今や概念としても実体としても、この世界から消えつつある、真心と呼ばれるもの。これが聴く者の一番深いところに存在することを一切疑わず、全力で歌いかけている。それが私がテライショウタのソロ・プロジェクト、GOFISHのライヴを観た時の印象だった。名古屋を拠点に20年を優に超えるキャリアを持つアーティストが、こんなにも無垢な歌を紡ごうとしていることに、感動という言葉では収まらない衝撃を受けた。 2021年にリリースされた前作『光の速さで佇んで』は、誰かの真心に触れるためには、たとえそれが別れや喪失であったとしても、自分がすべてを受け入れなければならない。そんな静かな覚悟が、小さな部屋の中で鳴らされるフォーキーなサウンドの向こうに浮かび上がってくるような、コロナ時代に生まれた名盤だった。 そして今回発表された自身の名を冠したアルバム『GOFISH』。人類自身の愚かさによって残酷さを露わにした世界に
ピンクパンサレスやニア・アーカイヴズがドラムンベースを、オリヴィア・ロドリゴや WILLOW がポップ・パンクを再編集しリヴァイヴァル・ヒットさせたというのは、つまりマチズモの解体や柔軟なサウンド演出には少なからず女性性に立脚した視点が必要だったということだろう。ヒップホップにおいてジャージー・クラブのリズムを導入し、ラップ・ゲームに軽やかさという新たなムードを打ち立て TikTok を賑わせているのは、海外だとアイス・スパイスであり国内だと LANA である。クィアな世界観を持ち込むことで、ラウド・ロックにおいて近いことを成し遂げているのはマネスキンかもしれない。 では、メタルといういささか異質なジャンルにおいてはどうだろうか。メタルは基本的に重さ/速さ/激しさといったエクストリーム化を志向するため、軽やかさというベクトルを欲していない。けれども、実は一部のジャンル内ジャンルにおいては、
ヒネニ、ヒネニ 神よ、準備はできている “ユー・ウォント・イット・ダーカー” 自分の死を予見していたとしか思えない。デヴィッド・ボウイの『★』ほどコンセプチュアルではないにせよ、2010年代に入ってからの『オールド・アイディアズ』(2012)、『ポピュラー・プロブレムス』(2014)、そして本作『ユー・ウォント・イット・ダーカー』は20世紀を代表する詩人が自らの晩年と死期を綴った連作だと……訃報のあとの現在からはよりいっそう感じられてしまう。ただ、まだ彼がこちら側にいた頃――ほんの数週間前だ――、本作を聴いた自分の頭に浮かんだのは「まだ自分にはわからない」ということで、それはコーエンが82歳を迎え死と対峙していることをその時点でたしかに嗅ぎ取っていたからだ。 たとえば先日他界したアンジェイ・ワイダの結果的な遺作『ワレサ 連帯の男』が20世紀のかつての理想主義を描いていたように、あるいはイー
クリスマス・シーズンに英国で流れる曲は、毎年決まっている。 ザ・ポーグス&カースティ・マッコールの"Fairytale of New York"、スレイドの"Merry Christmas Everybody"、ボブ・ゲルドフ&仲間たちの"Do They Know It's Christmas"などである。が、数年前から上記曲群の仲間入りをしているのが"Hallelujah"だ。といっても、街中でかかっているのはレナード・コーエンのオリジナルではなく、数年前にオーディション番組で優勝してクリスマス・チャート1位になった女性歌手のカヴァー・ヴァージョンや、『シュレック』で使われたジョン・ケイルのヴァージョンもある。ジェフ・バックリーのカヴァーもかかるし、ルーファス・ウェインライトのヴァージョンも耳にする。 「秘密のコードがあると聞いた。ダビデが弾いて、神がそれに喜んだという」 という歌詞で始
音楽を愛したことでも知られる19世紀のドイツの哲学者アルトゥール・ショーペンハウアーは、譜面のなかにダ・カーポ記号がある意味について独自の解釈をしている。すなわち、もういちど最初から繰り返すということは、音楽に込められたものは一回聴いただけでは理解できないほど深いからだと。これが言葉表現の場合、ダ・カーポされたらゲンナリすること請け合いだ(たとえばここにD.C.があったら、読者はこの文章を見捨てるに違いない)。音楽は繰り返し聴かれることを歓迎するし、なんどもダ・カーポして聴かなければわからない音楽もある。そう、ジョン・ケイルの新作『マーシー』のように。 今年81歳になるロック界のレジェンドの説明をここでする必要はなかろう。ジョン・ケイルは故郷ウェールズを離れロンドン大学に進学し、そしてアメリカに渡ると60年代のクラシック音楽界における若い世代による革命──実験音楽ないしはミニマル・ミュージ
