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  • 豪華な玉や馬具を一堂に 藤ノ木古墳の出土品公開

    金銅製の馬具など豪華な副葬品が見つかった藤ノ木古墳(6世紀後半)の第1次発掘調査から今年で30年になるのを受け、橿原考古学研究所付属博物館で出土資料などを集めた特別陳列「大和の豪族たちと藤ノ木古墳」が開かれている。 藤ノ木古墳出土の馬具(国宝)は館の常設展で公開されているが、今回は普段収蔵庫に収められている玉類や金銅製品を一括展示。3Dプリンターで複製した馬具の文様も公開されている。3月22日まで。 藤ノ木古墳は斑鳩町にある直径約50メートルの円墳。巨大な石室と未盗掘の石棺が確認され、昭和60年に石棺周辺の発掘調査、63年に石棺内部の調査が行われ、東アジア文化を凝縮したとされる豪華な金銅製の馬具や冠や飾履(沓)、大刀などが見つかった。 展示品729点のうち、290点が藤ノ木古墳の資料(一括して国宝)。装身具の玉類の展示品には銀製鍍金(ときん)の空玉(うつろだま)や空勾玉(まがたま)、ガラス

    豪華な玉や馬具を一堂に 藤ノ木古墳の出土品公開
  • 古書の魅力を再発見 6日から大阪・四天王寺で「ふるほん祭」

    関西の古書店関係者でつくる「関西古書研究会」が6~8日、大阪市天王寺区の四天王寺仮客殿で、古書の即売会「ふるほん祭」を開く。絶版の漫画や古文書のほか、文学、美術、歴史、児童書などさまざまなジャンルの古書約5万点を並べる。自由に参加できる「開運古なんでもオークション」も開催する。 ネット書店や電子書籍などの影響で古書業界の経営環境が厳しくなる中、古書の魅力を再発見してもらおうと企画した。 オークションは、来場者が気に入った古書に「買いたい値段」を付け、一番高値を付けた人が落札する。和「栄花物語」(江戸中期版、全9冊)や幕末の志士の掛け軸、少年漫画雑誌の創刊号、版画荘文庫の坪田譲治著「お化けの世界」(昭和12年)など貴重な古書100点以上が出品される。

    古書の魅力を再発見 6日から大阪・四天王寺で「ふるほん祭」
  • 全歌人と歌書いた「百人一首絵馬」 奈良・橿原市博物館で企画展

    「百人一首」の全歌人と歌を書いた全国的にも極めて珍しい「百人一首絵馬」(江戸時代後期)が、歴史に憩う橿原市博物館の企画展「百人一首の世界」で公開されている。全歌人と歌を書いた絵馬はほかに兵庫県宍粟市の御形(みかた)神社の絵馬だけという。 絵馬は、横に長い扁額(へんがく)形式。大小14の木製の扁額に持統天皇や山部赤人、柿人麻呂ら百人一首の歌人の姿と歌がすべて書かれている。弘化(こうか)3(1846)年の制作で、大きい額は縦46センチ、横182センチ。歌人の顔は後世に失われたものが多いが、衣装などが色彩豊かに描かれている。 橿原市指定文化財で、市内の牟佐坐(むさにいます)神社の拝殿に飾られていたが、平成17年に市に寄贈。20年から3年かけて絵の剥落止めなどの修復作業が行われた。絵馬に残る記録から、南岳(なんがく)という絵師が描き、地元の人たちが神社に奉納したらしい。 よく知られた小倉百人一首

    全歌人と歌書いた「百人一首絵馬」 奈良・橿原市博物館で企画展
  • 【講評】芥川賞、小野正嗣さん「土地の持つ力」うまく結実/直木賞、西加奈子さん「信じるものへ」強い発信力(1/4ページ) - 産経ニュース

    15日に発表された第152回芥川賞・直木賞(日文学振興会主催)は、芥川賞が小野正嗣(まさつぐ)さん(44)の「九年前の祈り」、直木賞は西加奈子さん(37)の『サラバ!』に決まった。同日夜に東京・築地の料亭「新喜楽」で行われた選考の経緯と講評を紹介する。 芥川賞、小野正嗣さん「九年前の祈り」 約2時間の選考をへて、芥川賞は小野さんの「九年前の祈り」(「群像」9月号)が選ばれた。選考委員を代表して会見した小川洋子さん(52)は「土地の持つ力がとてもうまく小説として結実した」と語った。 小川さんによると、候補5作のうち小野さんの作品と高橋弘希さん(35)の「指の骨」(「新潮」11月号)、上田岳弘(たかひろ)さん(35)の「惑星」(「新潮」8月号)の3作で最終投票を行い、小野さんの作品が過半数を獲得した。

