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追悼とElectronicに関するtxmx5のブックマーク (16)

  • R.I.P. Sophie | ele-king

    野田努 スコットランド出身のエレクトロニック・ミュージッシャン/DJのソフィー(Sophie Xeon)が2021年1月30日、事故によって亡くなった。アテネの自宅で満月を見るため手すりに登った際、バルコニーから滑り落ちたという。没年34歳。なんということか。 ソフィーの並外れた才能はひと言で言い表すことができるだろう。オウテカと〈PCミュージック〉の溝を埋めることができるおそらく唯一の存在だったと。トランス・ジェンダーの彼女は10年代におけるクイア・エレクトロニカ(アルカないしはロティックなど)を代表するひとりでもあったが、同時にヴェイパーウェイヴと並走していた、“楽器としてのPC” を使う世代によるエレクトロニック・ポップ・ダンス・ミュージックにおけるもっとも前衛的なアーティストでもあった。 アンダーグラウンドにおける彼女の最初の名声は、グラスゴーのダンス・レーベル〈Numbers〉の

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  • interview with Akio Yamamoto | ele-king

    ——山朗生が8ヶ月のドライヴを経て持ち帰ってきたものとは? Ele-king 1998年6月号より (*一部エディットしています) およそ8ヶ月ものあいだ、山朗生と佐脇興英のふたりを乗せた車は夜の高速道路を走っていた。タンツムジークのプライヴェイト・ロード・フィルムの撮影のためである。車のなかから、映像を担当した朝比奈学の8ミリ・カメラが外の世界を覗く。撮影は震災後の神戸にはじまって、新宿の新大久保、福生、横須賀、そして大阪の西成へと足を伸ばす。ときにはヤバい場所にも侵入して、フィルムを没収されそうになったこともあったそうだ。それでも彼らを乗せた車は、止まることを知らなかった。 いつの間にか、フィルムは膨大な量に増えていた。そのフィルムには、都会の隅っこに転がっている異様な熱気の多くが収められている。ネオン街、雑踏、米兵、夜の熱気、青い空、雲のような街灯。フィルムからもわかるように、タ

    interview with Akio Yamamoto | ele-king
  • ピーター・レーバーグの翻訳 ───PitaとEditions Mego (少しだけジギー・スターダスト)

    ピーター・レーバーグの訃報が飛び込んできた瞬間、この文章の当初の書き出しだった「もし地獄があるとすれば私たちは皆そこへ向かう…とはカーティス・メイフィールドが歌ったことだったが」と言う文章をDeleteして、改めてスタートするに至った。前置きしておくと、私がここに書くことはごく個人的なものでしかなく、所謂批評文とも全く違う。ピーター・レーバーグの歩みに関してはもっと詳細な文章や資料性の高いものがたくさんある。特に私は、ひとつの枠組みの中で音楽を偏執的に聴く能力に著しく欠けている…即ち専門性が皆無な人間なので、そういったものを望む人は以下全くもって読む必要がない。蛇足として加えると、私は1988年生まれなので、エレクトロニカ(※注)が勃興した時系列においてはやや後追い世代に当たる。それ故、リアルタイムに新しい電子音楽の到来を感じていたというよりは、電子音楽に興味を持った時それは「既にあった」

    ピーター・レーバーグの翻訳 ───PitaとEditions Mego (少しだけジギー・スターダスト)
  • Get out (of here)|0ckham

    2021年7月23日、PitaことPeter Rehbergが亡くなったことをINA GRMのTweetで知ることとなった。 活動初期から彼の作品をチェックし続けてきた一人として非常にショックでしばらくは何も手がつかなかった。 そして、直接の面識があるわけでもないアーティストの訃報に自分でも驚くほど動揺している数時間の間に世界各地から彼の死を悼むTweetが流れていくのをただ追いかけていた。 今まで自分は音楽について何か文章を書きたいと思ったことはほとんどないが、自分のとって大きな存在であったPeter Rehbergについて思うことを書くことで、自分の気持ちを整理すると共に彼への追悼としたい。 - なお、これから書くことは20年以上も前になることなので記憶違いなどがあるかもしれない。 もし事実誤認の箇所があれば、ご指摘いただければ幸いである。 - ディスコグラフィを調べれば、Genera

