「……最後のご挨拶に参りました」 残った兵はわずかに800余、自身も7か所の傷を負った貞将は、高時が陣を構える東勝寺にやって来ます。 「多年の功績により、そなたを両探題職(りょうたんだいしき)並びに相模守(さがみのかみ)に任ずる」 ……入道不斜感謝して、軈て両探題職に可被居御教書を被成、相摸守にぞ被移ける。 ※『太平記』巻第十「大仏貞直並金沢貞将討死事」 両探題職とは執権および連署(れんしょ。執権に署名を連ねる。副執権)を指し、この時点で連署には北条茂時(もちとき)がいるため、5月18日の守時討死で空席となっていた執権と解釈可能です(諸説あり)。 また、相模守は執権に就任した者の多くが任官しており、ここに貞将は鎌倉幕府の第17代(最後の)執権となったのでした。 ……もちろん、滅んでしまえばすべてムダなのかも知れません。それでも死してなお朽ちぬ名を求めてこそ武士の本懐。 「多年の所望、氏族の
![たった一日の執権職…鎌倉幕府最後の執権・北条貞将が見せた忠義の心意気 : Japaaan](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/9fe3a919e5e22b2b52c962a34866707dfa1c840d/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fmag.japaaan.com%2Fwp-content%2Fuploads%2F2022%2F05%2F73a5d8460d6253e6782dc49b249f82bc-1280x720.jpg)