コーツ著の『世界と僕のあいだに』(原題:Between the World and Me)だ。この作品は2015年発売以来アメリカ国内で大きな話題を呼び、これをきっかけにコーツはアフリカ系を代表する作家の一人となった。 ここでは、『世界と僕のあいだに』の日語版訳者である 池田年穂氏に、タナハシ・コーツの作品を通じて見えてくる現代のアメリカ社会について、ご寄稿いただいた。 タナハシ・コーツ Ta-Nehisi Coates (13 July 2015) by

    【寄稿】現在のアメリカ社会を考える:池田年穂氏|慶應義塾大学出版会 Keio University Press
  • 戦争に反対する唯一の手段は……/文化的雪かき - 屋上より

    戦争に反対する唯一の手段は…… 戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである。 吉田健一『長崎』 一月の末、夜中にtwitterを見ていたら、「ちゃんと生活したい。キーマカレーおいしく作れました。」という投稿が流れてきた。なんとなくその発言のツリーを見ると、こんな会話が続いていた。 「おいしそう!ちゃんと料理しててえらい!」 「ありがとう。吉田健一の言葉、『戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである』を忘れないで暮らしていきたいです。*1」 この手の引用は、「戦争に反対する唯一の手段は……」が引っ張り出される典型的な文脈で、特に珍しいものではない。個人が慎ましく暮らす生活のワンシーンに寄り添うイメージだ。 だがわたしはもう何年も、この言葉の使われ方に違和感を覚え、SNSでも言及してきた。そろそろ違和感の正体をはっきり言語化

    戦争に反対する唯一の手段は……/文化的雪かき - 屋上より
  • 作家の安部譲二さん死去 「塀の中の懲りない面々」:朝日新聞デジタル

    刑務所での収監体験をユーモラスに描いた自伝的小説「塀の中の懲りない面々」などで知られる作家の安部譲二(あべ・じょうじ、名安部直也〈あべ・なおや〉)さんが2日、急性肺炎で死去した。82歳だった。葬儀は近親者で営んだ。喪主は美智子さん。 東京都出身。中学時代に暴力団に加わり、その後は客室乗務員、ばくち打ち、用心棒、キックボクシングの解説者などを経験した。東京・府中刑務所での実体験をもとに描いた1986年のデビュー作「塀の中の懲りない面々」がベストセラーになり、映画化もされた。「塀の中のプレイ・ボール」「極道渡世の素敵な面々」など極道をテーマにした軽妙な作品を次々に発表して人気を博した。(興野優平)

    作家の安部譲二さん死去 「塀の中の懲りない面々」:朝日新聞デジタル
  • Street ReView #7「前衛」のミーム—『孤独のグルメ』と「路上観察」 | M.E.A.R.L.

    映画や書籍など様々な作品を通じて得た「町」や「まちづくり」に関する着想をレビューする企画。第7回目は、現代美術家/ラッパーの中島晴矢による、久住昌之と谷口ジローによる漫画『孤独のグルメ』について。 Text:Haruya NAKAJIMA Edit:Shun TAKEDA 駅を出て街を歩き、顧客との打ち合わせを済ませると腹が減っている。空腹を抱えながら付近を駆け足で彷徨って、自身の腹具合と直感を頼りに一期一会の飯屋へと誘われると、過剰な思考をモノローグで晒しながらたらふく飯をらい、満腹感と共に帰路につく。 たったそれだけのことなのだが、そこには豊潤な物語が詰まっている——————『孤独のグルメ』である。1994年から連載された久住昌之原作・谷口ジロー作画のこの漫画は、松重豊主演のドラマ化によるリバイバルもあり、長く読まれ/見られている作品だ。 孤から見出される都市の風景 最大の見所は

  • 死にかけた世界を歩く | レビュー | Book Bang -ブックバン-

    「まずは飲み屋に行きましょう」。開口一番にリン・ディンは言った。一五〇万人都市・川崎市の玄関口である川崎駅改札前は、平日の昼間にもかかわらずごった返している。彼と親しい仲介者が送ってくれたメールには、「リンはこんな感じの中肉中背のおじさんです」という愛のあるコメントと共にプロフィール写真が添付されていたものの、待ち合わせ場所で人混みの中から見つけ出すのに手間取ってしまった。一九六三年、ベトナムのサイゴンで生まれ、戦火を逃れるために十一歳でアメリカに渡った後、様々な仕事と並行して詩や小説を書いてきたディンは、二冊目の邦訳書の宣伝ではるばるやってきたこの国の群衆に、それぐらい溶け込んでいたのだ。そして、今日はどんなところに行きたいですか? と訊くと、彼は親しみやすい笑顔で、冒頭の─観光客というよりは地元民のような言葉を口にした。 リン・ディンの著作『アメリカ死にかけ物語』は、ブログ「Postc

