軍隊と売春婦の関係は古く、ジョージ・ヒックスは、ローマ帝国では、ローマの守備隊や遠征軍に女性捕虜(奴隷)を供給し、セックス・サービスを提供させると共に、看護、洗濯、料理などの仕事に従事させたと述べている[1]。 近世までの軍隊は、女子供を含む民間人を伴って移動した。まだ軍隊は自己完結型の組織ではなく、軍隊の需要を満たす為に商人や職人がおり、女は洗濯婦やお針子として働いた。こうした人々をキャンプ・フォロワーという。キャンプ・フォロワーは、19世紀の南北戦争やナポレオン戦争でも見られた[2][3]。 キャンプ・フォロワーの語は、しばしば売春婦の同義語として用いられるが、これは正確ではない。しかし、キャンプ・フォロワーの中には兵士相手に売春する女性もおり[2]、十字軍の遠征にも売春婦が同行していた[4]。 中世のエチオピア皇帝の軍隊には、非軍人を含めた数十万の人々が従軍したが、その中には本職の売