先週土曜日(2011.01.15)にミームデザインスクールの、鈴木一誌さんの講義で「お相手」をヤラセてもらって来た。 鈴木さんとは「日本語の文字と組版を考える会」からの付き合いだ。 「会」は鈴木さんが「ページネーション・マニュアル」を発表したことも一つの契機ではじまったようなものだったと思う。 で、その講義のための打ち合わせで話していたことを、鈴木さんが「10」に整理してくれたのが下記のレジュメ。 鈴木さんは課題を整理してまとめるのが抜群にうまい。いつも感心する。 いや、むしろオイラも「得意」なつもりでいたんだけど、鈴木さんにはとってもかなわない。 講義で受講者から質問をとったのだけど、その質問は捻れていて、なにが「質問」なのか 理解するのがとても難しかった。 鈴木さんは、それぞれの要点を軽く捕まえていく。 その上、それに一対一で応えるのではなくて、また講義を続けて、そのなかで質問と関連づ
2011年01月19日13:19 カテゴリ本経済 資本主義の不安 きのうのアゴラ連続セミナーでは『資本論』を読んだ。この準備のために、10年ぶりぐらいに訳本を読んだが、あらためてすごい本だと思った。といっても、昨今のマルクス本のように「プレカリアートの味方」だとか「人間疎外を告発した」とかいう話ではない。マルクスは、そういう凡庸な平等主義を否定していた。 一般には、マルクスの価値論はリカードの焼き直しだと思われているが、廣松渉も指摘するように、彼は価値実体論を疑い、あと一歩で労働価値説を否定するところまで行っている。たとえば等価形態を説明する部分には、有名な次のような叙述がある:この人が王であるのは、ただ他の人々が彼に対して臣下としてふるまうからでしかない。ところが彼らは反対に、彼が王だから自分たちは臣下だと思うのである。これは「価値は距離のようなもので、一物の価値というのはありえない」と
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く