STAP細胞報道当初からの東浩紀さんのつぶやき、まとめなおしました。 3/16 五反田ゲンロンカフェで開催されるイベント、八代嘉美×東浩紀「科学と社会のコミュニケーションを考える――STAP細胞をめぐって」はこちらからニコ生で配信されるようです。 http://live.nicovideo.jp/watch/lv172056367
(↑長崎放送さん第一スタジオ:追記 2014年3月いっぱいで休止してしまうそうです…残念。) 編集部が素晴らしかったのは3月発売のラジオ特集本ってことで「震災でラジオがうんぬん」っていういつのも「いい話」満載で来るのかと思いきや、番組の「楽しさ」を中心にまとめていたこと。 申し訳ないけど震災とラジオの話、もうお腹いっぱい。防災に役立とうがなんだろうが、つまんない番組しかなかったら、ラジオのスイッチはOFFのまま防災袋で眠り続けるでしょ。もうご家庭にラジオがある時代じゃないんだから。 被災地取材、何度か行って50人くらいに話聞いたけど、ラジオを聞いたって人、一人しか出会えなかった。電気復旧するまでカーナビでテレビ見てたんだって。結構ショックだった。 「ラジオ好き」だけでいいのかい?で、ここからが本題。 誌面でラジオの未来を語っていたのは伊集院さんとInterFMのピーターバラカンさんくらい。
「STAP細胞」を巡る問題で、理化学研究所の調査委員会が、細胞の万能性を示した重要な写真が別の論文から流用された疑いなど4つの疑問点について不正かどうか判断するには、さらなる調査が必要だとする中間報告をまとめたことが分かりました。 また、小保方さんなど理化学研究所の共同著者は、論文を取り下げる意向を発表することにしています。 神戸市にある理化学研究所の小保方晴子研究ユニットリーダーなどのグループが、科学雑誌「ネイチャー」に発表したSTAP細胞の論文については、画像やデータに不自然な点が相次いで指摘され、調査が進められています。 NHKが入手した中間報告書によりますと、調査は6つの疑問点について行われ、このうちSTAP細胞が光る写真が加工されたかのように不自然に見える点や、別の実験結果として示された2枚の胎盤の写真が実際には同じものだった点については、「悪意」があったとは認定できないなどとし
要旨 独立行政法人理化学研究所(以下「研究所」)は、発生・再生科学総合研究センター(以下「CDB」)の研究員らがNature誌に発表した2篇の研究論文に関する疑義について、様々な指摘があることを真摯に受け止め、調査委員会を設置して調査を行ってきた。 調査は、現在も継続しており、最終的な報告にはまだしばらく時間を要するが、社会的な関心が高いことを踏まえ、調査委員会が調査を行ってきた6つの項目に対し、これまでの調査で得た結論及び調査継続中の事項について、中間報告を行うものである。 具体的な内容としては、以下の点となる。 2つの調査項目については、調査の結果、データの取扱いに不適切な点はあったが、研究不正には当たらないと判定したこと 継続して調査が必要とした4つの項目があること なお、現在も継続している調査については、事実関係をしっかりと把握した上で結論を導く必要があり、結論を得た時点で速やかに
映画ゼロ・グラビティは米国時間2014年3月2日に、監督賞や視覚効果賞、撮影賞などアカデミー賞の7部門を受賞しました。 この映画は宇宙の描写をリアルに表現し、高い評価を得ました。宇宙業界内でも高い評価が得られていますが、一部誤解を招く箇所もあります。 宇宙業界の一員としては、どこまでが真実で、どこを映画用に脚色したかを理解して見ると、この映画をより楽しむことができると感じました。今後この映画はDVD等のメディアで販売されたり、テレビで放送されることで長く話題を集めていくと思います。 なお、映画を見ていない方にはネタバレになってしまう個所もあるので、映画を見た後で以下を読むことをお勧めします。 ちなみに、タイトルも邦題は「ゼロ・グラビティ」(無重力)ですが、原作はGravity(グラビティ:重力)と違っています。 以下にこの映画を見ながら疑問に思ったことをいろいろ解説しますが、宇宙空間での描