    死にかけた世界を歩く | レビュー | Book Bang -ブックバン-
  • 「文藝評論家」小川榮太郎氏の全著作を読んでおれは泣いた | 「文藝評論家」小川榮太郎氏の全著作を読んでおれは泣いた | 高橋源一郎 | Webでも考える人 | 新潮社

    9月21日・金曜日の夜、「新潮」編集部から電話がかかってきた。おかしいな、と思った。今月は締め切りがないはずなんだが。イヤな予感がした。おれは、少しの間ためらった後、電話に出た。案の定だ。「新潮45」問題について書いてくれ、というのである。確かに、おれは、その問題についてツイッター上で少しだけ発言をした。それだけだ。面倒くさいし、何のためにもならない。一晩考えさせてくれ、といっておれは電話を切った。でも、おれは引き受けることになるだろう、と思った。「面倒くさくて何のためにもならないことは引き受けろ」は、高橋家の家訓なのである。 書くことを引き受けてすぐ、「新潮45」の休刊が決まった。この問題については、考えなければならないことが多すぎる。休刊の是非、雑誌や出版社、あるいは著者のあるべき姿、休刊の直接的な原因となったであろう小川榮太郎氏の論文の問題点、当該特集号の各投稿それぞれが抱えている異

  • 第2回 最後の挨拶<オンリー・イエスタディ>見城徹 - 幻冬舎plus

    冬の終わり頃だった、ような気がする。女友達との真夜中の電話の最中に、その声は割り込んできた。 「鈴木いづみと申します。見城さんですか」 聞き覚えのある抑揚のない言い方だった。 一瞬、僕はめんどうくさい気がした。女友達との話は佳境に入っていたし、数年前の鈴木いづみの電話攻勢には、正直言って辟易していた。僕は自分の電話がキャッチホンであり、今は通話中であることを説明した。そうして、もう手帳から消してしまった彼女の電話番号を聞き、おり返しかけ直すからと言って受話器を置きかけた。 その時、彼女が言った言葉を、僕ははっきりと思い出す。彼女は、こう言ったのだった。 「必ず電話をください。昔、親しかった人たちに挨拶をしたいのです」 それっきり、僕は電話をしなかった。三カ月ほどたって『写真時代』の編集長だった末井昭さんの編集後記で僕は彼女の自殺を知った。同時に彼女の最後の言葉の意味も知ったのだった。 その

    第2回 最後の挨拶<オンリー・イエスタディ>見城徹 - 幻冬舎plus
    txmx5
    txmx5 2018/10/18
    “2000.04.01 更新” 阿部薫、鈴木いづみの話
  • 文芸誌「新潮」が「新潮45」を異例の批判 「認識不足としか言いようのない…」

    LGBT問題に対する寄稿が批判され、休刊が決まった雑誌「新潮45」について、同じ新潮社が発刊する老舗文芸誌「新潮」が最新号で「人間にとって変えられない属性に対する蔑視に満ち、認識不足としか言いようのない差別的表現」と批判した。 10月7日発売の新潮11月号に矢野優編集長による編集後記として掲載された。新潮に寄稿する小説家からも「新潮45」を批判する声は多く、雑誌としての見解を示した形だ。

    文芸誌「新潮」が「新潮45」を異例の批判 「認識不足としか言いようのない…」
  • あれから10年、「ケータイ小説」が急速に廃れた理由とは? 現役女子高生に『恋空』を読んでもらった

    今から約10年前。日中の女子中高生の間で大流行した、「ケータイ小説」を覚えているでしょうか。 10代の読者の方々はご存じないかもしれませんが、ケータイ小説は当時日中で大ブームを巻き起こしたコンテンツであり、2000年代の若者文化を語る上でも重要なキーアイテムなのです。 ケータイ小説とはその名の通り、「ケータイ」で書かれ「ケータイ」で読む小説のこと。今でいう「ガラケー」で書かれたその小説は、素人が「実話」を元に書いたものがほとんどだとされています。 ただ、2017年現在、ケータイ小説という単語を久しく聞かなくなってしまいました。あれだけ流行したケータイ小説文化は、一体なぜ廃れてしまったのでしょうか。 今回はその歴史と背景を交えながら、なぜケータイ小説が若者たちの間でブームになり、なぜ急速に人気が衰えたのかを探っていきたいと思います。 参考文献 『ケータイ小説的。 “再ヤンキー化”時代の少