    【講評】芥川賞、小野正嗣さん「土地の持つ力」うまく結実/直木賞、西加奈子さん「信じるものへ」強い発信力(1/4ページ) - 産経ニュース
  • 「佐貫観音はパワースポット」 山内慶大教授、塩谷での講演を前に視察

    3月15日に136年ぶりに奥の院が開帳される国指定史跡の磨崖仏(まがいぶつ)「佐貫観音」(塩谷町佐貫)をテーマに同町の町制施行50周年記念式典で記念講演する慶応大文学部の山内志朗教授(57)が14日、同町を訪れ現地を視察した。 佐貫観音は、鬼怒川沿いに直立した高さ64メートルの大岩壁面に大日如来が彫られている。岩の上部には奥の院大悲窟(だいひくつ)があり、貴重な宝物が納められ、62年に1度、開帳されてきたが、明治12(1879)年を最後に途絶えていた。 この日、見形和久町長や佐貫観音を管理する東海寺(宇都宮市篠井町)の渡辺克隆住職らが山内教授を出迎え、佐貫観音や洞窟「白龍洞」などを案内。また、東海寺も訪れ、明治12年に奥の院から取り出し、同寺で保管している県指定文化財の銅板阿弥陀(あみだ)曼荼羅(まんだら)と2個の銅鏡も見学した。 山内教授は「エネルギーに満ちあふれたパワースポット。人々の

    「佐貫観音はパワースポット」 山内慶大教授、塩谷での講演を前に視察
  • 斎宮歴史博物館「羊のすずり」は来館者のアイドル - 産経ニュース

    くるりと巻いた2の角、真ん丸に見開いた大きな目、とぼけたような口元…。三重県明和町の斎宮歴史博物館に展示されている須恵器質の羊形すずり(8世紀、重要文化財)は、愛嬌たっぷりの表情で来館者のアイドルだ。 全長26センチ、高さ14・5センチ。天皇に代わって伊勢神宮に仕えた斎王の宮殿や、斎王を支えるための役所があった史跡・斎宮跡(同町)で平成3年に出土した。羊形のすずりは平城京跡(奈良市)など全国で約10点しか見つかっていない。発掘を担当した大川勝宏調査研究課長は「斎宮では最盛期に約500人が働いていたとされ、役人の必需品であるすずりも大量に出土するが、羊形は2点だけ。都の国営工房で焼かれた高級品で、斎王の愛用品だったかもしれません」と話す。すずりといえば、水と墨。当時は水鳥やカメなど水にかかわる動物をかたどったすずりが多いのに、なぜ砂漠にすむ羊をモチーフにしたのか。 榎村寛之学芸普及課長は「

    斎宮歴史博物館「羊のすずり」は来館者のアイドル - 産経ニュース
  • 真間の伝説の美女モチーフの「手児奈・マーチ」の古楽譜、ウィーンで入手

    明治時代に来日したオーストリアの音楽家ルドルフ・ディットリッヒが、古代に真間(市川市)に住んでいたと伝えられる美女をモチーフにした「手児奈(てごな)・マーチ」を作曲し、約100年前のその楽譜がウィーンの国立図書館に保存されていることが分かった。同市在住の市川交響楽団協会理事、桑村益夫さん(80)が知人を通じて楽譜を入手し、演奏会を企画している。 ディットリッヒは明治政府に招かれて1888年に来日。上野音楽学校(現東京芸術大学)の教授を務めた。6年後に帰国するまで、和楽に深い関心を持ち、三味線の師匠とも親しかったと伝えられる。 桑村さんは昨夏、日とオーストリアの交流史を記したを読んだ。ディットリッヒが帰国後、「手児奈・マーチ」を作曲。コンサートを開いたとの記述があった。和楽をイメージした旋律が大好評でアンコールに応えて4度演奏したという。 手児奈は伝説の美女だ。7世紀から8世紀初頭の人物