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Gunosyの資金調達とテレビCMニュースキュレーションアプリの「Gunosy」が、テレビCMを展開するという発表がありました。 ■180 万ダウンロード超のニュースアプリ「グノシー(Gunosy)」、「ウルトラマン」を起用した TVCM キャンペーンを展開http://gunosy.co.jp/downloads/CM_PR20140314.pdf(※PDF) Gunosyは、TwitterやFacebookのアカウント情報から、自分にあったニュースを配信するサービスであり、非常に人気です。180万ダウンロードを超えるダウンロード数ということです。 ちなみにテレビCMの発表とほぼ同時に、KDDIとの資本提携も発表しています。 ■ニュースレコメンドエンジンのGunosyがKDDIと資本業務提携、調達金額は12億円かhttp://thebridge.jp/2014/03/gunosy-par
欧州連合(EU)の立法議会である欧州議会は3月13日(現地時間)、スマートフォンをはじめとするモバイル端末の充電器の統一に関する欧州委員会の提案書を採決した。 これにより、EU加盟国で販売するモバイル端末の充電端子はMicro-USBに統一されることになる。EUでは2009年、充電器の標準化で当時の主要メーカー10社(米Apple、韓国LG電子、米Motorola、NEC、フィンランドNokia、米Qualcomm、カナダResearch In Motion(RIM)、韓国のSamsung、英Sony Ericsson、米Texas Instruments)が合意している。今回の採決で、標準化が指令(Directive)になる。 欧州委員会によると、欧州では既に多くの端末メーカーがMicro-USBを採用しており、メーカーへの影響は最小限だという。 関連記事 欧州委員会、携帯の充電器をMi
これらの変更は、新しいデザインにより可読性を高める狙いがあるようです。 今回の仕様変更でもっとも大きなポイントは、タイトルの省略です。 長いタイトルの場合、基本的に30文字前後に省略されるようですが、短いものでは28文字まで省略されてしまいます。 ↓見た目はこんな感じです。 社名やサイト名を後ろに付けているサイトはタイトル変更が必要かも!? 私が管理しているサイトでも、各ページに後ろに付けている「サイト名」や「社名」が検索結果で省略されているケースが見られます。 ブランド力の強いサイトの場合、サイト名があるかないかで、 クリック率にも影響してきますので、場合によってタイトルの変更が必要かもしれません。 これまでは、タイトルをつける場合、32文字くらいを上限にしていたと思いますが、今後は省略されることも考慮して上限を28文字に上限にしたほうが良いでしょう。 これからはユーザーの検索意図をより
背景がボケた写真はそんなに素敵ですか フィルムカメラの時代は事実上最小の画面サイズが35ミリ判でした。ミノックスや一時期の110カメラの流行はありましたが、ミノックスはベテランが小さなフォーマットから高倍率の引き伸ばしをして楽しむもの、100カメラやAPSカメラ、ディスクカメラは一時期の流行でしかありませんでした。 フィルムカメラ時代は標準レンズを開放で使えば背景や近景がボケるのが当たり前でした。絞りを絞って被写界深度を調節できないのは初心者の撮り方でした。 デジタルの時代になりAPSサイズの撮像素子と望遠端がF5.6などという暗いズームレンズが一般的になりました。コンパクトデジタルカメラは更に撮像素子が小さくレンズの焦点距離が短いので、普通に写せばパンフォーカスの写真になります。 背景のボケた写真こそ一眼レフらしいという感覚が生まれたのだと思います。そのお手本とされるサイトを見ると、どん
