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渋谷系とCultureに関するtxmx5のブックマーク (12)

  • 『HMV渋谷に「渋谷系」の売り場ができる少し前のことについて。』

    ピチカート・ファイヴの日コロムビア時代の音源がサブスクリプションサービスで解禁されたり、小山田圭吾が帯にコメントを寄せ対談にも参加している小出亜佐子「ミニコミ『英国音楽』とあのころの話 1986-1991」を出版したり、小沢健二が17年ぶりのボーカルが入ったアルバム「So kakkoii 宇宙」をリリースしたりと、いわゆる「渋谷系」的な話題が少なくとも私の周りではなんとなく盛り上がっているような気がしていた矢先に、音楽ニュースサイトの「音楽ナタリー」が、「渋谷系を掘り下げる」という短期集中連載をはじめた。 これを書いている時点では第1回目だけが公開されているが、ひじょうに充実した内容で、まさにこういうのが読みたかった、といえるようなものであった。HMV渋谷の「渋谷系」コーナー的な売り場をつくった人として、当時から一般の音楽ファンにまで名前が知られていた太田浩さんのインタヴューが掲載されて

    『HMV渋谷に「渋谷系」の売り場ができる少し前のことについて。』
  • センター街の一角から始まった黄金時代 | 渋谷系を掘り下げる Vol.1

    渋谷系を掘り下げる Vol.1 [バックナンバー] センター街の一角から始まった黄金時代 “渋谷系の仕掛け人”、元HMV渋谷・太田浩氏インタビュー 2019年11月14日 20:00 3800 137 × 3800 この記事に関するナタリー公式アカウントの投稿が、SNS上でシェア / いいねされた数の合計です。 351 845 2604 シェア フリッパーズ・ギターの1stアルバム「three cheers for our side~海へ行くつもりじゃなかった」が1989年にリリースされてから今年で30年を迎えた。11月には1991~2001年までの楽曲を小西康陽がセレクトしたピチカート・ファイヴの7inchアナログ16枚組ボックスがリリースされ、また小沢健二が13年ぶりのアルバム「So kakkoii 宇宙」を発表するなど、折からの90年代ブームとも相まって、 “渋谷系”周辺のカルチャー

    センター街の一角から始まった黄金時代 | 渋谷系を掘り下げる Vol.1
  • 「渋谷系」とはなんだったのか? 野宮真貴×Boseが語り合う | CINRA

    数年前から続いている「1990年代ブーム」にともなって、目下のところ何度目かの「渋谷系再評価」が進み、その動きは今や世界的に広がっている。北欧のクラブでは毎晩シティポップのレコードがスピンされ、細野晴臣のニューヨーク公演は大成功を収めた。マック・デマルコやデヴェンドラ・バンハートらが、その細野をフェイバリットアーティストに挙げたかと思えば、タイラー・ザ・クリエイターが新作の中で、山下達郎の“FRAGILE”をサンプリングして話題となったのも記憶に新しい。 折しも今秋、渋谷カルチャーを象徴する「渋谷パルコ」がリニューアルオープンする。パルコといえば、ピチカート・ファイヴがグランバザールやP'PARCOのCMに出演したり、スチャダラパーがP'PARCOのオープン記念に小沢健二と“今夜はブギー・バック”のライブを行なったりと、渋谷系とは浅からぬ仲と言えよう。 そこで今回CINRA.NETでは、野

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  • テレビの現場から見た「渋谷系」と「ピチカート・ファイヴ」の世界――野宮真貴×坂口修インタビュー | 文春オンライン

    野宮 はい。きっかけはデビュー30周年の時にセルフカバーのアルバム『30』を出して、私の歌手人生で一番重要なピチカート・ファイヴの曲を久しぶりに歌ったことで、改めて渋谷系の楽曲の素晴らしさに気づいて。そこからバート・バカラックなど、渋谷系のルーツも21世紀の新しいスタンダードナンバーとして歌い継いでいこうと、このプロジェクトがはじまりました。 坂口 もともと「野宮真貴、渋谷系を歌う。」プロジェクトは、野宮さんでバカラックのカバーアルバムとかいいんじゃない、っていうところからスタートしたんです。そこから発想して、渋谷系のルーツとなった名曲たちを、スタンダードナンバーとして野宮真貴が歌い継ぐのはすごく意味があるし、無尽蔵に広がっていくので、いくらでも選曲できるなって。それに、元祖である野宮さんが歌うことで、どんな曲でも渋谷系になる。 おぐら クレモンティーヌが歌えばフレンチポップになる、みたい

    テレビの現場から見た「渋谷系」と「ピチカート・ファイヴ」の世界――野宮真貴×坂口修インタビュー | 文春オンライン
  • 記事一覧 | CINRA

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  • 1980年生まれが体験した渋谷系の側面。|marr|note

  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • 〈小山田圭吾をカツアゲするhide〉の構図はどのようにして生まれたか(市川哲史×藤谷千明『すべての道はV系に通ず』第5回)【不定期連載】|PLANETS

