三十年戦争ではブランデンブルクはしたたかに振る舞ったと言われている。ドイツ各地が荒廃してゆく中で、大選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルムは「プロイセン」の独立を勝ち取り、様々な局面で漁夫の利を漁った。しかし、いかに政治達者と言えども、ブランデンブルク、後のプロイセンが巧妙に立ち回れたのはプロイセンが弱かったからである。いずれの大国にとっても全力で叩き潰すほどの重要性を持たなかったからこそ、放置されたのであり、その「弱者の強み」から脱却を余儀なくされたのはフリードリヒ大王の時であった。 ドイツ史にあって、フリードリヒ2世と言えば、神聖ローマ帝国皇帝とプロイセン王の2名が存在するが、いずれも天才の名に相応しい君主である。しかし天才が必ずしも王国を幸福にするとは限らない。 単に同じ名前を持つと言うにとどまらず、この両名にはいくつもの相似があった。合理主義者で冷笑家で、政治が時に非合理的なものであると