伊藤剛さんがつぶやかれていた、「ファスト風土」を漫画が描かない、という問題についての話を関連のつぶやきと共にまとめました。 「いま」の社会の課題を、いかに漫画に盛り込むか。漫画が成熟した文化であり続けるためには、重要な問題だと思います。 【誰でも編集可にしましたので、関連ツイートなどありましたら追加してください】
水無田気流(本名:田中理恵子)は二つの顔を持つ。気鋭の現代詩人としてのそれと、女性問題や少子化、世代間格差などについて精力的に発言する社会学者としてのそれだ。そして僕がこれまで付き合ってきたのはおもに詩人としての彼女だ。僕らは東京工業大学と朝日カルチャーセンターのコラボレーション企画としての連続講義「Jポップと現代社会」を一緒に担当し、SMAPについて、ドリカムについて、ミスチルについて、あるいは浜崎あゆみについてひたすら語り合った。 僕にとっての彼女、つまり詩人・水無田気流は乾いた言葉を好んで用いる、少し感傷的な詩人だった。そして言葉に対して驚くほど敏感な批評者だった。そんな彼女のもうひとつの側面、つまり社会学者・田中理恵子と付き合うようになったのは、そのしばらくあとの話だ。トークイベントやテレビの討論番組で顔を合わせる彼女は、「〜しなければならない」という義務感に全身を震わせながら発言
以下は5/28に行われたSteve Goodman aka Kode9によるレクチャーの同時録音を、テープおこしならぬWAVおこしして要約したものの前半(1/2)になります。当日の逐次通訳で損なわれてしまったニュアンスもなるべく再現するように心がけていますが、あくまでも完訳ではなく抄訳/要約になりますのであしからず。 ---------------------------------------------------------------------------------------------------- ■ Introduction : "9 Samurai" by Kode9 & the Spaceape (Hyperdub, 2006) ■ 近刊 “Sonic Warfare : sound, affect and the ecology of fear"に関して 過去数年
当初の予定より少しずれこんでしまったのですが、4月4日取次搬入で無事発売の決定した新刊『オルタナティブロックの社会学』。この本は本当に、ポピュラー文化研究のメルクマールとなる記念碑的な一冊であり、研究者のみならずすべてのロック音楽を愛する人に読んでもらいたい、絶対的な自信作に仕上がっています。 改めて玉稿をくださった著者の南田先生に感謝申し上げるとともに、一人でも多くの方にこの素晴らしい本をお手にとってもらうべく、今回はこの本のお話をさせていただきます。 表題に「ついに」とあるのは、この本の出発が3年前にまでさかのぼるからです。担当編集である私が初めて著者の南田勝也先生(武蔵大学社会学部教授)にお目にかかったのは、2011年も終わりに近づいたころ。仕事柄大学の先生とお会いすることは多いのですが、ロック研究者(ジョン・ロックではなくロックミュージック!)とはどのような感じの方なのだろうとドキ
Letter from Yochomachi さん、トラックバックありがとうございます。 《こういうことは、思っていても口に出してはいけません》(Letter from Yochomachi) 「排外主義的愛国主義者には低学歴か低所得が多い」というのは、本文にもございます通り、実証的なデータ分析の結果です。分析手順は、実際に博士論文を読んでいただきたく思います。 博士論文は公開されますので、じきに首都大学図書館で閲覧できるようになります。彼の博士論文は、日本とアメリカとドイツとオーストラリアの四か国に限定して、多様なデータ分析をしています。 ただし、心情倫理に基づく拝外主義的愛国主義を煽る論壇誌を読むのが拝外主義的愛国主義者の内でも專ら高学歴や高所得に偏り、リベラルな論壇誌を読むのがリベラル層でも低学歴や低所得に偏る、といったような事実が存在する場合に限り、リベラルな論壇誌を読む人たちの方
伝説の音楽ゲーム『ビートマニア』の作曲・企画者にして、スマートフォンアプリ『斉藤さん』(約930万DL)を仕掛けた人物―それがユードーの南雲玲生氏だ。同氏は「誰も追いつけないくらいエッジの効いたことをやる」と語る。その企画はどのようにして生まれるのか。奇抜かつ独創的な南雲流の企画術を紐解く。 ▼ユードー南雲玲生氏のインタビュー第1弾 中毒者を生み出す。ビートマニアの父にして、930万DLアプリの仕掛け人『南雲玲生』の発想。 時代、そしてメディアを超える企画の方法論とは? 南雲玲生は「直感を大事にするアーティスト性」と「鋭いマーケット感覚」を併せ持つ希有なクリエイターといえるかもしれない。 大手ゲームメーカー在籍時代には音楽ゲームの元祖『ビートマニア』を生み出した。その後、自身が代表を務めるユードーでは、無料テレビ電話アプリ『斉藤さん』をつくり、約930万ダウンロードを達成。全く異なるジャン