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  • R.I.P. Peter Rehberg | ele-king

    7月23日、ピタことピーター・レーバーグが逝去。明け方に見たガーディアンの見出しには53歳とあった。心臓発作だったという。レーバーグはエレクトロニック・ミュージックをダンスフロアから引き剥がし、エレクトロニカを先導したラップ・トップ・ミュージシャンの先駆者である。フェネスとともに現代音楽やミュジーク・コンクレートをリヴァイヴァルさせた中心人物といっていい。ウィーンを拠点にラモン・バウアーらと共同で運営していた〈メゴ〉からは自らの作品だけでなく、フェネスやヘッカーなど実験的なエレクトロニック・ミュージック(=ジム・オルークいわく「パンク・コンピュータ・ミュージック」)を矢継ぎ早にリリースすることでエレクトロニカというタームを引き寄せ、1999年には彼自身のソロ作『Get Out』と、フェネス及びジム・オルークと組んだ『The Magic Sound Of Fenn O'Berg』によってテク

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  • 追悼:Peter Rehberg|よろすず

    主にPitaの名義で音楽活動を行い、95年にRamon Bauer、Peter Meininger、Andreas Pieperが立ち上げたMegoの運営に少し遅れて加わり、それに続くEditions Megoの主宰としても広く知られるPeter Rehbergが亡くなりました。享年53才、The Gardianの記事によると死因は心臓発作とのことです。 私にとっては一人の大好きな音楽家というだけでなく、リスナーとしての最も強力な指針であり、作り手としてはいつか彼の元に自分の作った音を送ってみたいと、明確に意識する人物でありました。 あまりにも突然の訃報に何も手につかず、自分なりにしっかりとした哀悼の意を表さないことには最早他に何もできなさそうなので、なんとかして自分の足取りを確かめ、歩いていくためにこれを書いています。 PitaもしくはMegoの関連作と私が出会ったのは多分ですが2009

    追悼:Peter Rehberg|よろすず
  • ソフィー(SOPHIE)が急逝 安室奈美恵やマドンナ、チャーリーXCXらとの仕事で知られるアーティスト | Mikiki by TOWER RECORDS

    日1月30日、ミュージシャンのソフィー(SOPHIE)が亡くなった。 ソフィーことソフィー・ジオン(Sophie Xeon)は、86年、スコットランド・グラスゴー生まれで、米LAを拠点に活動していた音楽家。彼女の死は、英ガーディアン紙、Mixmag、NME、Clash Magazineなど、英国の複数のメディアが伝えている。ソフィーのチームによると、30日の午前4時頃、ギリシャ・アテネの自宅付近で不慮の事故によって亡くなったという。34歳だった。 ソフィーは、2013年に設立されたA. G.クック(A. G. Cook)によるレーベル〈PC Music〉周辺のプロデューサーとして知られるようになり、同年にシングル“Nothing More To Say”でソロ・デビューしている。その後、グラスゴーのクラブ・ミュージック・レーベル〈Numbers〉からの一連のシングルで高い評価を得た(それ

    ソフィー(SOPHIE)が急逝 安室奈美恵やマドンナ、チャーリーXCXらとの仕事で知られるアーティスト | Mikiki by TOWER RECORDS
  • クラフトワークはなぜ偉大なのか? 音楽史を塗り替えた「ロボット」の功績 | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)

    クラフトワークの共同創設者、フローリアン・シュナイダーが2020年4月21日に73歳で亡くなった。ドイツが生んだテクノのパイオニアは、後世のポップミュージックにどんな影響をもたらしたのか? ele-king編集長の野田努が解説する。 ※この記事は『CROSSBEAT』2013年6月号に掲載されたものです。 ※2024年2月9日追記:クラフトワークがFUJI ROCK FESTIVAL'24に出演決定。詳細は記事末尾にて 「ロボット」という永遠のコンセプト そのときの衝撃は、30年以上経ったいまでも鮮明に覚えている。僕は中学生で、ラジオで初めてクラフトワークを聴いた。「Showroom Dummies」という曲だった。到底、この世界の音楽とは思えなかった。いままで聴いたことのない何かに感じた。その翌年、『The Man-Machine』が発売された。僕が最初に買ったクラフトワークのアルバムだ

