鎌倉時代末期から南北朝時代。利害により敵味方が入れ替わる激動の時代。 そんな時代において本来、肉親は信頼できる味方になり得るはず。 今回紹介するのは、足利尊氏の息子の足利直冬(あしかが-ただふゆ)。 青年に達した時期から父である尊氏、また義理の兄弟である義詮(2代将軍)の 反対勢力として存在することになります。 反対勢力となったのはなぜか? また、尊氏・義詮に対してどのような反抗勢力であったのか? 直冬の軌跡を辿ってみることにしましょう。 不遇の生い立ち~尊氏に敵対するようになった主要因~ 足利直冬の生年はわかっておらず、没年は1387年とされている。 幼名は新熊野(いまくまの)。 尊氏の次男として生まれ、兄に竹若、弟に義詮、基氏らがいる。 尊氏が鎌倉幕府に反旗を翻した時、鎌倉にいた竹若、直冬は命の危険にさらされる。 1332年、竹若は北条の手にかかり殺害されてしまうが、東勝寺の喝食をして