ベアテ・シロタ・ゴードン ベアテ・シロタ・ゴードンは、ジャパン・ソサエティ、アジア・ソサエティのディレクターとしてアジアのパフォーミング・アーツ及びアジア美術を米国に紹介してきた第一人者。NYジャパン・ソサエティー・オブ・パフォーミング・アーツの初代ディレクター、ザ・アジア・ソサエティ・パフォーミング・アーツ・フィルム・アンド・レクチャーズのディレクターを歴任する。22歳のベアテは、ダグラス・マッカーサー総司令官によって1946年に作られた憲法起草会議の20人のメンバーのうちの一人となる。マッカーサー元帥は連合国軍総司令部の総司令官として会議を開き、占領下日本人の為の新憲法草案を書くように命令したのであった。 ベアテ・シロタは1923年ウィーンにて、父レオ・シロタと母オーギュスティーヌという、キエフ出身の両親の間に生まれた。両親とも1922年にオーストリア国籍を取得していたため、ベアテの国