    あれから10年、「ケータイ小説」が急速に廃れた理由とは? 現役女子高生に『恋空』を読んでもらった
  • Web春秋|春秋社

    Web春秋は、春秋社が所有・運営しています。当サイトに掲載されたあらゆるコンテンツの著作権は、 著作権者および春秋社にあり、著作権法にて守られています。ホームページの全部あるいは一部を 無断で利用(コピー等)することは、著作権法上の例外を除き、著作権者および春秋社の許諾が必要です。 無断の複製・転載は法律および国際条約により、禁じられています。 Web春秋へのお問い合わせは下記ページに記載のフォームをご利用ください。 ご質問の内容によっては、お答えいたしかねる場合もございますので、その旨なにとぞご了承ください。 http://www.shunjusha.co.jp/inquiry.html プライバシーポリシーをご覧ください。 http://www.shunjusha.co.jp/privacy.html

  • トップページ | 読書人WEB

    なぜ、を読むのか? Why do we need to read books なぜ、を読むのか?書『読書人カレッジ2022』の執筆者の一人である明石健五は、それを「考えるため」であると言います。 ある未知のものに出会ったとき、そこに驚きと感動が生まれる。そうして、初めて自分なりに思考することができ、それを人に伝えることができるようにもなる。 そういう過程を生きられる人のことを、「知性ある人」というのではないか。では、「知性」を自らのものにするためにはどうすればいいのか。繰り返しになりますが、「読み」「考え」「書く」ことを通してしか感得できないのではないか。 新しい出来事や局面に出会い、答えのない問題を考えることで鍛えられていくものが、確かにある。そういう問題は、すぐれたの中にいくつも見つけることができます。 繰り返し考えることによって、自分の思考を鍛えていく。それによって、今の世の

  • 『春と修羅』から見えてくるシン・ゴジラの核心

    日経ビジネスオンラインでは、各界のキーパーソンや人気連載陣に「シン・ゴジラ」を読み解いてもらうキャンペーン「「シン・ゴジラ」、私はこう読む」を展開しています。※この記事には映画「シン・ゴジラ」の内容に関する記述が含まれています。 そのシーンを振り返ろう。東京湾を無人で漂流するプレジャーボートに海上保安庁の職員が乗り込んでいく。その職員が撮影しているビデオカメラの映像が映し出されているという体裁だ(上図)。船の名は「GLORY MARU」。揃えて置かれたが残されており、テーブルの上には折鶴と詩集『春と修羅』が置かれている。船内の様子を映した数秒後、撮影している職員の悲鳴と衝撃とともに映像は途切れる――。 映像を途切れさせた衝撃は、ゴジラ出現のそれであること。そして、消えた船の主が、ゴジラ誕生に深い関わりがある元城南大学統合生物学教授の牧悟郎氏であること。物語が進行していく中で、この冒頭の映

    『春と修羅』から見えてくるシン・ゴジラの核心
  • (文芸時評)象徴としてのお務め:朝日新聞デジタル

    片山杜秀(評論家) 東京の原宿周辺に蒼(うっそう)とした森が広がる。明治神宮だ。明治天皇を祀(まつ)る。森は元はなかった。「献木十万、勤労奉仕のべ十一万人」。大正時代にこつこつと造林された。 何がそこまで日人を駆り立てたのか。朝井まかての『落陽』はそれを探求する小説。主人公の設定がうまい。若い新聞記者。旧制五高から帝大へ。近代文学に傾倒。社会に出たのは日露戦争後の個人主義流行時代。天皇や国家が遠い。夏目漱石の自由で批判的な態度に感化されている。まさに新世代のインテリ。 彼が天皇崩御や神宮建設運動を取材する。人々の熱い思いがしっくり来ない。漱石の奉悼(ほうとう)文にも驚く。「天皇の徳を懐(おも)ひ/天皇の恩を憶(おも)ひ」。漱石でさえこうなのか。徳や恩とは具体的には何だろう? 主人公は先帝の事跡を追う。や… この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記

    (文芸時評)象徴としてのお務め:朝日新聞デジタル
  • オリンピックの熱狂と「転向」する文学者たち 2020年われわれは冷静でいられるか - ジセダイ総研 | ジセダイ

    文学者たちのあっけない「転向」 1964年10月の東京オリンピックは、「筆のオリンピック」とも呼ばれた。小説家や評論家など物書きの多くが、まるで競うようにオリンピックのことで筆を執ったからである。 当時はまだテレビタレントがいなかった時代。文学者は文化人の代表格であり、その観戦記は、今日のテレビ番組のレポートやコメントのように広く消費された。こうした文学者たちの文章は、同年12月刊行の『東京オリンピック 文学者の見た世紀の祭典』(講談社、2014年同学芸文庫で復刊)にまとめられている。 今日改めてこのを読むと、われわれは失笑を禁じえないだろう。というのも、名だたる文学者たちが、あまりにもあっけなく次々に「転向」してしまうからである。 文学者たちは、もともとオリンピック開催に対して批判的ないしは無関心だった。その辛辣な言葉の数々を少し引いてみよう。 「私もかなり批判的だった。たかがスポーツ

