2007年11月01日 寺田ヒロオの晩年 寺田ヒロオはトキワ荘をでたあと、しばらくして中村八大(「上を向いて歩こう」で有名な作曲家ですね)の妹の旺子氏と結婚。茅ヶ崎に転居します。 そして昭和34年(1959年)少年マガジン・少年サンデーの二誌が創刊。 時おりしも高度成長期。漫画は週刊誌時代に突入しました。 寺田ヒロオは少年サンデーに「スポーツマン金太郎」を連載し好評を得てヒットします。 翌年その「スポーツマン金太郎」で第一回講談社児童まんが賞を受賞。まさに絶頂期です。 けれど、寺田ヒロオは悩んでいました。もともと筆は遅い。週刊のペースで納得のいかない漫画を描く事に。 そして、「もっと派手な展開を」と要求する編集者に、なによりも人気とり最優先でどんどん表現がドギツクなっていく児童漫画の世界全体に・・・ 「スポーツマン金太郎」終了後、同じくサンデーに柔道漫画「暗闇五段」昭和39年(1964年)