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ブックマーク / ameblo.jp/mintaka65 (1)

  • 『大隈重信暗殺未遂 来島恒喜』

    早稲田大学を設立した大隈重信は外務大臣時代に右翼活動家に爆弾を投げつけられ右足切断の重傷を負いますが、その実行犯である来島恒喜の墓が谷中霊園にあります。 来島恒喜は安政6年(1860)に福岡藩士・来島又右衛門の二男として福岡に生まれます。明治16年(1883)に上京し中江兆民に仏語を学んだ後、右翼の巨頭・頭山満率いる玄洋社社員となります。 来島は明治22年(1889)に、日への不平等条約解消のために外務大臣の大隈重信が中心になってとりまとめた条約改正案が不平等の解消につながらないと反対し、玄洋社を退社したうえで帰宅中の大隈が乗る馬車を襲撃。爆弾を投げつけ暗殺しようとします。大隈は一命を取り留めたものの右足切断の重傷を負い大臣を辞任。当時の黒田内閣も騒動のため総辞職したため条約改正は頓挫してしまいます。

    『大隈重信暗殺未遂 来島恒喜』
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