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哲学に関するami-go40のブックマーク (11)

  • コラム53:迷惑はかけてもいい|運営委員・相談員のコラム|学習相談室|東京大学大学院法学政治学研究科・法学部

    コラム53:迷惑はかけてもいい 日人ならたいてい子どものころから、親や学校の先生などから、「他人に迷惑をかけてはいけません」と言われて育ってきたのではないだろうか。そのため、「他人に迷惑をかけてはいけない」というのは、普遍的な道徳律だと思っている人も多いのではないかと思う。私も数年前までそう思っていた一人だった。しかし、どうやらこの教えはそれほど普遍的な規範とは言えないようだ。日語教師をしている私の知人によれば、中国ではこのような規範を子どもに教える親はほとんどいない代わりに、「困っている人を助けなさい」と教える親が多いという。私の友人韓国人によれば、韓国でも「他人に迷惑をかけるな」という人はいるものの、日ほど多くはないという。むろん、日でも「困っている人を助けなさい」と教える親もいるだろうが、「他人様に迷惑をかけてはいけない」と教える親に比べると、圧倒的に少数派だろう。 新約聖

    コラム53:迷惑はかけてもいい|運営委員・相談員のコラム|学習相談室|東京大学大学院法学政治学研究科・法学部
  • #105 何かを上達させたいなら他人と比較せず、失敗を恐れないことです | 岸見一郎 25歳からの哲学入門

    運動、外国語、料理など、どの分野においても、人並みレベルになるまでに時間がかかるという人がいます。たしかに達成が困難なことはあります。そのため、着手してもすぐにできなかったり学べなかったりすると、自分にはできないと思ったり、そもそもやる前から断念したりする自分に嫌気がさしたりすることがあります。 アドラーは詩人ウェルギリウスの「できると思うがゆえにできる」という言葉を引用しています(『子どもの教育』)。「できると思ったらできるのであれば苦労はない」といいたくなるかもしれません。アドラーは「誰でも何でも成し遂げることができる」ともいっています(『個人心理学講義』)。 このような主張をしたアドラーは批判されましたが、彼の主張の核心は、初めからできないと思ってしまうと、それが生涯にわたる固定観念になり、そのような思い込みをなくせば達成は可能であるということでした。「何でも」は言いすぎかもしれませ

    #105 何かを上達させたいなら他人と比較せず、失敗を恐れないことです | 岸見一郎 25歳からの哲学入門
  • 千葉雅也氏が伝授「難解な哲学書」の読み解き方

    読書はすべて不完全である 稿では、「いかにも現代思想的な文章」をどのように読むか、そのコツ をレクチャーしたいと思います。 専門家の立場としては、現代思想の細やかなレトリック(文章の技法)を楽しみ、深く読めるようになってほしいのですが、でもそれより、徹底的にハードルを下げることが最優先だと思います。 細かいところは飛ばす。一冊を最後まで通読しなくてもいい。読書というのは、必ずしも通読ではありません。哲学書を一回通読して理解するのは多くの場合無理なことで、薄く重ね塗りするように、「欠け」がある読みを何度も行って理解を厚くしていきます。プロもそうやって読んできました。 そもそも、一冊のを完璧に読むなどということはありません。改めて考えてみると「を読んだ」という経験は、実に不完全なものであると気づきます。たとえ最後まで通読しても、細部に至るまで覚えている人はいません。強く言えば、大部分を忘

    千葉雅也氏が伝授「難解な哲学書」の読み解き方
  • 読書メモ:『現代思想入門』 - 道徳的動物日記

    現代思想入門 (講談社現代新書) 作者:千葉雅也 講談社 Amazon 大学生から大学院一年生の頃までのわたしはいっちょまえに「哲学」や「思想」に対する興味を抱いており、哲学書そのものにチャレンジすることはほとんどなかったが、様々な入門書は読み漁っていた。現代思想については難波江和英と内田樹による『現代思想のパフォーマンス』でなされていた紹介をもっとも印象深く覚えており、次点が内田樹の『寝ながら学べる構造主義』や竹田青嗣の『現代思想の冒険』。個別の思想家についてはちくま新書の『〜入門』やNHK出版の『シリーズ 哲学のエッセンス』を読んでいたが、とくに後者についてはあれだけ何冊も読んだのに一ミリも記憶が残っていない。そして、修士論文を書くために英語圏の倫理学や政治哲学のをメインに読むようになってからは現代思想に対する興味はすっかり薄れて、以降ほとんど触れなくなってしまった。 千葉雅也による

