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平安時代と考古学に関するarcade00fire01のブックマーク (7)

  • 平安時代の地鎮祭の跡確認 栗東・手原遺跡:滋賀:中日新聞(CHUNICHI Web)

    栗東市手原の手原遺跡で、平安時代(九世紀後半)の地鎮祭祀(さいし)の跡「埋納遺構」が四カ所確認され、市教委が二十一日発表した。うち一カ所は古代銭が入ったつぼが東西南北を意識して納められており、市教委は「地鎮に対する信仰や思想のあり方を解明する上で重要な発見」と意義付けている。 方位が意識されている遺構は、約七十センチ四方、深さ二十八センチ。四隅には深めの皿が伏せられた状態で見つかり、八一八(弘仁九)年に鋳造された銭貨「富寿神宝」が五枚ずつ入った小型のつぼが五点、皿でふたをされ、十字になる形で置かれていた。中央を除く四点はそれぞれ東西南北に配置され、けがれを取り払うためとみられるモモの種も見つかった。 市教委によると、古代銭を埋納することや、つぼに皿でふたをすること自体が珍しい上に、古代銭が入ったつぼが一カ所から複数見つかる例は全国的にもほとんどない。配置方法から、密教や道教といった宗教との

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  • 平安京の職人生活知る資料に 鎌倉-室町時代の土坑から土師器や金箔など 京都

    京都市下京区で、鎌倉時代後期から室町時代の土坑が多数みつかり、土師器や金箔などが出土したと府埋蔵文化財調査研究センターが8日、発表した。周辺には、職人町があったとみられ、鋳造や金細工などに携わった工房が存在したとみられるという。 調査が行われたのは旧府警七条署跡地などの再開発地区。平安京の七条町、八条院町跡の約1900平方メートルで、大小約180基の土坑が確認された。穴の大きさは多くは1辺が1~1・5メートルの方形で、深さは5~40センチだった。 このうち70基以上の土坑では、土師器の皿がびっしり詰め込まれていたほか、焼けた骨片、鉄釘、貨幣などが出土。土坑がみつかった地層からは金箔や貝殻、小規模な建物の柱跡などもみつかった。 土坑からは、割れていない皿が積まれた状態で出土するなどしており、廃棄されたのではなく、何らかの儀礼に伴ってつくられた可能性もあるという。 宅地や工房の中に小規模の建物

    平安京の職人生活知る資料に 鎌倉-室町時代の土坑から土師器や金箔など 京都
  • 奥州藤原氏めぐり新説? 被災地高台移転…掘り起こされた歴史+(1/3ページ) - MSN産経ニュース

    東日大震災の被災地で高台移転事業が格化する中、宅地などの造成工事で出てきた遺跡の発掘調査が進んでいる。多様な年代の遺跡が見つかり、資料の乏しい中近世の空白を埋めるほか、奥州藤原氏との新たな関係性を示す出土品もあり、歴史の通説を覆す可能性も指摘されている。津波で大きな被害を受けたふるさとの歴史を掘り起こす思わぬ副産物に被災者らの期待も高まる。(高木克聡) 岩手県大船渡市三陸町で昨年12月中旬、発掘された戦国時代のものとされる城館「小出館(こいでたて)」の遺跡発掘調査の説明会が開かれた。 市によると、遺跡からは、鉄粉など製鉄施設の跡や高価な陶磁器、銅銭などが発見され、担当者も「交易などで富を得た豪族がいたのでは」と推測する。  大船渡市をはじめとする県沿岸部の三陸地方では、めまぐるしく勢力図が塗り替えられた戦国時代前後の文書などがほとんど残存していない。三陸町でも南北朝時代以降から江戸時代

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  • eoblogサービス終了のお知らせ

    eoblogは 2017年3月31日(金)15:00 をもってサービスを終了いたしました。 長年にわたりご愛顧いただき誠にありがとうございました。

  • 平仮名:9世紀後半の土器から発見 最古のものか- 毎日jp(毎日新聞)

  • 朝日新聞デジタル:宴席の帳簿?平安の木簡出土-マイタウン神奈川

    茅ケ崎市は21日、同市村(ほん・そん)の「居村B遺跡」で、県内で最大の平安時代の木簡が見つかったと発表した。記された約70文字から、行事の際、有力者へ支給された事の帳簿とみられる。分析をした木簡研究の第一人者、平川南・国立歴史民俗博物館長は「平安時代の東国社会の支配体系や、行事の実態を伝える貴重な資料」としている。 木簡は長さ45・8センチ、最大幅7・8センチ。9片に割れていたのを接合し、赤外線投射で分析した結果、9世紀の「貞観」という年代や「勾村」「秋村」という地名、「市田殿酒一斗」などが読み取れた。近くには相模国高座(たか・くら)郡の郡衙(ぐん・が)(役所)の遺跡があり、役人が地域の有力者を集めた行事の後、「市田殿」らに、酒や事を振る舞った宴席の存在をうかがわせるという。 市教委によると、当時、紙は貴重品で、公式文書以外では木簡が使われた。腐しやすいため、県内での発見はまれ

  • 出土土器に「冨」に似た漢字…静岡 : ニュース : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    静岡県富士市厚原の「中桁・中ノ坪遺跡」(奈良時代~平安時代)で、「冨」に似た漢字が墨書きされた土器=写真=が出土した。土器は9世紀に作られたものとみられる。同市教委は「現在の『富士』や『富士山』の表記につながる出土品かもしれない」と期待を寄せている。 「冨」に似た漢字は土器の底面に書かれている。富士山の「富」の字とは異なり「わかんむり」で、冠の下の「一」がないのが特徴だ。同市教委文化振興課によると、同遺跡の東の「東平遺跡」で2000年、「布自(ふじ)」と墨書きされた8世紀の土器が出土したほか、富士市今泉でも、今回と同じように読めそうだが判読不能の文字が書かれた土器が見つかった例があるという。 同市教委の説明では、土器に墨で文字などを書いたものを「墨書土器」といい、地名や身分、方位が書き込まれているほか、「財」「吉」などめでたい言葉として漢字が書かれていることもある。今回の「冨」に似た漢

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