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歴史と 社会に関するamanoiwatoのブックマーク (4)

  • 「ヒトラーを支持したドイツ国民」ロバート・ジェラテリー 著

    アドルフ・ヒトラー率いるナチス第三帝国はその十二年の統治の間、ドイツ国民の支持を広範囲に得て味方につけ、その維持に力を注いだ。ほとんどの場合、ドイツ国民は自らの意思で、積極的に、戦局が悪化して体制崩壊寸前となってもなお独裁体制を支持し続けた。メディアを積極的に活用したヒトラー政権はさまざまな残虐行為を隠すよりも公開して、その意義を訴える一方で、巧みに情報統制を行い、国民もそれに同意したのである。 『第三帝国の歴史では一貫して、同意と強制とはもつれ合っている。その理由の一部は、国民がほとんど好意を抱いていなかった特定の個人、少数派、社会集団を狙って強制と恐怖の手段が行使されたからだ。』(P2) このでは、そのヒトラー政権を支持し続けた国民たちの姿が当時の公文書や新聞、メディア、その他さまざまな文書を元に生々しく描き出されている。上下二段組み全324ページの大著である。 ワイマール(ヴァイマ

    「ヒトラーを支持したドイツ国民」ロバート・ジェラテリー 著
  • 朝日新聞デジタル:慰安所行った、でも話せない 元兵士「妻や子にも迷惑」 - 社会

    慰安所の行列に並んだ体験を語る男性。日に残した恋人の存在が胸をよぎり、逃げ出したという=大阪府内  【武田肇】旧日軍の慰安婦問題に関心が集まっているが、元兵士たちはその体験を胸に秘したままだ。敗戦から68年、葛藤に悩みながら亡くなった人も多い。語れない理由とは――。  「家族にも一切明かしたことのない話だ」。関西地方の90代の男性は6月中旬、喫茶店で記者にそう切り出した。  太平洋戦争が開戦した1941年、旧満州(中国・東北部)の国境守備隊に配属された。兵士は約1万人。ソビエト連邦(当時)と川一つ隔てた小さな町に慰安所が4軒あった。うち1軒が下級兵士が利用できる軍指定の施設だったという。「内地には公娼(こうしょう)制度があったから不思議には思わなかった」  月1回、外出が許可されると慰安所に通った。建物の特徴から「白壁の家」と呼ばれ、いつも順番を待つ若い兵士の行列ができていた。相手にす

    amanoiwato
    amanoiwato 2013/07/02
    『「(当時)慰安婦は必要なのは誰だってわかる」と語った橋下氏に憤りが募った。「戦場を見てきたかのように軽々しく言ってほしくない」』
  • 「日本人奴隷」3人、メキシコに…安土桃山時代 : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    安土桃山時代末の1597年、日人が「奴隷」としてメキシコに渡っていたことがわかった。 ポルトガル人で同国立エヴォラ大特別研究員ルシオ・デ・ソウザさん(大航海時代史)と、東大史料編纂(へんさん)所の岡美穂子助教(日欧交渉史)がメキシコ国立文書館に残る異端審問記録で確認した。「日人奴隷」の実態を示す貴重な資料であり、日人の太平洋渡航を詳細に記した最初の資料としても注目される。研究成果は近く海外で出版される予定。 審問記録には、日名の記載はないが、名前の後ろに「ハポン(日)」と明記された、「日生まれ」の人物の名があった。「ガスパール・フェルナンデス」「ミゲル」「ベントゥーラ」の3人で、いずれも男性とみられる。 ガスパールは豊後(大分県)生まれ。8歳だった1585年、長崎で日人商人からポルトガル商人のペレスに、奴隷として3年契約7ペソで売られた。その後の詳細は不明だが、引き続きペレス

  • 朝日新聞デジタル:いせや公園店、石器時代も焼き鳥? 跡地から「調理場」 - 社会

    「礫(れき)群」と呼ばれる遺構は、火を使った調理場だったと考えられている。焼けた石などが集中して出土したナイフのような形をした旧石器時代の石器ありし日の「いせや公園店」=昨年5月、武蔵野市  【津田六平】昨年、建て替えのため取り壊された、焼き鳥店「いせや公園店」。東京都の井の頭公園の入り口にあり、立ち上る煙と香り、木造店舗は吉祥寺の「顔」だった。この跡地を発掘したら、なんと約1万5千年前の「焼き場」が見つかった。私たちの祖先もここで鳥を焼いてべていたかもしれないのだ。  およそ1万5千年前といえば、後期旧石器時代の末期。石器を使い、狩猟や採集で暮らしていたとされるころだ。  もちろん、いせやが開いていたわけではない。創業は85年前。精肉店から立ち飲みを中心とした焼き鳥店に衣替えし、安くてうまいと評判を呼んだ。公園店は、2号店として1960(昭和35)年に営業を始めた。  それから半世紀余

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