    読書メモ:『現代思想入門』 - 道徳的動物日記
  • 精神科の先生に「哲学者が考えていることを素人が素人知識でずっと悩んでいるんだから、そりゃ気も病む」って言われたのずっと気にしてる→「腑に落ちた」

    SURUME @SRM20220503 @my_free_t 真理すぎる 哲学という学問の研究者は努力し徹底的に理詰めして書いたり読みまくっていると言うのに、素人だのに一丁前に深刻ぶって色々おかしい方向へ考えすぎてしまうのはそりゃ病みますねw リプ欄、素人て言葉にひっかかる気持ちは分かるけど研究者さんとは流石に並べないわ。私は禅は組むけど。 2023-02-02 11:47:12

    精神科の先生に「哲学者が考えていることを素人が素人知識でずっと悩んでいるんだから、そりゃ気も病む」って言われたのずっと気にしてる→「腑に落ちた」
  • 今後の世界の行き先、「人間性」の肯定と否定について - 関内関外日記

    寄稿いたしました。 blog.tinect.jp シャーデンフロイデ……他人を引きずり下ろす快感について。こういう感情はおれにあります。あまり表に出してはいないつもりだけれど、まあいろいろなところであらわになっていることだろう。夕刊タブロイドの世界。週刊誌の世界。知らない人、受け入れがたい人には一生わからない世界。そういうものがあって、そういうものを必要とする人がいて、そして世界は運行されていく。云々。 それはそうとして、まあしかし、シャーデンフロイデという感情が、自然選択、淘汰されてきた人間の心理において残っている、なにかそれを持つことによって生き残ってきた理由がある。そこのところが興味深い。はたしてオキシトシンが影響しているのかどうかよくわからないが、脳科学的に、なにか生理学っぽいところで実証されているならば、それはたいしたことだ。 となると、「人間性」、人間来が持っている性質という

    今後の世界の行き先、「人間性」の肯定と否定について - 関内関外日記
    ami-go40
    ami-go40 2022/06/21
    ”ときには、それがまったく根拠のない誤りであっても、人は正義感で暴走する。これはやばい。”
  • 人生と哲学 ~哲学のほんの入り口で感じたこと~ - ロジカルノーツ

    けようです。 私は自治体職員として働きながら大学院で哲学を研究し、鷲田清一先生のもとで学びました。 www.logical-notes.com 今回、人生の中で「哲学」という学問に触れる意義について、私の思うところをお話しさせていただきます。また、哲学カフェを開催した体験記も紹介させていただきます。 対話を大切にする哲学 哲学を通して、私が一番いいなと思ったことは、“対話”ということです。 哲学は、答えのない問いに対して、ひたすらに丁寧に時間をかけて、対話をしていくことをとても大切にしています。 対話の相手は、他者。 自分と違う考えを持つ人間です。 その他者と丁寧にとことん話をしていく。 その中で、自分の考えに変化が出てきたり、全く思ってもみなかったことに気づいていったり、さらにお互いに完璧に相手の言うことを理解はできないかもしれないけど、納得のいく合点を見出すことができます。 生きている

    人生と哲学 ~哲学のほんの入り口で感じたこと~ - ロジカルノーツ
  • 教養って何のため - illegal function call in 1980s

    もう、つくづく(変な形容をかぶせるようだけど)あっけにとられて。 toyokeizai.net やっぱり、おれずれてるんだなと。あんまりけんか売るような真似はしたくないんだけど。 toyokeizai.net 変じゃん? 教養のある人はこういう論調から一歩身を引くとおもうんだよね。自ずと引かせるのが教養だとおもうのさ。教養、哲学、弁証法って、有用ではあるけれど有用さを目的にしたものじゃないよね。それ自体だとおもうの。その有用さも、たとえばモンティ・パイソンのあの方とかあの方とか哲学やってるじゃないですか。で、哲学者サッカー。 www.youtube.com そうしたひとひねり、もうひとひねり、腸捻転。みたいなさ。 * 教養なんて役に立たないって。あるいは役立つ立たないの文脈に持ち込むものじゃない。で、どっちかっていうと役に立たない。ビジネスはビジネス固有のロジックで十分にまわるよ。せいぜい