3月2日に行なわれたACミラン対ユベントス戦。本田圭佑は後半26分からボランチとして出場したが、精彩を欠くプレーが見られるなど、存在感を見せることは出来なかった。チームも0-2で敗北した。 「私が注目したのはテベス選手の守備時の姿勢です。 骨盤が立っていて、背中が自然に伸びているので、 股関節の自由度が増える。だから素早く1歩目を 踏み出せるんです」 西本直(トレーニングコーチ) 日本とアルゼンチンが誇るモンスターの衝突だった。 3月2日、ACミラン対ユベントス戦の後半80分――。 ショートコーナーの流れから、右コーナー付近で本田圭佑とテベスが対峙した。本田がボールを拾ってドリブルを始めると、テベスがまわりを確認しながら近づいて来る。身長こそ本田の方が9cm高いが、体重はテベスの方が1kg重い。ともにパワーを武器にしているだけに、ただで終わるはずがなかった。 予想通り、迫力溢れるシーンが生
問題を起こしたと言われてる URAWA BOYS SNAKE "98 通称「蛇」らしい 見つけた範囲で適当にまとめ 蛇構成員のツイートあり↓ 続きを読む
3月8日、サッカーJ1浦和vs鳥栖戦が開催された埼玉スタジアムのコンコース内にある横断幕が掲示された。 横断幕は、最も熱心なサポーターが集うことで知られるゴール裏への通路である209という番号のついたゲートに掲示されていた。写真を見たい人は、「浦和 JAPANESE ONLY 横断幕」ぐらいなキーワードで画像検索すれば抽出されるはずなので、確認してみてほしい。 横断幕には「JAPANESE ONLY」(←「日本人以外入場お断り」ということ)という文字が大書されていた。 すぐ隣には大きな日章旗が並列されており、その二つのワンセットの垂れ幕は、大人ならアタマを下げないとぐぐり抜けられない高さに、ちょうど暖簾(のれん)のようなカタチで設置された。 で、その二つの垂れ幕をくぐりぬけた先には、大きな旭日旗が、スタジアム席の鉄柵を覆うように広げられている。 こうしてくどくどとゲートの風景を描写している
[1] なぜ浦和レッズは李忠成選手を獲得したか浦和レッズのサポーターによって出された差別横断幕”JAPANESE ONLY”の問題は、今日の午前の参議院の法務委員会にまで取り上げられ、そしておそらくこれを事前に意識して、Jリーグによる浦和レッズに対する措置が決定した。 有田議員・Jリーグ横断幕問題関連質疑全文 通例だとJリーグがこの手のクラブやサポーターの問題に処分を出すのは最短でも1週間、普通は2-3週間時間をかけて協議して決定する。おそらくこれはJリーグの担当官庁である文科省に対する国会質疑を重く見たのだろう。その結果異例の即断で、本日の発表になったと思われる。 無観客の措置は大変重い。年間20試合そこそこしかないホームゲームの入場料収入を失うだけではなく、様々な運営コストも負担になるだろうから収益上の損失も大きいし、社会的なインパクトも大きい。もちろん浦和の興行収入が減るということは
「排他主義」は決してチームを強くしないことを、無観客のスタンドから再確認したい件。 Tweet Share on Tumblr カテゴリ:サッカー 2014年03月14日01:11 客のいないサッカーなんて、河原の球蹴り遊びですね! 3月8日のJ1リーグ・浦和VS鳥栖戦で起きた「JAPANESE ONLY」横断幕問題で、浦和レッズに厳しい処分が下されました。13日のJリーグ村井チェアマンの発表によると、浦和レッズに対してけん責及び、1試合の無観客試合の開催という制裁を下すとのこと。Jリーグで無観客試合という制裁が下されるのは初めてのこと。浦和レッズはJリーグの歴史に大きな一歩を刻みました。 この処分の妥当性については、さまざまな意見があるところでしょうが、史上初というインパクトも含め、僕は「重い」処分であると感じます。まず無観客ということになれば、見込まれていたチケット販売による営業収入は
