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nhkと災害に関するamanoiwatoのブックマーク (5)

  • NHK NEWS WEB 20歳になった“震災遺児”

    20歳になった“震災遺児” 1月16日 17時20分 発生から20年になる阪神・淡路大震災。 震災前後に生まれた人たちはことし、成人式を迎えました。 その中には、生後4か月で母親を亡くした1人の女性もいます。 母親の死後、残された家族が、女性を支え続けてきました。 それぞれの震災20年の思いを神戸放送局の右田可奈記者が報告します。 祖母が母親に 神戸市灘区の短大生、浦田楓香さん(20)。 20年前の阪神・淡路大震災で母親を失った「震災遺児」です。 震災で、楓香さんと家族が住んでいた2階建ての集合住宅は全壊。 母親の智美さん(当時19)は住宅の下敷きになり、亡くなりました。 楓香さんが生後4か月の時でした。 楓香さんは、「震災当時のことを全く覚えていなくて、祖母から話を聞くくらいしか記憶がありません。祖父母がお父さん、お母さんだと思って私は成長してきました」と話しています。

    NHK NEWS WEB 20歳になった“震災遺児”
  • 「あまちゃん」が描いた3・11 その見事さと対照的なテレビ報道の貧弱さ(水島宏明) - 個人 - Yahoo!ニュース

    9月2日(月)朝のNHK連続テレビ小説「あまちゃん」をドキドキしながら見たのは日中でいったい何人いたのだろう。 前の週からドラマは大きく展開していた。能年玲奈演じる天野アキは念願だった映画「潮騒のメモリー」で主役の座を射止め、撮影は無事に終了。主題歌をアキが収録するスタジオで、母・天野春子(小泉今日子)が手の歌声を示したことで、女優・鈴鹿ひろ美(薬師丸ひろ子)は春子が長く自分の影武者として歌っていた事実をつきつけられる。冷徹な敏腕プロデューサー荒巻太一(古田新太)も、かつて使い捨てにした春子に対して初めて謝罪する。鈴鹿ひろ美も春子にわびて三者は和解した。わだかまりがすべて解けてハッピーエンド。特に前週後半2日は涙なしには見られない展開だった。 アキは古巣のアイドルグループGMTと合同のライブコンサートの練習に励んでいた。すべてが幸福だった。コンサートの日付は、2011年3月12日。その

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  • あまちゃん、大吉とユイが見た衝撃の景色 | Web日本鉄道旅行地図帳 BLOG 悠悠自鉄 | 新潮社

    9月1日は関東大震災が起こった日です。その関連の記事を先週5日間ブログに掲載しました。今日は9月2日(月)ですが、NHK朝ドラ「あまちゃん」では、3月11日でした。たまたま今年は9月1日が日曜日だったからでしょう、関東大震災の日にして防災の日、ここに3月11日を持ってきたんですね。 大吉が乗務する北三陸鉄道の列車は、地震によって畑野トンネル内で急停車しました。東京に向かうためにこの列車に乗車していたユイ。前方に見えるトンネル出入口に向かって歩いて行く大吉。そして出入口に立ち尽くします。目の前には津波によって何もかもが破壊された景色がありました。大吉に続いてその景色を見たユイも呆然と立ち尽くしました。 ここで使われていた変わり果てた景色は、実際には島越(しまのこし)駅付近の景色です。 ▲撮影:編集部 平成23年4月30日 大吉とユイが見たことになっている景色とほぼ同じ位置から撮影したのが、こ

  • 「あの大きな揺れのさなか、中学生が訓練通りリヤカーでお年寄りを助けに行く姿を想像し、行くな、と思った」(シンサイミライ学校 片田敏孝教授の言葉)

    「あの大きな揺れのさなか、中学生が訓練通りリヤカーでお年寄りを助けに行く姿を想像し、行くな、と思った」(シンサイミライ学校 片田敏孝教授の言葉) Posted on 2013年8月12日. Filed under: ボランティア | タグ: 防災, 東日大震災 | 東日大震災に関するテレビ番組はよく観るけど、録画リストを消化中に強く惹きこまれたのがこの番組だった。 「釜石の奇跡 片田敏孝先生のいのちを守る特別授業 第三回 私たちがふるさとを守る」:NHK シンサイミライ学校 岩手県釜石市で津波防災教育に約10年に渡って取り組み、2011年3月11日に起こった東日大震災では小中学生の生存率が99%という“釜石の奇跡”を生んだ片田敏孝教授。 番組は、彼が和歌山県田辺市のある中学校を訪れ、座学や地域での実践、釜石への訪問などを通して津波防災を生徒たちに体得させていくという構成だ。震災当時に

    「あの大きな揺れのさなか、中学生が訓練通りリヤカーでお年寄りを助けに行く姿を想像し、行くな、と思った」(シンサイミライ学校 片田敏孝教授の言葉)
  • 津波水没のビル 22人助かる NHKニュース

    おととしの津波でほぼ水没した、宮城県女川町の5階建てのビルで、中にいた22人が溺れずに生き延びていたことが、当時の映像や証言で明らかになりました。 窓がなく、空気の逃げ場がない部屋だったため、空気の圧力で水が一定以上侵入しなかったとみられ、専門家は「震災の重要な教訓であり、今後の津波対策のために細かく検証すべきだ」と話しています。 女川町の中心部にある「女川町生涯教育センター」は、鉄筋コンクリート造りの5階建てのビルで、東日大震災が発生した際、周辺から多くの人が逃げ込みましたが、高さ20メートルある屋根まで津波が達しました。 当時、町役場の屋上からこのビルを撮影した写真では、最も高い津波が押し寄せた際、屋根の先端だけを残してビルが水没した様子が分かり、撮影した役場の職員も「5階までは水没していた。中に人がいても生きていないと思った」と話しています。 ところが、5階の機械室に逃げ込んだ、高

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