    オリンピックの熱狂と「転向」する文学者たち 2020年われわれは冷静でいられるか - ジセダイ総研 | ジセダイ
  • 柳瀬尚紀さん死去 ジョイスやキャロルなど翻訳:朝日新聞デジタル

    ジェイムズ・ジョイスやルイス・キャロルの翻訳で知られる英文学者で翻訳家の柳瀬尚紀(やなせ・なおき)さんが7月30日、肺炎のため東京都内の病院で死去した。73歳だった。葬儀は近親者で行った。喪主は由美子さん。 北海道根室市生まれ。言葉遊びが随所にちりばめられて「翻訳不可能」とも言われたジョイスの小説「フィネガンズ・ウェイク」を8年がかりで訳して話題を集めたほか、キャロル「不思議の国のアリス」、ロアルド・ダール「チョコレート工場の秘密」などを手がけた。近年はジョイスの大作「ユリシーズ」の全訳完成を目指していた。 将棋ファンとしても知られ、羽生善治さんとの共著もある。朝日新聞で2000年4月から約4年間、「柳瀬尚紀の舌三昧(ざんまい)」と題してエッセーを連載した。

    柳瀬尚紀さん死去 ジョイスやキャロルなど翻訳:朝日新聞デジタル
  • ジェームズ・ジョイスを翻訳 柳瀬尚紀さん死去 | NHKニュース

    アイルランド出身の作家、ジェームズ・ジョイスの翻訳などで知られる英文学者の柳瀬尚紀さんが、肺炎のため東京都内の病院で亡くなりました。73歳でした。 その後、ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」など、数多くの作品の翻訳を手がけました。中でも、アイルランド出身の作家、ジェームズ・ジョイスの作品で、難解な表現で知られる「フィネガンズ・ウェイク」を、独特のことば遊びやだじゃれまで巧みに表現し、翻訳に関する数々の賞を受賞しました。また、柳瀬さんは長年にわたってジョイスの大作「ユリシーズ」の翻訳に取り組み、生涯をかけて完成を目指していました。家族や関係者によりますと、最近も精力的に翻訳を続けていたということですが、先月29日、肺炎で都内の病院に入院し、翌日の30日に亡くなったということです。

  • 頓絶法 - Wikipedia

    頓絶法(とんぜつほう、または黙説法、Aposiopesis)とは、語り手または作者が、何かの考えにとらわれて途中まで進めていた発言に間を置くか、発言をやめてしまう修辞技法のこと。語り手または作者が話を続ける気がなくなったか、できなくなった印象を読者に与える。語源はギリシャ語の ἀποσιώπησις(黙ってしまう)。 概略[編集] 最もよく見かけるものでは、「出て行け、さもないと—!」という脅迫の台詞である。語り手が恐怖・怒り・興奮といった感情に圧倒されたか、あるいは謙遜していることを描く場合が多い。頓絶法であることを示すのには「—」(emダッシュ)か「‥」「…」(リーダー)が使われる。 古典作品でいえば、ウェルギリウスの『アエネイス』の中では、頓絶法が2100カ所使われている。 hinc mihi prima malis labes, hinc semper Vlixes crimini

  • 「会見前から怒り狂った」 蓮實重彦さん一問一答:朝日新聞デジタル

    ――三島賞の受賞会見には驚かされました。 どうしてみなさん同じような質問しかしないのかと苛立(いらだ)ちました。 ――ただ、ああいったお約束の質問が出ることはある程度予測されていたのではないでしょうか。 最初の1、2問はそうかもしれないとは思っていましたが、これほど同じような質問ばかりになるとは思っていませんでした。 ――しかし、あの会見があったことで、結果的にはこれまでの三島賞の何倍も世間の注目を集めることになりました。 会見の前に、新潮社の方に聞いたんです。「この会見はの売れ行きに関係するんですか」と。そうしたら「関係いたします!」とお答えになったので、「それではそのようにやりましょう」ということになりました。会見の後、その方に「お見事!」なんて言われちゃいましたけれど、これもどうなんでしょうかねえ。ちょっとやりすぎちゃったんじゃないかという気がします、新潮社のためにはね。 ――こう

    「会見前から怒り狂った」 蓮實重彦さん一問一答:朝日新聞デジタル
    txmx5
    txmx5 2016/06/21
    面白い