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歴史と裁判に関するamanoiwatoのブックマーク (4)

  • 東京五輪デザインノート - 原田治ノート

    「パクリ」疑惑の渦中にあるデザイナー氏は、わが母校と同じ多摩美術大学グラフィックデザイン科の出身で、去年からは母校の大学教授に就任しておられた。 そして多摩美の宣伝物にも教授自らがデザインをされていたのだが、ネット上ではとうとうその多摩美デザインにも「パクリ&コピペ」が発覚してしまった。この問題に大学側がどう対処するかはまだ公表されていない。しかしこれはデザイン科の存立危機にまで及ぶ問題に発展するでしょう。さてどうする、晩節を汚してくれたわが母校、多摩美術大学。 このドタバタ騒動の発端となったベルギーの裁判は、いよいよこの22日からスタートします。これは商標権といった商法上の(商売のための)訴訟ではありません。国際的な知的財産権(文化芸術のため)をめぐる裁判になるのです。訴訟の傍証として、グラフィックデザイナーが出身校の美術大学で教授となりパクリやコピペを平然とやっていたら、反証の余地など

    東京五輪デザインノート - 原田治ノート
  • 産経新聞「米国の司法が慰安婦問題は法的にはもう終わったとする審判」は誤報 - macska dot org

    慰安婦問題は国際法上すでに解決済みである、と主張する論者が、その論証の一部として、韓国台湾中国・フィリピン各国の元慰安婦が日政府をアメリカ連邦裁判所に訴えた裁判の判決を挙げることがよくある。たとえば産経新聞は今月一日、次のように報じた。 韓国などの「元慰安婦」と称する女性たちが2000年9月に日政府を相手に米国で起こした訴訟は、連邦地裁、高裁、最高裁、さらに高裁への差し戻し、高裁からまた最高裁への上告、そして最高裁による棄却と、複雑な経過を6年近くもたどる。 (略) このプロセスで米国の各裁判所が一貫して明示したのは、慰安婦問題は戦争時の案件として、1951年の対日講和条約、65年の日韓基条約、72年の日中共同声明、78年の日中平和友好条約ですべて解決済みだとする判断だった。米国の司法が慰安婦問題は法的にはもう終わったとする審判を下したのである。 以前からこうした主張は何度かみか

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  • ただ一人の目撃者

  • 伊藤博文を撃った男 - クタビレ爺イの廿世紀裏話

    伊藤博文を撃った男 安重根(アンジュングン)の真実 [ハルビンの凶変] 韓国で切手にもなっているこの男の事を、日人は殆ど知らない。          かって震え続けた山河、アリランの切ない歌が生まれた国がこの男を育んだ。1909年 10 月 26 日、この日、男は中国大陸の東北部の大都市ハルビンに居た。彼は一人の日人を待ち焦がれていたのである。それは当時、枢密院議長をしていた伊藤博文 68 歳である。伊藤は、大日帝国の進路を決めた明治の元勲である。ハルビン駅午前九時、北の大陸の朝の事であった。この二人の男の運命は、ハルビン駅のホームで交錯する。互いに面識があった訳でもなく、幾許かの言葉を交わした訳でもなく、ただ韓国の男が発したものは、六発の銃弾であった。伊藤博文暗殺の瞬間である。 安重根(アンジュングン)、これが伊藤博文を撃った男の名前である。それから丁度 90 年の歳月が流れようと

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