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哲学に関するarcade00fire01のブックマーク (6)

  • 「哲学」人気じわり 迷える時代の羅針盤か:朝日新聞デジタル

    いま、若い世代を中心に「哲学」が求められている。そんな兆しがある。どうしてだろう。 「練習やおもうて、僕と恋愛してみなさい」 大学で哲学を教える海江田醇は、恋愛に疲れて東京から田舎に移り住んだ堂薗つぐみにそう告げる。 榮倉奈々と豊川悦司主演の映画「娚(おとこ)の一生」(公開中)の一シーン。30代のヒロインと、50代独身の大学教授の大人の恋愛を描く。多くの女性ファンをとりこにした。 原作は累計160万部の大ヒット漫画。作者の西炯子(けいこ)さんは2008年の連載開始前、旅行で訪れる国々を理解したいと、大学の生涯学習講座で哲学と宗教を学び、「哲学は人生の軸になる」と感じた。海江田を哲学科の教授にしたのは文系で自由が利くからといった理由だったが、結果的に物語を進めるうち正解だったと思ったという。「迷い疲れたつぐみの人生を言葉で整理し、道を照らす役目を果たしてくれた」 漫画「ニーチェ先生~コンビニ

    「哲学」人気じわり 迷える時代の羅針盤か:朝日新聞デジタル
  • Totus Teres atque Rotundus: 伊藤邦武訳『連続性の哲学』(岩波文庫)誤訳表

    伊藤邦武氏によるPeirceのケンブリッジ連続講義の邦訳『連続性の哲学』(岩波文庫)の中から、私の目に止まった誤訳や誤りと思われる部分を以下に記しておく。原文はReasoning and the Logic of Things, ed. Kenneth L. Ketner, Harvard University Press, 1992.に拠った。 (1) 一番酷い誤訳は、Peirceが頻繁に使う"detached"という言葉の訳である。detachedには「冷静な」や「超然とした」といった意味もあるが、来の意味は「切り離された」である。Peirceのケンブリッジ連続講義の主題は「連続性」であり、連続性と対立する事態を指す言葉として、彼はdetachedという言葉を色んな文脈で使っている。しかし、伊藤訳ではdetachedが登場する箇所はすべて「冷静な」や「超然とした」といった表現で訳され

  • 『言語学の教室―哲学者と学ぶ認知言語学』西村義樹・野矢茂樹(中央公論新社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「哲学と言語学の幸福な対話」 今年は現代言語学の祖フェルディナン・ド・ソシュールの没後百年。大学で言語学を勉強したわけではないけど、『一般言語学講義』を読むゼミに参加したのは楽しい体験だった。担当の先生がよく言っていたが、そもそも言語とは何かということを、同じその言語で語るということが、どうしてもむずかしい。ソシュールはその問いのまわりをぐるぐる回って、結局自分では「一般言語学」の構想を完成させることができなかった。没後に弟子たちがまとめた(恣意的な編集を多数含む)講義録が二十世紀の思想に多大な影響を与えるわけだが、百年たってもソシュールが立ち止まったところに何か大切なものがあるような気がする。 の世界から見ると、言語は面白い対象なのに、「言語学」のというと、ますますマニアックな、大学で習わない限りは縁遠いものになっていそうなのが残念だ。ソシュールは思想に

    『言語学の教室―哲学者と学ぶ認知言語学』西村義樹・野矢茂樹(中央公論新社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 初心者のための記号論

    <訳者より> テキストは英国のウエールズ大学のダニエル・チャンドラー博士による記号論への入門書のオンライン版であり、インターネット上で公開されているものです。このオンライン・テキストは評判が良く、1995年公開以来のアクセス回数は56万回(2004年2月時点)にもなっています。 訳者は2002年4月まで35年間、企業の研究所に勤務していたシステム分析が専門の技術者ですが、記号論のの中に、「システム」という言葉がたびたび出てくることから記号論に興味を覚え、インターネット上で調べていたところテキストと出会いました。記号論の主要トピックスをソシュールの記号学および構造主義をベースに、丁寧に説明しており具体的な例も多く観念的でないことから、記号論を勉強してみたいと思っている人、記号論の勉強を始めたがよく分からず挫折した人にとって良い参考書になるのではないかと感じました(残念ながら、日では、

  • 迷宮に誘われる楽しみ:西村義樹・野矢茂樹「言語学の教室」 - rosechild’s blog

    言語学の教室 哲学者と学ぶ認知言語学 (中公新書) 作者: 野矢茂樹,西村義樹出版社/メーカー: 中央公論新社発売日: 2013/06/24メディア: 新書この商品を含むブログ (30件) を見る凄くよかったですよ、帯が。ペンギンのイラストがね、ちょっとうつむき加減に考えているところ。そしてこのペンギンは章の扉にいちいち出てきては、ボソっとなんか訳のわからんことをつぶやいているのです。「太郎が花子に話しかけてきた」とか。イラストは野矢茂樹。野矢茂樹と西村義樹という二人のビッグネームの対談形式で(野矢はともかく西村義樹なんて知らんぞ、という方もいらっしゃるかと思いますが今知ってください)認知言語学者の西村が野矢にこの耳慣れない学問の入門を説くという形になっている。ペンギンのイラストからもわかるとおり(これはペンギンでなくてはならない。雀とかカラスではなくてペンギンなのには認知言語学的な意味が

    迷宮に誘われる楽しみ:西村義樹・野矢茂樹「言語学の教室」 - rosechild’s blog
  • 梅原猛さんに会って考えた 哲学者はなぜ自由な発想ができるのか – 田原総一朗公式サイト

    先日、哲学者の梅原猛さんに会った。 京都駅からタクシーに乗り、さらに木々の中の石段を5分ほど登ったところにある、 風情あるご自宅を訪ねた。 梅原さんと会うことになったきっかけは、『神々の流竄(るざん)』を読んだことだ。 30年以上前に書かれたで、なぜ伊勢神宮ができ、なぜ出雲神話が誕生し、 なぜ出雲が舞台なのか、そして、これらを操る影の存在は誰か--。 古代日のミステリーを梅原さん独自の視点でひもといている。 僕は『中央公論』誌で、「天皇」について連載している。 実は連載から1年が過ぎて、こんな面白いがあるのか、ということに遅ればせながら 気がついたのだ。 梅原さんのを読んで、古代史とは、限られた史料から広がる「イマジネーション」の 世界だ、と改めて感じた。 例えば『古事記』と『日書紀』だ。いずれも天武天皇の命によって編纂された。 それなのに、なぜ事実に違いがあるのか。 さらに『日

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