    クラフトワークはなぜ偉大なのか? 音楽史を塗り替えた「ロボット」の功績 | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)
  • 追悼:Mika Vainio

    フィンランドが生み出したエクスペリメンタル・ミュージックの巨星の死をBlast FirstのレーベルボスPaul Smithが思い出と共に悼む

    追悼:Mika Vainio
  • 追悼、Mika Vainio · Feature ⟋ RA

    フィンランドの電子音楽界のパイオニアが遺した膨大な作品群の中から、Andrew Ryceが重要作を分析する。

    追悼、Mika Vainio · Feature ⟋ RA
  • Mika Vainio 1963–2017: Finland’s great stone-faced sonic violator remembered by Rob Young - The Wire

    Mika Vainio 1963–2017: Finland’s great stone-faced sonic violator remembered by Rob Young - The Wire
  • Remembering Mika Vainio · Feature ⟋ RA

  • R.I.P. Mika Vainio | ele-king

    どう受け止めればいいのか分からない。あの不世出の電子音響作家であり、パンソニックのメンバーでもあったミカ・ヴァイニオが亡くなった。事故といわれている。詳しいことは分からない。突然といっていい。1963年生まれだから53歳だ。まだ若い。訃報を耳にしたとき、電子音楽の、実験音楽の聴き手として、大切な指標を失ってしまったと思った。パンソニックからソロまで彼の電子音楽は重要な指標だった。あのノイズが、あの音が、あの光のように瞬くサウンドが、いま、失われてしまった。悲しい。遠い国の、まったく会ったこともないアーティストなのに、どうしてこれほど呆然としてしまうのか。 よく言われていることだが、ミカ・ヴァイニオとイルポ・ヴァイサネンによるパンソニックの功績はクラブ・フロアにノイズを持ち込んだことである。「テクノイズ」、その言葉のとおりの完全実現はパンソニックの『ヴァキオ』(1995)だった。それはノイズ

    R.I.P. Mika Vainio | ele-king
  • 7 Songs Perfectly Capturing Pan Sonic’s Mika Vainio

    The late Pan Sonic member leaves behind a singular catalog of noise, minimal techno, and outer-limits experimentation. I only saw Pan Sonic once, around the turn of the millennium, and when I did, I zonked out. Not because it was boring—quite the contrary: the sub-bass frequencies the Finnish noise duo wrung out of their arcane electronic gizmos were just the thing to lull me to a vertical sleep,

    7 Songs Perfectly Capturing Pan Sonic’s Mika Vainio
  • RIP Susumu Yokota · News ⟋ RA

  • R.I.P. 横田進 | ele-king

    テクノ/ハウス/エレクトロニカのプロデューサーとして国内外に多くのファンを持つ横田進が、3月27日、長い病気療養のすえ永眠したことが最近わかった。音楽関係者との接点を持たなかったご遺族が、先日、遺品整理中に見つけた関係者からの手紙を頼りに報告があった。54歳だった。 横田進は、ハウス・ミュージックに触発されて、90年代初頭から格的な音楽活動をはじめている。初期の作品、1993年にドイツの〈ハートハウス〉からリリースされたFrankfurt-Tokio-Connection名義の12インチ・シングルは、都内の輸入盤店でも話題になった。当時勢いのあったジャーマン・トランスの重要レーベルからのリリースだったということもある。が、何よりも、無名の日人がいきなり海外のレーベルから作品を出すことがまだ珍しかった時代のことだった。いまや音楽は世界に開かれている──そんなオプティミスティックな気配がア

    R.I.P. 横田進 | ele-king
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