本日3月13日、午後2時からの「黒子のバスケ」脅迫事件初公判を傍聴しました。抽選にはずれて傍聴できないのはまずいと7人で地裁前に並んだのですが、意外と傍聴希望者が少なく、7人のうち5人も入れました。予想外に傍聴希望が訪れなかったのは、この裁判がわかりにくいせいかもしれません。既に渡辺博史被告は4回逮捕され、3件で起訴されていますが、きょうの初公判の時点でもまだ取調べが終わってないという奇妙な状況です。これはひとつには、脅迫の被害者があまりにも多数に及び、事実確認に時間がかかっているためです。これから起訴される案件もあり、証拠関係が出揃うのは4月になりそうです。 今のところ検察側は、最初の一昨年の上智大の硫化水素事件をひとつの案件、それと昨年10月のセブンイレブンなどへの脅迫や毒物菓子を置いたりした事件をもうひとつの案件と整理しているようです。10月の脅迫事件も、細かく言うと、2度にわたって
理化学研究所などのグループが発表した「STAP細胞」の論文で、細胞の万能性を証明するための重要な写真が別の論文から流用された疑いが出ている問題で、およそ1か月前には研究チームの一部のメンバーがこの問題を把握していたのに、外部の有識者も入った調査委員会には重要な問題と説明されていなかったことが関係者の証言で分かりました。 神戸市にある理化学研究所の小保方晴子研究ユニットリーダーなどのグループが、科学雑誌「ネイチャー」に発表したSTAP細胞の論文については、画像やデータに不自然な点が相次いで指摘され、調査が進められています。 この論文の中で、細胞の万能性を示し、研究の核心部分の1つとなる3枚の写真は、小保方さんの博士論文から流用された疑いが指摘され、理化学研究所は論文の信憑性にも関わる重要な問題と受け止めて調査しています。 NHKが関係者に取材したところ、およそ1か月前には、小保方さんと、研究
「ちゃーっすwwボキャ貧太郎でーっすwww 言葉とか、伝わればそれで良くねっすか?ww いや、だって、俺ってアホだし?いや、マジでwww」 ……と、私の頭の中のチャラ男が言っていました。うむ、一理ある。ぶっちゃけ、相手に意図さえ伝わるのであれば、使う言葉は最低限でもいいと思うんですよね。そもそもの「言葉」だって、コミュニケーションの媒介・道具でしかないわけで。 ところがどっこい。物事に流行り廃りがあるように、「言葉」にも流行はある。毎クール、同じ展開のハーレムラブコメアニメを見せられていたら飽きるように、同じ言葉や表現を聞き続け(読み続け)ていると、飽きる。刺激が足りぬ。うんざりしてくる。 (笑)が(藁)に変化し、「w」となり、今やウェブ上は大草原となってしまった。分かりやすいっちゃ分かりやすい。が、ブログ記事のタイトル一覧で、草がぼーぼーに生えているのを見るのも流石に嫌になってきた。たま
本日、名古屋CBCテレビの昼の情報番組「ゴゴスマ」で、武田邦彦氏がSTAP論文問題を解説していたのですが、それが驚くべき内容だったので、一部文字起こししました。 (武田) 昔は、金持ちの息子が学者になったんです。だから、時間や金の余裕がある。けど、今の研究者は、特に女の人、奥さん、家事や子育てやる、夜の1時から論文に取りかかる。で、ペターと寝ちゃう。どうしても昔みたいにちゃんと論文を書けないんですよ。 (石井アナ) え?先生、ドウイウコト、忙しいと? (武田) 忙しいしね、色々ある。審査官があれこれ言ってくる。そうしたら、だいたい間違えるんです。 (石井) いやいや、そこ大事なとこでしょう(笑)。三年前の論文の写真を使うというのは、なかなか… (武田) 目が霞んでいたんですよ。 (石井) 目が霞んでた!!? (武田) つまりね、学問はどんどん進歩してる。そんな厳密にしたら日本の若い人が論
いろいろな論点がある今回の問題ですが、深刻なのが、博士号とは何なのか、何をあらわしているのか、意味があるのか、という部分に疑問が呈されてしまったことです。 博士号なんて、コピペで取れるんだ、誰もチェックしないんだ… 多くの人達がそう思ったことと思います。それが、私は悔しくてたまりません。 何度か書いてきましたが、私は大学院時代の指導教官である浅島誠先生から、君は向いてないから別の道に行った方が良い、と言われ、博士号を取得せずに、大学院を中退し医学部に入り直しました。 自分の研究能力のなさという恥を晒すようで恐縮ですが、浅島先生は簡単に博士号を取らせてくれなかったわけです。クオリティコントロールは厳格でした。 正直恨んだこともあります。けれど、だからこそ、別の世界でがんばってやろうと奮起したし、早くから別の世界に行くことができたわけです。もしズルズルと研究を続けていたらと思うと、ぞっとします