    真間の伝説の美女モチーフの「手児奈・マーチ」の古楽譜、ウィーンで入手
  • 平安京の職人生活知る資料に 鎌倉-室町時代の土坑から土師器や金箔など 京都

    京都市下京区で、鎌倉時代後期から室町時代の土坑が多数みつかり、土師器や金箔などが出土したと府埋蔵文化財調査研究センターが8日、発表した。周辺には、職人町があったとみられ、鋳造や金細工などに携わった工房が存在したとみられるという。 調査が行われたのは旧府警七条署跡地などの再開発地区。平安京の七条町、八条院町跡の約1900平方メートルで、大小約180基の土坑が確認された。穴の大きさは多くは1辺が1~1・5メートルの方形で、深さは5~40センチだった。 このうち70基以上の土坑では、土師器の皿がびっしり詰め込まれていたほか、焼けた骨片、鉄釘、貨幣などが出土。土坑がみつかった地層からは金箔や貝殻、小規模な建物の柱跡などもみつかった。 土坑からは、割れていない皿が積まれた状態で出土するなどしており、廃棄されたのではなく、何らかの儀礼に伴ってつくられた可能性もあるという。 宅地や工房の中に小規模の建物

    平安京の職人生活知る資料に 鎌倉-室町時代の土坑から土師器や金箔など 京都
  • 【浪花ぐらし】源氏物語“遠足ハプニング”、知るも知らぬも逢坂の関 - 産経WEST

  • 江戸時代の庶民の旅行って? 和歌山市立博物館で特別展 

    江戸時代に始まったという庶民の旅行。かつて人々が楽しんだ旅路をたどる特別展「江戸時代を観光しよう~城下町和歌山と寺社参詣」が和歌山市湊町の市立博物館で開かれている。 中世に盛んだった「熊野詣で」以降、江戸時代には伊勢参りや高野山参詣、西国巡礼などが人気を集め、和歌山には多くの旅人が訪れた。特別展では、庶民の旅行に焦点を当て、熊野三山から紀三井寺、和歌浦、高野山へと旅した当時の定番コースに沿って絵図や旅日記、服装など約150点を展示。 会場には、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」とともに、伊勢参りの際にかぶっていた笠などが並べられ、絵と実物を見比べることもできる。粉河地域で多く作られていたという旅行ガイドブックも展示。中には、船酔いでの対処法や足が痛いときにお灸をする場所などをまとめた「旅行用心集」などもあり、現代にも通じる旅の様子がうかがえる。 佐藤顕学芸員は「江戸時代にはあちこち立ち寄りな

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  • 【日曜に書く】「城の山」と古代の国家形成 論説委員・渡部裕明 

    「どうかなあ、と思っていたのですが…。やっぱり、前方部があったようです」 電話口から、照れ笑いしているような声が返ってきた。でも心底、うれしそうだ。 新潟県胎内(たいない)市教育委員会の水澤幸一・文化財係長。市内大塚にある「城(じょう)の山(やま)古墳」の周辺部を今秋、改めて発掘調査したところ、今まで考えられていた円墳ではなく、前方後円墳と分かったというのだ。 ヤマト政権の「北限」 新潟県北部の水田地帯に、こんもり盛り上がった小山のような墳丘が特徴の城の山古墳。平成24年9月、格的な主体部の発掘調査が行われた。 土器の年代から、築かれたのは古墳時代前期前半(4世紀初め)と分かった。さらに、墳丘の中央には長さ約8メートル、幅約1・5メートルの長大な舟形(ふながた)木棺が置かれ、内部には矢を入れる革製容器である靫(ゆぎ)のほか銅鏡、漆塗りの弓、大刀、勾玉(まがたま)やガラス玉などが副葬され、

    【日曜に書く】「城の山」と古代の国家形成 論説委員・渡部裕明 
  • 並び建つ?天守2棟 水口岡山城跡から天守台遺構出土 秀吉の権威誇示か

    豊臣(羽柴)秀吉が天下統一の足がかりとした水口岡山城(甲賀市)の丸跡から、天守台とみられる遺構が2基みつかり、調査を手がけた市教委が12日発表した。発掘調査の結果などから、丸跡に構造の異なる天守閣級の重層建造物が2棟並び建っていたと推定、「豊臣政権の権威を示そうとした」とみている。 ◇ 水口岡山城は天正13(1585)年、秀吉が天下統一を目指す過程で東国制覇の拠点として、重臣に命じて古城山(283メートル)に築かせた山城。江戸時代に入り、幕府によって「破城」の処分を受けたとされる。 市教委は今回、山頂一帯の丸跡を発掘。この結果、70~80メートル離れた東端と西端の2カ所で、石垣跡や礎石、瓦片、さらに積み石の裏側に詰める「裏込(うらごめ)石」などがみつかった。 現況の地形や出土した遺構の状況、破城後の江戸時代に描かれた絵図などから、丸の東西両端に少なくとも1辺約13メートル、高さ1メ