イケてるヤツはディーン・ブラントを聴いているが、今年はバー・イタリアも聴いている。 今年ももう1ヶ月を切り、年末の締切やライヴの準備などに忙殺されながらも今年を振り返るとバー・イタリアが記憶に鮮明に焼きついている。 2020年にファースト・アルバムをリリースしてから約3年の活動期間ですでに4枚のアルバムをリリースしている多作なバー・イタリア。前作『Tracey Denim』でばっちり心掴まれた方が多いと思うが今年2枚目のアルバム『The Twits』ではまた趣が違ったツボをついてきた。 ファースト・アルバム『Quarrel』、セカンド・アルバム『Bedhead』は共にディーン・ブラント主宰のレーベル〈World Music〉からリリースされていてギターや露骨な切り貼り、ミックスに至るまでまんまディーン・ブラント節の2枚だった。そんな2枚から2年を置いて今年5月に〈Matador Recor
謎が音楽を面白くする。もちろんそうだ。ゾクゾクする美しい悪夢のようだった前作『bedhead』がそうだったように、謎に包まれたバー・イタリアはずっと僕の心をとらえて離さなかった。ディーン・ブラントが主宰する〈World Music〉からリリースされた2枚のアルバムは、そのどちらも1分あるいは2分と少しの短い曲をまるで映画のシーンのように繋ぎ合わせてひとつの物語、イメージを作り出すというスタイルで、ディーン・ブラントの匂いがそこから強く発せられていた。ミステリアスで、どこか人を喰ったようなユーモアを持ち、そしてこぼれ落ちていく夢のようにはかなく美しい音楽を作る、バー・イタリアとはそんな存在だったのだ。 だがそれから2年の時間が経って、そのヴェールが少しずつはがされてきた。バー・イタリアはディーン・ブラントとコペンハーゲンで展覧会を開いていたイタリア人女性ニーナ・クリスタンテとサウス・ロンドン
Home > Reviews > Album Reviews > Brian Eno, Holger Czukay & J. Peter Schwalm- Sushi, Roti, Reibekuchen ドナルド・トランプとの指名争いからいち早く降りたフロリダ州知事ロン・デサンティスはこの5月、州法から「気候変動」の文字をあらかた消し去った。この改定によってフロリダ州の企業は6月1日から二酸化炭素出し放題、風力発電は禁止、公用車も低燃費ではなくなるらしい。最高気温45度も5000億円の被害をもたらした暴風雨も20センチの海面上昇も左派の陰謀で、デサンティスはフロリダ州を左派や環境活動家から守ったと勝ち誇っている。トランプが再び大統領になれば同じことがアメリカ全土に広がっていくのだろうか。アメリカの消費社会は減速しない。前進あるのみ。『Climate Change(気候変動)』というタイト
荒廃した都市の深淵から深く、そして重厚に響く強烈な音響。アンビエント、ドローン、ノイズ、ヴォイス、工業地帯の音、いわばインダストリアル・サウンド、そしてエコー。それらが渾然一体となって、崩壊する世界の序曲のようなディストピアなムードを醸し出している。このアルバムにおいて、ふたりの才能に溢れたアーティストが放つ音は渾然一体となり、さながら都市の黙示録とでもいうべき圧倒的な音世界が展開されていく……。 といささか煽り気味に書いてしまったが、このアルバムの聴き応えはそれほどのものであった。ザ・バグことケヴィン・リチャード・マーティン(KRM)と、〈Dagoretti〉、〈Editions Mego〉、〈Other Power〉などの先鋭レーベルからリリーするナイロビのアンビエント・アーティトのジョセフ・カマル(KMRU)によるコラボレーション・アルバム、KRM & KMRU『Disconnect
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