ヨーロッパで核兵器を戦術的に大量使用することを掲げたアメリカの新しい核戦略は地上部隊の編制改革にまで及ぶ大きな変化でしたが、アメリカの軍事専門家たちが新戦略に向けて足並みを揃えていたという訳でもありません。アイゼンハワーの下には、大量報復戦略についての推進派と懐疑派との明確な対立があります。 推進派の筆頭は1953年から1957年まで統合参謀本部議長を務めたアーサー ラドフォード海軍大将でした。大戦中は空母部隊を指揮していたアメリカ海軍の航空派という経歴から想像される通りにラドフォードの姿勢は大量の人員と維持費の掛る地上兵力に対して極めて冷たく、その対ソ戦争観も革新的なものがあり、「オフタックル」のような第二次世界大戦を思い起こさせる長期戦争計画を過去の遺物として強く否定し、核兵器による大量報復戦略の有効性とその抑止力に絶対の自信を持っていました。 ラドフォードの提唱した将来戦の姿はソ連軍
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