皆様、こんにちは。えーと、今日はACLの話をしようと思っていた所なんですが、先日から問題になっていた 3月8日Jリーグ浦和レッズ対サガン鳥栖におけるサポーターによるコンコース入場ゲートでの横断幕掲出について こっちの問題について、浦和さんの方に、Jリーグから次節、清水戦での無観客試合という制裁がでました。 こっちの問題については、すでに色々な方が書かれていますし、ソーシャルメディアでも話題になってますから、僕が書くことは殆ど残ってません。なんで、差別の話については、僕は今回のエントリでは扱いません。 で、なんですが、これからの話は僕がいうような事でもない訳ですが(浦和サポではないので)、お願いレベルの話になります。 浦和レッズの今後の身の振り方について まず、この話からしておきますけど、今回の問題については、浦和のゴール裏サポーターの一部が埼玉スタジアムの209ゲートに「JAPANESE
警視庁田無署は18日までに、「尺八を教える」などと言って、新聞配達をしていた女子大生を自宅アパートに連れ込み、体を触ったとして、東京都東久留米市の米国籍で無職、アラキ・タツヤ・コドー容疑者を強制わいせつの疑いで逮捕した。 逮捕容疑は、14日午後4時ごろ、新聞配達していたアルバイト女子大生(19)を部屋に連れ込み、「尺八を吹けるようになるまで帰さない」などと言い、尺八を持たせ胸を触った疑い。 調べに対してアラキ容疑者は「尺八を教えていただけ」などと供述し容疑を否認している。 アラキ容疑者は尺八奏者の「荒木古童」5代目。米国で離婚してからは日本で1人暮らしを続けていた。荒木古童は1800年代初期から続いてきたという。
大学闘争の渦中で山口昌男を読み、「イデオロギー」の時代から「イコノロジー」の時代への転換を予感した――高山宏がかつてそんなことを言っていた。イコノロジー? いや、イコノグラフィーと言っておけば十分だ。いずれにせよ、危険な政治からは身を引き、無害な図像学ごっこで楽しもう、というわけである。 さて、その山口昌男の弟子筋にあたる坪内祐三の『靖国』が文庫化された(新潮文庫)。靖国神社をイデオロギー的に裁断するのではなく、図像学的なものも含めたさまざまな資料から多角的に見直してみる。そうすると、軍国主義のイデオロギー装置としての性格を強化される前――少なくとも明治末年ぐらいまでは、靖国神社もいわば遊園地のように楽しい場所だったこと、そういう記憶はいまもどこかに残っていることがわかる。そのような記憶の襞を丁寧に解きほぐしていくことではじめて、イデオロギー的な裁断の届かない庶民の心情の奥底にまで分け入る
週刊ダイヤモンドの記事「続・憂国放談」で、浅田彰×田中康夫の対談のゲストに宮台真司が来たときのこと。http://dw.diamond.ne.jp/yukoku_hodan/200512/ ぼーっと見てたら、浅田彰のフーコーの権力論(と統治論)の明快な整理があったので、ちょっと長いけれど引用。 (…)ギデンズやベックは第二の近代として再帰的近代ということを言っている。それに対して、ポストモダン思想などと言われる側では、ミシェル・フーコーが考え、ジル・ドゥルーズが延長した図式、ソヴリンティからディシプリンを経てコントロールへという図式があるんですね(フーコー自身は、早すぎた晩年の講義録などを見ると、ソヴリンティ/ディシプリン/セキュリティという三幅対で、ただし歴史段階論的にではなく考えていたようですが)。ソヴリンティ(主権)とは、要するに君主権ということで、神とか王とか父とかいうような超越的
