音楽に詳しくないからうまく形容できないんだけど、アップテンポ気味でやたらキラキラしてて、リフレインが多めなのに聴いたそばから忘れてしまいそうな、毒にも薬にもならない洋楽 ああいうジャンルってどんな名前がついていて、どんな人たちが歌ってて、どんな人たちに支持されるんだろう 誰か教えてくれ まあでも、「ふだんロック聴かない人にとってはストーンズとビートルズの違いが分からない」みたいなもんなのかもなー
![服屋で流れてる系の洋楽あるやん?](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/b1638cdb5807a4788e4ba3c1109a984166e095fc/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2Fimages%2Fog-image-1500.gif)
音楽に詳しくないからうまく形容できないんだけど、アップテンポ気味でやたらキラキラしてて、リフレインが多めなのに聴いたそばから忘れてしまいそうな、毒にも薬にもならない洋楽 ああいうジャンルってどんな名前がついていて、どんな人たちが歌ってて、どんな人たちに支持されるんだろう 誰か教えてくれ まあでも、「ふだんロック聴かない人にとってはストーンズとビートルズの違いが分からない」みたいなもんなのかもなー
天は猫さんには二物も三物も与えたんだなぁ!!!お幸せに!
https://anond.hatelabo.jp/20191110185123 より。自分から消すことはありません/2019-11-11 16:03追記 すまん、オリジナルとは別の人です。こういうのって運営が消してるのか投稿者がビビって消したのかどっちかなと思って再投稿してみた。 これ、実は30年前からずっとだよ。 腐女子界隈は蟲毒のツボなの。ずっとつぶし合いをやってる。 男性向けにだけ矛先が向いてるかのように見えるけれども、実際には腐女子内部でもつぶし合いをし続けてるの。 これはもちろん腐女子全員がってわけじゃない。でも嫌いな表現をつぶすことに全力を傾けてる人たちがかなり多い。腐女子の中には頭がおかしいぐらいに気に入らないサークルや作品をつぶそうとがんばる人が多いし、相手をつぶす手段も洗練されてしまってる。 たまたまそれがネットでリーチした結果、男性メインとか少年誌に向いてるってだけの
これ、実は30年前からずっとだよ。 腐女子界隈は蟲毒のツボなの。ずっとつぶし合いをやってる。 男性向けにだけ矛先が向いてるかのように見えるけれども、実際には腐女子内部でもつぶし合いをし続けてるの。 これはもちろん腐女子全員がってわけじゃない。でも嫌いな表現をつぶすことに全力を傾けてる人たちがかなり多い。腐女子の中には頭がおかしいぐらいに気に入らないサークルや作品をつぶそうとがんばる人が多いし、相手をつぶす手段も洗練されてしまってる。 たまたまそれがネットでリーチした結果、男性メインとか少年誌に向いてるってだけの話だよ。 腐女子がゾーニングをしてるから偉いっていうのは100%嘘。被害妄想に凝り固まった被害者モンスターが、すぐに徒党を組んでサークルをつぶしにかかるからだよ。 男性向けサークルは、本当に平和なのに腐女子は修羅の国。すぐに嫌いなものを見つけたら被害者モンスターになる。こんなひどいも
昨年6月、福岡市内で有名ブロガーが刺殺された事件の裁判が11日午前に始まる。被害者は「Hagex」のハンドルネームで活動していた男性。被告は、ネット上で誹謗(ひぼう)中傷を繰り返していた男だ。 事件が起きたのは2018年6月24日、日曜日の夜。起訴状などによると、あらましはこうだ。 福岡市中央区の旧大名小学校跡地の起業家支援施設では、この日午後5時半から、IT関係のセミナーが開かれていた。講師を務めたのは、インターネットセキュリティー関連会社の社員、岡本顕一郎さん(当時41)。セミナー終了後、1階のトイレに入った。 そこに無職松本英光被告(43)=福岡市東区=が現れた。同7時4分ごろに施設に侵入し、岡本さんを待ち伏せしていた。7時59分ごろ、松本被告はトイレやその近くで、持っていたレンジャーナイフ(刃渡り約16・5センチ)で岡本さんの首や胸、背中などを多数回刺し、殺害したとされる。 約3時
10月31日未明に起きた大規模な火災で焼失した首里城(那覇市)は、早期の復元を望む声が湧き上がっている。すでに寄付金集めが全国で行われているという。 ただ再びの復元には莫大な金が必要なほか、十分な職人や木材や漆など用意できるのか難問続きだ。とくに問題となっているのは、「正殿」に必要な木材だろう。無垢で大径長大木が必要とされるからだ。 実は、私は前回の復元(1992年)ではタイワンヒノキが使われたという報道を聞き、ちょっと疑った。なぜなら、その頃はすでにタイワンヒノキは伐採禁止であり、日本への輸出はできないはずだったからだ。 ただ調べてみると、86年には復元計画に先立って木材の調達を始めていた。当時も制限はかかっていたが台湾も特例で認めてくれ、木材業者も協力してくれたという。 なるほど、完全に伐採禁止になる前から集めていたのか。とはいえ、かなり無理をしたはずだ。台湾側には「これが最後」という
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