    〈小山田圭吾をカツアゲするhide〉の構図はどのようにして生まれたか(市川哲史×藤谷千明『すべての道はV系に通ず』第5回)【不定期連載】 今朝のメルマガは市川哲史さん、藤谷千明さんによる連載『すべての道はV系に通ず』をお届けします。90年代V系ブームを下支えした今井寿・hide・SUGIZOらバンドマンたちの音楽性の源泉について、同時期の渋谷系と比較しながら語りました。 ▼プロフィール 市川哲史(いちかわ・てつし) 1961年岡山生まれ。大学在学中より現在まで「ロッキング・オン」「ロッキング・オンJAPAN」「音楽と人」「オリコンスタイル」「日経エンタテインメント!」などで歯に衣着せぬ個性的な文筆活動を展開。最新刊は『誰も教えてくれなかった当のポップ・ミュージック論』(シンコーミュージック刊)。 藤谷千明(ふじたに・ちあき) 1981年山口生まれ。思春期にヴィジュアル系の洗礼を浴びて現在

    〈小山田圭吾をカツアゲするhide〉の構図はどのようにして生まれたか(市川哲史×藤谷千明『すべての道はV系に通ず』第5回)【不定期連載】|PLANETS
  • ポスト渋谷系にみる、音ゲー楽曲と邦楽シーンの影響関係(中半) - ダストポップ

    前回の記事に引き続き、題の「ポスト渋谷系」と「音ゲー」の関係についてざっくり書いていこうと思います。前半後半に分けようと思ったんだけど長くなったから無理だったぜ。 繰り返すようですが私は邦楽に造詣が深い人間でもなければ、結構記憶だよりで書いたりもしています!ぜひ肩の力を抜いて、音楽を楽しむ・掘るときのヒントになるようなものはないかな〜程度に読んでみてください。 ところで今さら渋谷系について何かまとまった情報はないかとググったところ、以下の様な記事が見つかりました。 音楽だいすきクラブ 2014.6.21.「渋谷系特集#1 渋谷系はかっこいい」 http://ongakudaisukiclub.hateblo.jp/entry/2014/06/21/102110 音楽だいすきクラブでは、この回から10回に渡って渋谷系の特集をしていおり、充実の内容。 第一回から「渋谷系っぽくないかっこいい渋

    ポスト渋谷系にみる、音ゲー楽曲と邦楽シーンの影響関係(中半) - ダストポップ
  • 【コラム】渋谷系という面倒臭い存在…そして、渋谷系上司こそ最も面倒臭い奴らである

    *Photo by ajari 思わず、iTunes Storeである音源をポチってしまった。野宮真貴の新譜、「実況録音盤! 『野宮真貴、渋谷系を歌う。〜Miss Maki Nomiya Sings Shibuya-kei Standards〜』」というアルバムである。 なぜ、この音源を買ってしまったのか、よくわからない。ただ、この音源を買うことを僕は欲していたし、この音源も僕に買われがっていた。そんなことは、沖縄県知事選、那覇市長選の結果が出て、さらには総選挙へと向かう2014年の冬の日にとって、どうでも良いことであり、僕にとってもそれほど大切なことではなかった。ただ、音源があり、僕はそれを買った。ただ、それだけのことだ。 と、村上春樹風に思わず書く面倒臭い中年がここにいるが、個人的に気になったことがあると言えば「渋谷系」とは何だったのかということだ。ぶっちゃけこれが流行った頃に僕は高

    【コラム】渋谷系という面倒臭い存在…そして、渋谷系上司こそ最も面倒臭い奴らである
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 総武線猿紀行

    総武線猿紀行第84回 「追悼ピチカート・ファイヴ! の巻 その4」 鈴江インクスティックのピチカート公演も、 集まったファンの様子に未来を感じさせたが それ以上に「渋谷系」の到来を感じたのは、 ピチカートファンクラブをやっていた サバービア・ファクトリー~中古レコードを徹底的に 追及するCIAのような方々の集まり~ (現カフェ・アプレミディ)の プロデューサーである橋徹君のイベントである。 それは今は亡き渋谷DJバーインクスティックで行なわれた。 このイベントは小西君はもちろんのこと フリッパーズギターの2人が出演したことが忘れられない。 小沢健二、小山田圭吾の二人が、ピチカートファイヴや 思い出せないほど多数のDJと共に、 公にファンと時間を過ごしたのは このときが最初で最後ではないか? と思う。 小西君のレコード棚は急速に膨張を続けていたが、 それはこのとき集まったすべての人(ファン

  • 「渋谷系」とは日本版アシッドジャズだった!? 若杉実の労作が提示する“DJ文化”という視点

    ムーヴメントとはいっても東京の局所で流行っていた音楽という程度の緩いカテゴライズに過ぎず、にもかかわらずその音楽的なイメージと全体像が当時は何となく共有されていて、影響というか余波もいまだに尾を引いている——渋谷系というのはつくづく捉えどころがあるようなないような現象だった。 むろん個人的な印象に過ぎないが、ある世代以上には日ポピュラー音楽史上看過できない変革として刻印されているのに、ある世代以下になると、大きく誤解していたり、そもそも知らない人すらいたりするという具合に、今日となっては受け止め方に極端な温度差が感じられる歴史上の出来事でもある。 書『渋谷系』は、そんなヌエのような渋谷系の総体を描き出そうとした、初めての単行である。そう、初めての、なのだ。 90年代を彩った大きなムーヴメントだったことは間違いないのに、雑誌やムックの特集みたいなものはあっても、歴史として正面から取り組

    「渋谷系」とは日本版アシッドジャズだった!? 若杉実の労作が提示する“DJ文化”という視点
    txmx5
    txmx5 2014/09/23
    この本も面白そうだけど、ばるぼらさんのほうはまだ出ないのだろうか
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