言おうかどうしようかまよったけど、やはり書こう。 ユリイカの吉村光弘さんの文章とそのブログになんだかひっかかっている。「徹底的な他者=外部」などというあまりに観念的すぎて、わたしには全然意味のわからない言葉で批評が行われていること、ものすごく疑問というか、正直な感情を言えばそういう紋切り型の批評が復活してきていて、読み手がそういうものに免疫がないのだとしたらとても怖いことだと思っている。というのは、そういうことに疑問を感じずに彼の文章を杉本拓の非常に注意深く書かれた文章と同列に語ってる風情のブログをいくつか見つけたからだ。「徹底的な他者=外部」なんて今のところわたしは出会ったことすらないし、今後も戦争でもおこらないかぎり出会うことはないだろう。そんな究極の注釈なしには使うことが出来ないような紋切り型の言葉をいきなり使っていいのだろうか? 別に「徹底的な他者=外部」のような極端な言葉の使い方
先日、某音楽系の学校でレクチャーをやりまして、で、その日は、ここの生徒たちにとっては、1年間の最後の授業。授業終了後はさぞや盛り上がって、涙と笑いの打ち上げみたいになるのかと思いきや、なんと、まるで、1年の最初の授業の後、みたいな感じで、自己紹介とかしあってる。みんな他人行儀なのだ。そもそも打ち上げ自体がはじめてらしい。う〜〜〜ん、ちょっと考えてしまった。事態は深刻だぞ〜音楽青年たち(笑 オレ、ユリイカの菊地成孔対談で、安いチェーン店の居酒屋とか行ってないで、旨いもの食え・・・とか言ってますが、訂正、訂正。旨い店でメシを食え・・・とか言う前の大大大大前提としてですね、打ち上げくらい普段からしなさいよ〜〜〜もう。酒を一滴も呑めないオレが言うのもどうかとは思うが(苦笑。・・・ってか大人ぶって若いやつに向かってこういうことを言いたくなってしまったオレもどうかとは思うが(再苦笑。え〜〜でもですねえ
山口小夜子さんの訃報がはいったばかりだったのに、今度は富樫雅彦さんの訃報が。命日はリュック・フェラーリと同じ8月22日だそうです。 富樫さんとの共演は2001年3月に一度だけ新宿のPITINNで。メンバーは富樫さんとわたし以外に、杉本拓、石川高、Sachiko M、大谷安弘。素晴らしい演奏だったと思いますが、富樫さんがどう思っていたのか、多分、勝手な予想だけどあまり気に入ってなかったんじゃないかな? フリージャズ的なことはまったく起こらず、いわゆる音響的といえるような即興がひたすら展開したライブで、わたし個人は、その当時富樫さんがやられていたフリージャズ的なものよりも、こういう方向のほうが、より富樫さんのよさが出ているのでは・・・と思ったんですが、その後比較的すぐに演奏の現場を引退されたこともあって、御本人とそのことについて話す機会というか、お会いする機会そのものがなかった。なので、いった
ずっと日記を書いてなかったのは、サントラの仕事やライブが立込んで忙しかったのもあるけど、本当に半端ないくらいやることが沢山あって忙しいけど、でも、一番はパレスチナのニュースを見ていて暗澹たる気持ちになって、ブログを書く気がうせてしまったから。先日の高嶺さんとのイベントで全部歌で行こうと思ったのも、実はそういう理由もあったのだ。オレにとってはあの日高嶺さんや二階堂さんと歌った浅田美代子の「赤い風船」だって、NOVOTONOの「夢の半周」だって充分に反戦歌だ。オレが暗澹たる気持ちになったり、歌ったりしたところで、殺し合いも民族差別もなくならないのはわかってるけどさ。仕事でデモに行くことも出来なかったオレのせめてもの反戦歌。 でも、ここのとこ友人達と話していて、なんだか気分が晴れてきた。なにを話したってわけじゃないけど、まあ、ほとんどは世間話や、くだらない話だったりするけど、やっぱりオレにとって
実に嘆かわしい。早々ブログに書こうとおもったら、もうオレが言いたいことは、この2人が書いてますね。 http://onojima.txt-nifty.com/diary/2009/02/post-b3b9.html http://d.hatena.ne.jp/doubtwayoflife/20090218 さすが、怒れる中年 沼田順。いけいけ! オレはそういう沼田っちや小野島さんが大好き。 あ、余談だけどさ、この「はっぴいえんどトリビュートBOX」の微妙なデッサン具合がすきなんですよ。オリジナルと比べると、なんでだかとっても幸せになる。僭越ながら、オレもこんなかで名曲「風をあつめて」をカバーしてるんだけど、これも微妙にデッサンの狂ったカバー。オレここではじめてアコギのソロを録音したんだけどさ、微妙に狂ったカバーになってるのは狙ってやったんじゃなくて本気でやってそうなっただけ。でも自分ではと
