落語家の三遊亭円楽さん 肺がんで死去、72歳 脳梗塞から8月高座復帰も…がん治療再開した矢先に
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上方落語界の大御所で、落語家で初めて文化勲章を受章した人間国宝の桂米朝(かつら・べいちょう)さん(本名・中川清=なかがわ・きよし)が19日午後7時41分、兵庫県尼崎市内の病院で肺炎のため亡くなった。89歳。衰退していた上方落語を復活させ、故6代目笑福亭松鶴さん、故5代目桂文枝さん、3代目桂春団治と「四天王」と呼ばれた。テレビの司会やラジオの語りでも親しまれた。 一門関係者によると、昨年初めごろまで兵庫県内の自宅で弟子らと談笑、晩酌を楽しみながら穏やかに過ごしていたが、その後、入院生活が続いていた。 約2年前、兵庫県内の自宅で高熱を出し嘔吐(おうと)を繰り返して緊急入院した。誤嚥(ごえん)性肺炎と診断され、その後も高熱、嘔吐が続いたが、奇跡的な回復を見せ、自宅へ戻った。今年1月下旬、危篤状態になったが回復した。状態を安定させる手術、治療などを受けたが、意識はあいまいな状態が続いていた。2月下
端正な語り口で知られる上方落語の第一人者で、人間国宝の桂米朝さんが、19日夜、肺炎のため亡くなりました。89歳でした。
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戦後落語界の風雲児として絶大な人気を誇った、立川談志(たてかわ・だんし<本名・松岡克由=まつおか・かつよし>)さんが21日、死去した。75歳。 東京都出身。小学生のころから寄席に通い、1952年、16歳で五代目柳家小さんに入門、小よしを名乗った。63年、五代目談志を襲名し真打ちに昇進した。
「落語に興味ありますか? 落語家・月亭方正さんのインタビュー取材があるのですが…」。そういわれ「え? つきていほうせい? 聞いた事ないなぁ…」と調べてみたら、なんと、あの「ヘタレ芸人」と呼ばれる(スミマセン)山崎邦正だった!? というわけで。2つの名前を使い分ける山崎邦正こと月亭方正さんに、お話を伺ってきました。 落語はひとり新喜劇? 落語をはじめたきっかけ ――落語との出会いについて教えてください。 山崎邦正(月亭方正) 1968年2月15日生まれ。兵庫県出身。1988年、デビュー。1991年、第12回ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞受賞。以後、テレビ番組『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』、『笑う妖精』などに出演、2009年には舞台『新宿ミッドナイトベイビー』でオカマバーのママ役を好演。一方、2008年より「月亭方正」として活動開始。上方落語協会会員 「実は、はじめて落語
日本テレビ系の演芸番組「笑点」の司会などで知られた落語家の三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく、本名・吉河寛海=よしかわ・ひろうみ)さんが、29日午前8時15分、肺がんで亡くなった。76歳だった。 東京都台東区の寺に生まれ、1955年に六代目三遊亭円生に入門。全生を名乗り、58年に二つ目、62年の真打ち昇進と共に五代目三遊亭円楽を襲名した。 端正な顔立ちと博識で人気を得て、60年代の演芸ブームでは立川談志、古今亭志ん朝、橘家円蔵と「寄席四天王」と呼ばれた。78年に円生とともに落語協会を脱退、翌年の円生の死後も一門を率い、円楽一門会の名で活動を続けた。 また、テレビ番組に積極的に出演し、「笑点」は初回から参加。いったん落語に専念するが、82年に司会者となり、2006年5月に勇退するまで、老舗番組の看板として活躍した。 晩年は、腎不全、脳こうそく、胃がんなどの病気と戦い、07年には落語家を引退。
「若手落語家とファンが交流できる場を」と、店内に高座を備えた「らくごカフェ」がきょう3日、東京・神田神保町に本格オープンする。落語をテーマにした常設のカフェは珍しい。経営者でライターの青木伸広さん(38)は「新しい落語文化を発信できれば」と意気込んでいる。 ・“やす”は禁句!小朝、加護と2人芝居挑戦 古書店の集まる「神田古書センター」5階にある「らくごカフェ」は、もとは古書店だったスペースに、テーブルやカウンターとともに高座を配置。ふだんはカフェとして営業しながら、約50人を収容するホールとして落語会を貸し切り開催できるようにしている。 「神田と名の付くところに落語を聞ける常設の小屋がないのは残念」。地元で育った青木さんは、そんな思いから昨年12月、落語をテーマにしたカフェを開店。その後、「本格的な落語会を開ける場に」と準備を進め、高座の照明や音響面では、若手落語家からもアドバイスし
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