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価値観に関するami-go40のブックマーク (3)

  • 「べき論」は避ける“べき”?価値観の押し付けと「おすすめ」 - ぐるりみち。

    べき‐ろん【べき論】 《「べき」は助動詞「べし」の連体形》義務を果たすこと、理想を実現しなければならないことなどを強く主張する論調。「そうするべき」「こうあるべき」という言い回しから。 (べきろん【べき論】の意味 - 国語辞書 - goo辞書) インターネット上の言説に限れば、「〜べき」という「べき論」に対してネガティブなイメージを持っている人は多いように見える。試しに検索してみても、「良いことがない」「執着」「自分を滅ぼす」「捨てよ!」といった否定的な意見が多い。 しかし一方で、こうした主張もまた「『べき論』はなくす “べき” 」という「べき論」に縛られているように見えなくもない。特に「捨てよ!」なんてタイトルは、そのまま「捨てるべき」に換言してもまったく違和感がないので。上記辞書の意味を借りれば、 “強く主張する論調” は「べき論」と大差ないとも言えそうだ。 そんな「べき論」について、

    「べき論」は避ける“べき”?価値観の押し付けと「おすすめ」 - ぐるりみち。
  • 「のせい」を、やめる。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    春がやってくる。 ぼくの周囲にも、色々な出会いと別れがあって、ばたばたと忙しい中でもふと感傷的になったりする。 この時期によく聞くのが、会社事情での異動や転勤の話だ。 不意な異動を言い渡された人が、ものすごく怒っている場面に出くわすことも多い。 今まで必死に頑張ってきたのになんで! これほど会社に貢献してるのになぜ! ぼくもサラリーマンとして、そんな理不尽さに憤りを感じながら生きてきた。 自分がこんな不遇なのは、会社が自分の能力を理解していないせいだ、そしてこんなつまらない時代に生まれたせいだ、と。 だけど、最近、気づいてしまった。 会社のせいにしているのは、会社に頼ろうとしているから。 時代のせいにしているのは、時代に乗ろうとしているから。 若いあいだはそれでいいのかもしれない。 何かに守られながら力をつけることは大切だ。 だけど、ぼくらは早めに、それらに全身を預ける生き方から卒業した

    「のせい」を、やめる。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
  • 何を書いていいのか分からなかった - K Diary

    昨日は3月11日だった。はてなブログでもいろんな人が当時のことを書いていたし、テレビでも被災した人たちのインタビューとかが流れていた。まだ復興できていないと思うし、原発もいやだなーこわいなーと思う。ただ、その出来事自体について何かを書こうとしても全然書けない。「あの日を境に価値観とか人生観が変わった」という友人、知り合いも多い。だけど、僕はそんなことは少なくとも自覚的には無くて。なんだか、自分の感受性が乏しいのかな、なんて思ったりもする。友達も家族も被災していないし、別にどうでもいい事なのだろうか?もしかしたら、そうなのかもしれない。色んなインタビューとかを見て大変だなあと感じるし、この言葉あまり好きじゃないのだけれど可哀そうだなあ、なんて思いはするけれど、結局それ以上でも以下でもないというか。亡くなった人たちに祈りを捧げる?僕はその祈りに意味があるとは思えない。いや、僕が祈る、ということ

    何を書いていいのか分からなかった - K Diary
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