Improvised Music from Japan / Information in Japanese / Aki Onda / writings これは、友人のアラン・リクトが書いて、わたしが訳したものです。彼が数年前に出版した『An Emotional Memoir of Martha Quinn』A Drug City Book 2002 は、 80年代のニューヨークの街で起こっていた文化の胎動をストリートな視点でマニアックに書きつづった貴重なジャーナル。面白いからそのうち訳そうかなって思ってるんですけど、日本でだれか出版したいひとはいますかね? そういえば、こういうタイプのライターは日本では見かけないですね。 かつて、だれかが、グレン・ブランカをポストモダン・コンポーザーの草分けと定義したことがあるだろうか? もしそうでなければ、いまからでも遅くはない…。70年代末にボストンか
Improvised Music from Japan 制作・運営:鈴木美幸 Ftarri CDショップ コンサート・スケジュール Improvised Music from Japan の CDと雑誌 Hitorri(ひとり)/ Ftarri(ふたり)/ Meenna(みんな) Independent Labels in Japan(英語) 秋山徹次 伊東篤宏 今井和雄 内橋和久 大蔵雅彦 大友良英 恩田晃 河合拓始 ユタカワサキ 黒田京子 齋藤徹 杉本拓 Tamaru 田中悠美子 直嶋岳史 中村としまる ナスノミツル Haco 羽野昌二 広瀬淳二 Sachiko M 八木美知依 安永哲郎 山本精一 芳垣安洋 吉田アミ 副島輝人 横井一江 Astro Twin(アストロ・ツイン) アフター・ディナー インキャパシタンツ ヴュー・マスターズ 大友良英ニュー・ジャズ・クインテット 想い出波止
Improvised Music from Japan / Seiichi Yamamoto / Information in Japanese テキサスは暑くて顔のでかい男ばかりが住んでいるのでやんなっちゃった、と山本精一はテキーラをワン・ショット・グラスでたてつづけに5杯飲みほすと、ぶつぶつ念仏をとなえるように語った。 山本は8歳までテキサス州オースチンで育った。父親は宇宙物理学の教授である。母親は茶道をたしなんでいたが、テレビで「ゴーゴーフラバルー」を見るのが好きだった。オースチンの山本家の隣人は中国人で、カントリーのチャイニーズ・メランコリーズでフラット・マンドリンを担当していた。そいつはリンさんといった。高校3年の時山本は一度かっての我家をオースチンに訪ねた。その家はまだあった。そこにはコロムビア人一家が住んでいた。そいつらは庭でバーベキューをしながらビー・ジーズをラジカセで聴い
Improvised Music from Japan 、Seiichi Yamamoto 、Information in Japanese 8月 1日(火)東京、神田「ポラリス」午後7時開場、7時30分開演 『山本精一彼岸 guitar & songs』 前売り3,000円、当日3,500円(+ドリンク代700円) 5日(土)松山「音溶」午後6時30分開場、7時開演 ~KIKURI×mineo kawasaki×SPACEGRINDER presents… 山本精一 KASHIKOI ULYSSES mineo kawasaki SPACEGRINDER。 DJ's⇒BGMaron 前売り2,500円、当日3,000円(+1ドリンク) 松山市三番町2丁目10-6 Plum 三番町 1F 12日(土)大阪、難波「ベアーズ」午後7時開場、7時30分開演 「盆NO歌唱宵」 山本精一(歌、ギター
Improvised Music from Japan / Yoshihide Otomo / Information in Japanese 大友良英 この何週間か、かなりの数の友人、知人、あるいは知らない人からも戦争反対署名のチェーンメールが送られて来ています。中には非常に尊敬しているアーティストや評論家の方からも同様のメールが来ています。内容はだいたい同じで、戦争反対の署名を国連、あるいはホワイトハウスやブッシュに送ろう…というものです。そこに書かれている戦争反対に関する内容については、どれももっともなもので、それにどうこう言うつもりは一切ないのですが、ただチェーンメールの署名自体の有効性にはなはだ疑問があるので、一切返事も署名もしていません。が、そのこと以前に、チェーンメールそのものに、その内容いかんを問わず、なにかすごい抵抗感を感じています。それは今回に限ったことではありません。
Improvised Music from Japan / Yoshihide Otomo / Information in Japanese オレには実はギターが弾けない時期が10年間あった。87年から97年のことだ。こんなことを書くと、資料好きの人から、GROUND-ZEROやOPTICAL8でギターもやってたじゃない…といわれそうだ。イエス。確かに、この時期もオレはメインの楽器だったターンテーブルと同時に自作のノイズしが出せない8弦ギターや、フェンダーの67年製のムスタングをステージで結構弾いていた。でも、オレの意識の中では、この間はいわゆるギターというものを弾いていないのだ。正確には自分をギタリストだとは思っていなかった。ある出来事があって以降は、ギターという楽器をオレは弾いてはいけないと思い込んでいたのだ。だからギターをギターのようには弾くまい…いや、弾いてはいけないと思っていて
文化の役目について:震災と福島の人災を受けて(2011年4月28日 東京芸術大学での特別講演から) ENSEMBLES 09 休符だらけの音楽装置 ENSEMBLES 09『休符だらけの音楽装置宣言』 大友良英のJAMJAM日記(ブログ) 略歴 コンサート・スケジュール ディスコグラフィー(英語) インタヴュー 2001年 Filament 大友良英ニュー・ジャズ・オーケストラ 大友良英 ニュー・ジャズ・クインテットについて語る(ききて・構成:横井一江) 「Unlimited XIII: Mottomo Otomo」の記録 メールマガジン「大友良英のJAMJAM日記」定期配信申し込み JAMJAM日記 2005年 アルフレッド・ハルト | サンダル履きの貴公子 コル・フラー | アクセル・ドナーについて | 番外編「ディクソン・ディの挑戦、その3」 | 番外編「ディクソン・ディの挑戦、その
Improvised Music from Japan / Yoshihide Otomo / Information in Japanese 音楽に世界を解放する力なんてあるのだろうか? だいたい何を解放するのか? 音楽はかつて運動だった。連帯だった。横ノリのヴァイブレーションに反戦と反体制を謳歌した60年代末。縦ノリのビートに体を痙攣させ社会に唾を吐いた70年代末。20世紀後半の始まりはジャズ、フォーク、ロックを含むサブカルチャーの存在そのものが政治的ですらあった。80年代に入るとウォークマンの登場とともに音楽が個の所有物になっていく。そこにあるのは横ノリの連帯でも、縦ノリの運動でもなく、個の嗜好をたよりに社会をサバイバルするオタク的な感性だった。音楽から政治の匂いは消されて行く。陰影ある歌謡曲はこの時ほぼ死滅する。さらに時代は進む。90年代にはいると、強大なPAとサブウーハーにより、
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く