この記事では、インターネットやメディア上で承認欲求という言葉が使われるようになっていった経緯について、個人的にまとめてみる。 現在、承認欲求という言葉はネットスラングのように用いられている。と同時に、著明な学者さんが「承認」という言葉を使ったり、承認欲求をメインテーマにした本が売られたりもしている。だが、こうした風景が昔からあったわけではない。 グラフ:承認欲求の検索件数。Googleトレンドより。 承認欲求という言葉がネットで流通するようになった歴史は意外と短い。2006年頃までは、ほとんど使われていなかった、と言って差し支え無いだろう。実際、Googleトレンドで「承認欲求」のGoogle検索数を確かめてみると、2008年夏頃に小さなピークを迎えた後、いったん殆ど検索されなくなり、2010年5月頃から再び検索件数が増えはじめ、その後、急激に増加している。 こうした動向を踏まえて、インタ
出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2016年9月) 根本的な帰属の誤り(こんぽんてきなきぞくのあやまり、英: Fundamental attribution error)は、個人の行動を説明するにおいて、当人の気質や個性を過重視し、当人が置かれていた状況を軽視する傾向を言う。帰属バイアスの一種である。基本的帰属錯誤[1]、基本的な帰属の錯誤[2]、基本的な帰属のエラー[3]、対応バイアス(たいおうバイアス、英: Correspondence bias)ともいう。 根本的な帰属の誤りに関する様々な実験は、社会心理学自体が成り立っている証拠である。 人は他人の行動を根拠なくその人の「種類」によって決定されていると見、社会的かつ状況的な影響を軽視する傾向がある。また、自身の行動には逆の見方をする傾向
1984年、福島県いわき市生まれ。東京大学文学部卒。同大学院学際情報学府修士課程修了。現在、同博士課程在籍。福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員。専攻は社会学。学術誌のほか、「文藝春秋」「AERA」などの媒体にルポ・評論・書評などを執筆。 著書に『漂白される社会』(ダイヤモンド社)、『はじめての福島学』(イースト・プレス)、『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)、『地方の論理 フクシマから考える日本の未来』(同、佐藤栄佐久との共著)、『フクシマの正義 「日本の変わらなさ」との闘い』(幻冬舎)『「原発避難」論 避難の実像からセカンドタウン、故郷再生まで』(明石書店、編著)など。 第65回毎日出版文化賞人文・社会部門、第32回エネルギーフォーラム賞特別賞。 対談 漂白される社会 売春島、偽装結婚、ホームレスギャル、シェアハウスと貧困ビジネス…好奇の眼差しばか
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "アビリーンのパラドックス" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2019年12月) アビリーンのパラドックス(Abilene paradox)とは、ある集団がある行動をするのに際し、その構成員の実際の嗜好とは異なる決定をする状況をあらわすパラドックスである。
英語版記事を日本語へ機械翻訳したバージョン(Google翻訳)。 万が一翻訳の手がかりとして機械翻訳を用いた場合、翻訳者は必ず翻訳元原文を参照して機械翻訳の誤りを訂正し、正確な翻訳にしなければなりません。これが成されていない場合、記事は削除の方針G-3に基づき、削除される可能性があります。 信頼性が低いまたは低品質な文章を翻訳しないでください。もし可能ならば、文章を他言語版記事に示された文献で正しいかどうかを確認してください。 履歴継承を行うため、要約欄に翻訳元となった記事のページ名・版について記述する必要があります。記述方法については、Wikipedia:翻訳のガイドライン#要約欄への記入を参照ください。 翻訳後、{{翻訳告知|en|Condorcet paradox|…}}をノートに追加することもできます。 Wikipedia:翻訳のガイドラインに、より詳細な翻訳の手順・指針についての
アーヴィング・ゴッフマン(Erving Goffman、1922年6月11日 - 1982年11月19日)は、カナダの社会学者。日常生活における人々の社会的相互作用の仕方を解明する方法論として、ドラマツルギーを初めて社会学の立場で提唱したとされる。 カナダに生まれ、1945年カナダのトロント大学卒業、1949年シカゴ大学で修士号、1953年同博士号(Ph.D.)取得。 1949年 - 1951年エディンバラ大学社会人類学科でシェットランド島フィールド・ワークに従事。シカゴ大学社会学科部門の研究プロジェクトに参加。1954年 - 1957年国立精神衛生研究所衛生臨床センターの客員研究員。1955年 - 1956年ワシントンの聖エリザベス病院で参与観察を実施。1958年カリフォルニア大学バークレー校社会学科に参画、1962年同大学社会学教授。1966年 - 1967年ハーバード大学国際問題研究
