本論文・レポートのリンクおよびシェアは自由です。画像や文章を抜き出して引用する場合は出典を明記してください。まとめサイト等への掲載や転載は禁止します。 それは、ある男の不可解な急死によって始まった。 その男の名は森重吉氏、淡路島洲本の小路谷(オロダニ)で四州園という旅館を営業していた。彼は、旅館の湯殿を建てようとして整地していたところ、遺跡としか思えないものを掘り出してしまったのだ。その夜、うめき声をあげながら急死した。昭和9年9月、享年47歳であった。遺跡と急死の因果関係はわからないが、さらに、一逮夜の日、室戸台風が襲来し、旅館まで大被害を受けたのである。 近所の人々は、岬神の祟りであると恐れ、その遺跡を埋め戻してしまったのである。 この遺跡が脚光を浴びるのは、昭和27年まで待たなければならなかった。 白山義高氏は、この遺跡がイスラエル人の遺跡であるとの自説を発表し、その話を聞いて、昭和