タグ

証言に関するamanoiwatoのブックマーク (2)

  • 戦時中の一般招集兵について - 最近ふと疑問におもったことなのですが、以前私が小学生のころ、祖父から戦時中に招集され他国(国名はわす... - Yahoo!知恵袋

    戦時中の一般招集兵について 最近ふと疑問におもったことなのですが、以前私が小学生のころ、祖父から戦時中に招集され他国(国名はわすれてしまいました)へ行ったという話を聞きました。 私はてっきり兵隊として銃をもち相手国と戦ったのかと思いましたが、祖父は「自分はその国の内部にいたから直接戦ってはいない、外部にいた人たちは戦っていたけどね」みたいなことを言っていました。 そこで質問なのですが、祖父のように戦闘員(少し語弊がありますが)ではなくて他国へ駆り出された一般兵もいたのでしょうか? またいた場合はどのような目的(任務内容など)で彼らを派遣したのでしょうか? 「そのとき日にピカ(原爆のこと)が落とされたって聞いて、〇〇(私の祖母)は無事かとても不安だった」とも言っていたのでたぶん終戦間際の話だと思います。 数年前に祖父が他界してしまい話を聞くことができないため、ご存知の方がおられましたら教え

    戦時中の一般招集兵について - 最近ふと疑問におもったことなのですが、以前私が小学生のころ、祖父から戦時中に招集され他国(国名はわす... - Yahoo!知恵袋
  • 沖縄慰霊の日:「絶対生きろ」投降促した知事の言葉胸に- 毎日jp(毎日新聞)

    「女、子供に敵は何もしないから君たちは最後は手を上げて出るんだぞ」。沖縄戦の組織的戦闘が終結したといわれる1945年6月23日の直前、当時の島田叡(あきら)知事=兵庫県出身=から掛けられた言葉を胸に、県警察部職員だった山里和枝さん(85)=うるま市=は戦後67年間を生きてきた。島田知事はその後、沖縄島南部・摩文仁(まぶに)の軍司令部壕(ごう)に向かい、消息を絶った。語り部として戦争の悲惨さを訴え続ける山里さんは言う。「知事は私に『絶対に生きろ』と言ったんです」 45年5月、沖縄守備軍司令部が置かれた首里にほど近い県庁壕に、海軍から県庁職員を看護要員として派遣するよう要請があった。県警察部職員だった山里さんはすぐに応じた。「どうせ死ぬ命。少しでも役に立って死にたいと思った」 だが、たどり着いた海軍壕(豊見城=とみぐすく=市)は「地獄」だった。病棟には薬も包帯もない。治療どころではなく、壕外

  • 1