昨日の菊池実先生のお話の中の一点をお分かちしたい。 ヘブル語は動的、実体的であることに特徴がある。「ことば」を意味する「ダーバル」は、同時に、「物、出来事」という意味を持っていることにもそれは現れている。あるいは、「名」というのは単なる記号ではなく、その人格そのものをさしている。 ヘブル語が動的であるというのは、たとえば、「礼拝」とは「ひれ伏す」という意味、「悔い改め」は「立ち返る」という意味、「希望」とは「待つ」という意味である。 特に印象深かったのは「罪」と「感謝」のコントラスト。「罪」(ハーター)とは「的をはずす」ことである。神を愛するという的から外れた生き方。 他方、「感謝」(ヤーダー、ヤーラー)は反対に弓術で用いられる言葉で、「(目標に狙いを定め)、それに射る、投げる、命中する」という意味である。つまり、私を造り、私を贖って、私を生かしてくださっている神に感謝して生きることことこ