iPadを見た。 買うことになるだろう。 わかっている。どうせ買うのだ。それもたぶん一週間以内に。三日か五日の間買わずに我慢するのは、自分に対する言い訳に過ぎない。あるいは手続きみたいなものだ。よく頑張ったぞオレ、とそう自分に言い聞かせながら、でも結局買う。いつもそうなのだ。セルフおあずけストラテジー。デジタルマゾヒストのティピカルな行動パターンのひとつだ。 見せてくれた編集者氏は、ほとんどアップルのセールスマンだった。それほど全力で私にiPadの魅力をアピールした。 「で、ここをこうするとほらフォトフレームになるわけです」 「……うう……」 「動画も見られますよ」 「……うう……あ……」 「ね。なかなかの画質でしょ?」 「…………」 それにしても、こういうブツをいち早く手に入れた人間は、なにゆえに必ずや布教活動を展開することになるのであろうか。あまた生まれいずる市井のペテロたち。その無償
書籍の世界に劇的な変化が始まっている。中世ヨーロッパで誕生したという、紙に印刷された本という形が、電子書籍に変わろうとしている。小説もノンフィクションもネットからダウンロードして、専用端末で読書する時代が到来したのだ。この革命的な変移によって、出版社、印刷会社、取り次ぎ、書店が構築してきた従来の構造は、生き残りを賭けた再構築を迫られている。 果たして、紙の本は、Kindle(キンドル)やiPadといった電子書籍に駆逐されるのだろうか…。 新しい価値観の台頭には必ずといっていいほど、バック・ラッシュが付きものである。手軽さだけが本ではない、と本造り職人たちの反動の声が聞こえ始めたのだ。そのうちの一人にお目にかかることにした。彼は半世紀ものあいだ、手業で本を造り続けてきた製本職人である。その職人との対話で見えてきたのは、意外にも、紙の本の復権であった。職人は、本が物としての輝きを持っていた時代
昔日の学生運動盛んな折、多分にもれず、京都の立命館大学も全学封鎖されるにいたった。が、「S教授」の研究室だけは普段通り、深更に及んでもなお煌煌と明かりがついていたという。 「学生たちにはそのたった一つの部屋の窓明りが気になって仕方がない。(略)無言の、しかし確かに存在する学問の威厳を学生が感じてしまうからだ」 作家で京大教授でもあった高橋和巳は、『わが解体』で当時の様子をこのように記している。 漢字の研究を軸に東洋思想の根底を探求したS教授こと、白川静は、2000年に渡り定説となっていた漢字の字源解釈を覆した研究者である。今でこそ、その業績は「白川学」と呼ばれ賛辞されてもいるが、長らく無名に近い存在であった。 世事をものともしない不覊独立のたゆまぬ歩みがつくり上げた学問領域は、民俗から詩歌、字書編纂と、およそ個人で成し遂げたとは思えないほど幅広く、さながら知の山脈を形成している。 本著は白
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