    教養って何のため - illegal function call in 1980s
    ami-go40
    ami-go40 2018/05/27
    “変に教養つけちゃったら客先でしたり顔を押し殺すのに大変だって”
  • [ま]<子ども>のための哲学(永井均 著)/哲学に対するイメージを変える一冊 @kun_maa - [ま]ぷるんにー!(พรุ่งนี้)

    タイトルが「<子ども>のための」だからといって簡単な哲学の入門書だと舐めてかかってはいけない。確実に後悔することになる。 そのまま子どもと表示しないで<子ども>となっているところが落とし穴。 スポンサーリンク 大人になるとたぶん忘れてしまうのだが、誰でも子どものころは自分や目の前の世界や様々なものが現に今ここに存在することの不思議さについて多くの疑問を抱えていたのではないだろうか。 でもそんな疑問を大人になって持ち続けて常に考えているようだと日常生活に支障をきたすし、何かの役に立つわけでもないから普通の人はそんな疑問の存在すら気にしなくなるものだ。 でも書の著者である永井均は違う。 大人になってもそのような子どもの頃に感じた素朴な疑問を持ち続け、考え続ける人を<子ども>と呼び「誰とも共有できない問いについて自分ひとりで答えを考え続ける」というのが永井の哲学であり<子ども>の哲学なのである

    [ま]<子ども>のための哲学(永井均 著)/哲学に対するイメージを変える一冊 @kun_maa - [ま]ぷるんにー!(พรุ่งนี้)
    ami-go40
    ami-go40 2017/06/21
    “「誰とも共有できない問いについて自分ひとりで答えを考え続ける」というのが永井の哲学であり<子ども>の哲学なのである。”
  • 「孤独」に就いて - サラダ坊主日記

    世の中には「孤独を懼れるな」という激励に満ちた言説が飛び交っている。実際、孤独そのものを懼れても無益であることは確かな事実であり、多かれ少なかれ、人間が孤独という止むを得ない状況に呑み込まれることは少しも奇態な現実ではないと言うべきだろう。だが、不用意に長引き、蓄積された「孤独」が齎す害毒に就いても、私たちは慎重な検討を加えるべきであると思う。 例えば「金さえあれば幸福であるとは限らない」という命題と「金さえあれば陥らずに済む不幸というものが存在する」という命題は矛盾せず、両立させることが出来る。同じように「孤独であるから不幸であるとは限らない」という命題は「孤独である為に惹き起こされる不幸というものが存在する」という命題と背反しない。 何れの場合にも「金」や「孤独」そのものは純粋で透明な記号のようなものであり、ただそれに附随する現象が多様であるという結論が得られるだけに過ぎない。それ自体

    「孤独」に就いて - サラダ坊主日記
    ami-go40
    ami-go40 2017/06/02
     三木清のようで三木清じゃない、哲学ぽい文章
  • [ま]シュレディンガーの哲学する猫/僕には圧倒的に思考する言葉がたりない @kun_maa - [ま]ぷるんにー!(พรุ่งนี้)

    有名な「シュレディンガーの」というのは、量子論の考え方に納得していなかった物理学者シュレディンガーが考えた思考実験のことだ。 スポンサーリンク その思考実験とは次のようなものである。 閉ざされた鉄の箱の中にが入っている。 その箱の中には毒ガス発生装置が一緒に入っていて、放射性物質に繋がっている。もし放射性物質が原子核崩壊を起こせば毒ガスが発生して箱の中のは死ぬ。原子核崩壊を起こさなければ毒ガスは発生せずは無事。 1時間後にこの放射性物質の原子核崩壊が起こる確率は50%であるとした場合、量子論の考え方にしたがえば箱のふたを開けて確認しない限り箱の中にいるは「生きている状態」と「死んでいる状態」が同時に絡み合って併存しているということになるというものだ。生きている状態と死んでいる状態が同時に存在するなんて、普通に考えたら明らかにおかしい。 書にはそんな量子論への問題提起を行った思考

    [ま]シュレディンガーの哲学する猫/僕には圧倒的に思考する言葉がたりない @kun_maa - [ま]ぷるんにー!(พรุ่งนี้)
    ami-go40
    ami-go40 2017/04/26
    理系、となると三木清はないんだ。とはいえ読んでみたい
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