現代日本を代表する音楽家・大友良英を追った、初の本格的なドキュメンタリー映画『KIKOE』が7月25日より渋谷ユーロスペースで公開する。監督したのは、大学時代に大友の授業を受けていたという、音楽への造詣が深い若き映像作家・岩井主税だ。5月29日の、爆音映画祭における先行上映でも大きな反響を呼んだ本作について、改めてお二人に語っていただいた。的確な思考に裏付けられた対談は長時間に及び、読み応えたっぷりに仕上がった。音楽や映画のみならず、クリエイティブに興味のある方であれば勇気づけられること請け合いの言葉に、ぜひじっくりと触れ、吸収していただきたい。 当初は作品が完成するだなんて、全く期待していなかったんだ(大友) ―ではまず、岩井さんが大友さんを知ったきっかけと、作品を制作するに至った過程を教えてください。 大友:『KIKOE』の制作で、主税くんは四六時中オレを追っていて、作品の編集中にもや
phewとbikkeが新録のカセットをリリースした。これがあまりに素晴らしくて・・・・。超ヘビーローテーション。 「音楽は無力だからこそ美しい。それがどんなに過激な音でも武器みたいに人を殺せないからこそ美しい。パンクが駄目だったからこそ美しかったように。音楽がご立派である必要なんてない。」 これ、今から8年前、2001年7月号のスタジオ・ボイス 「レヴォリューション・ポップ〜音楽による政治解放宣言!」の特集のときの巻頭に書いた文章の抜粋。全文は↓ここで読めます。 http://www.japanimprov.com/yotomo/yotomoj/essays/studiovoice307.html イルコモンズさんのブログを読んで、久々にこの文章のこと思い出しました。 で、今回のESEMBLES展「休符だらけの音楽装置」はそのこととちゃんと繋がっているんだなって。 最近「教訓?」をカバーし
▼[YouTube] "without records" - YCAM Otomo Yoshihide / ENSEMBLES 昨年、YCAMで大友良英が100台のレコード・プレーヤーを使ったインスタレーションを行なうという話をきいたとき、まずまっさきに頭に浮かんだのは、クリスチャン・マークレーが1992年に東京でやった「100台のターンテーブル・オーケストラ」だった。 このマークレーのオーケストラに、ターン・テーブル奏者の一人として自ら参加した大友もおそらく、いや、当然、そのことが頭にあったはずだが、結果として、大友がこしらえてみせた音響とその風景は、マークレーのそれとはまったく異なるものだった。両者の違いのひとつは使用する機材とその配置にある。 マークレーのインスタレーションではたしか、Technics のDJ仕様のターンテーブル(たぶんSL-1200シリーズ)が使われ、螺旋状に配置さ
聴覚の記憶を辿り直すことを未知の音場の構築に結びつけてゆく。それは様々な場面で様々な人が成してきたことである。デヴィッド・シルヴィアンは記憶の奥を幾層も巡ってゆく旅路の中でこれまでに幾多の未知を提示し開拓してきたが新作『マナフォン』は完全な即興演奏によるトラックを聴きそこで歌を湧き立たせることで作り出された。恐るべきことである。直感を研ぎ上げていくことで出現する歌。大友良英やフェネスらの紡ぎ出し発光させた音はゆらめき膨張し淡く溶けてゆきもする。音の中に分け入ってゆくシルヴィアンは過去も未来も現在も区別のない柔らかい歌の空間を鮮やかに切り開いてみせた。これも重要な音楽の未来である。
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