Goffman, Erving 1959 The Presentation of Self in Everyday Life, Doubleday & Company, Inc. =19741120 石黒 毅 訳『行為と演技――日常生活における自己呈示』,誠信書房 ■Goffman, Erving, 1959 The Presentation of Self in Everyday Life, Doubleday & Company, Inc. =19741120 石黒 毅 訳『行為と演技――日常生活における自己呈示』,誠信書房 ISBN-10: 4414518016 ISBN-13: 978-4414518016 [amazon]/[kinokuniya] ■目次 謝辞 序言 序論 第一章 さまざまのパフォーマンス 人の演じている役目への信頼 外面 劇的具象化 理想化 表出的統制の維持
MIYADAI.com Blog (Archive) > 「根拠は、根拠なき言語ゲームの中でしか意味を持たない」件についてのツイートまとめ « 米国におけるリベラリズムとリバタリアニズムのルーツ | 重罰化の機能についてもツイートしたのでまとめます。 » 「根拠は、根拠なき言語ゲームの中でしか意味を持たない」件について、ヴィンゲンシュタイン⇒ハート⇒ルーマンの思考を紹介いたしましたので、まとめます ──────────────────────── miyadai 10:04am, Apr 09 from HootSuite これは大変な質問だRT @smellingboy: 面白い!それは人の行動などの事象のみを検証するとか、もしくは根拠を否定する論理があるということでしょうか?詳しく教えて頂けたら幸いです。RT @miyadai 根拠とは?社会システム理論は根拠という概念を頭から否定しま
佐藤俊樹, 2005, 「閉じえぬ言及の環──意味と社会システム──」 in ISBN:4326601884 この論文においては、どのようにして「ごもっともな主張」と「ヘンな主張」が共存可能になっているのだろうか。 もうひとつの大きな謎: どうしてこういうヘンな主張が ある種の──しかも個々にはみな優れた──社会学者たちの間に広く受け入れられ、再生産され続けてきたのだろうか*。(ex. isbn:4326652551、isbn:4326601604) * 言い換えると、「柄谷=クリプキの爪痕」は、どうしてこんなにも長く残ってしまったのか。 ところでここ→で「そのテのルーマン解釈」をまとめて引用してくれている:http://d.hatena.ne.jp/ced/20060625 もちろん、この件についてルーマンその人に何の責任もない、などということもまたありそうにないことだが。 【ごもっとも
木村直恵「〈批評〉の誕生 明治中期における〈批評〉〈改良〉〈社会〉」『比較文学』第45巻、2002年、7–22ページ。 http://ci.nii.ac.jp/naid/40006129994 ある文化圏に外来の術語が入りこみ、それが短期間のうちに広く使われるようになるという現象をどう理解すべきか。この問いに答えるときに有効な議論の型の一つをきれいにみせてくれるすぐれた論文です。 「批評」という言葉は明治10年代に一度導入されたものの、広範に使用されることはなく、やがてすたれてしまいました。それが明治10年代の終わりごろに坪内逍遥が使いはじめるようになってから、一つのジャンルとして急速に定着します。「人生の批判」として出された『小説神髄』は、近代小説として批評的読解の対象となるべく書かれたテキストであり、実際に批評文を呼び起こしていきました。この後、欧米文明を確かな目で鑑定し、すぐれたもの
『日常・共同体・アイロニー 自己決定の本質と限界』 p.45-6 傍注より アンソニー・ギデンズは「諸個人がみずからの行為に関する情報を、その行為の根拠について検討・評価し直すための材料として活用すること」を「再帰性」と呼び、これの諸個人への浸透を近代社会の特徴とする。 たとえば、「再帰性」が浸透するにつれて、各地の伝統は「これまで伝承されてきたから」という理由だけではその継承が是認されなくなり、ある伝統が尊重される場合でも「なぜその伝統を守るのか」とその根拠がつねに問題視されるようになる。 「みずからの行為に関する情報を、その行為の根拠を検証し直す材料にすること」。 それがループ化すると、「自分はこれでいいんだろうか」という循環的な問い詰めが強迫化し、収拾がつかなくなる。 「自分の状態についての問題意識が高まれば高まるほど、勉強して病理に詳しくなればなるほど状態が悪くなってゆく。 フロイ
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