    並び建つ?天守2棟 水口岡山城跡から天守台遺構出土 秀吉の権威誇示か
  • 奈良・田原本町の歴史知って 「古事記と太安万侶」出版

    最古の歴史書「古事記」や、古事記の編者である太安万侶(おおのやすまろ)が生まれた田原町の歴史文化財などについて解説した「古事記と太安万侶」(吉川弘文館刊、206ページ)が出版された。町記紀・万葉事業実行委員会が監修。特に田原町の紹介では、太安万侶の出身母体の多(おお)氏や多(おお)神社についても詳しく紹介している。 町では、古事記編纂(へんさん)1300年紀に合わせて平成24年11月、町出身の和田萃(あつむ)・京都教育大名誉教授(古代史)や、寺川眞知夫・同志社女子大名誉教授(国文学)らによるシンポジウム「やまとのまほろば田原」を開催。 はその内容を収録し、古事記と日書紀の違いや、歌謡を多く含みながらも天皇統治の神聖性を説く古事記の特色などを解説している。 また、古代の有力豪族・多氏と、町南部に位置し、古い歴史を持つ多神社についても解説。太安万侶ら多氏が輩出した人物についても紹介

    奈良・田原本町の歴史知って 「古事記と太安万侶」出版
  • 古代歴史文化賞大賞に市大樹氏の『飛鳥の木簡 古代史の新たな解明』 - 産経ニュース

    優れた古代史の書籍を表彰する「古代歴史文化賞」の選定委員会が開かれ、第2回大賞に市大樹(いち・ひろき)大阪大准教授の『飛鳥の木簡 古代史の新たな解明』(中央公論新社)が選ばれた。市准教授は会見で「この賞はもっと頑張れという激励だと思うので今後、ますます努力していきたい」と語った。準大賞は寺崎保広奈良大教授の『若い人に語る奈良時代の歴史』(吉川弘文館)に決まった。 同賞は古代史にゆかりが深い島根、奈良、三重、和歌山、宮崎の5県からなる古代歴史文化普及協議会の主催で、古代の歴史的事実をもとにした一般読者にも分かりやすいが対象。 大賞受賞作は近年、飛鳥から出土している木簡(文字の書かれた木札)のうち、特に重要なものを取り上げ、背景にある古代国家形成の歴史を読み解く内容。選定委員長を務めた金田章裕京大名誉教授は「研究の最先端情報を惜しみなく盛り込み、学術的にも高く評価できる」と述べた。

    古代歴史文化賞大賞に市大樹氏の『飛鳥の木簡 古代史の新たな解明』 - 産経ニュース
  • 【上州リポート】「上野三碑」を世界記憶遺産に 推進協議会を1日に設立 群馬

    飛鳥~奈良時代(7、8世紀)に現在の高崎市南部に建てられた山上(やまのうえ)碑、多胡碑、金井沢碑の「上野三碑(こうずけさんぴ)」を、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に登録することを目指す推進協議会が11月1日、設立される。県や有識者、地元住民らで構成し、官民連携の推進運動を展開した上で平成29年の登録を目指している。(浜田慎太郎) 山上碑は681年に建てられ、完全な姿で残っている石碑としては日最古とされる。僧が亡くなった母を供養するために建てた。多胡碑(711年)は一帯に多胡郡が設置されたことを記念して、金井沢碑(726年)は仏教信仰で結びついた一族の繁栄を祈って建てられた。 いずれも国の特別史跡に指定されており、当時の地方行政制度の在り方や、仏教思想の広がりなどを読み解くうえで、重要な資料とされている。 今回設立する協議会では、福田康夫元首相が名誉会長を務め、大沢正明知事

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  • 【書評】『日本遊戯思想史』増川宏一著(1/2ページ) - 産経ニュース

  • 日本考古学協会、奈良大に書籍6万3千冊寄贈

    考古学協会(東京都)と奈良大学(奈良市)は、協会が保有する貴重な発掘調査報告書や一般図書など、約6万3千冊を大学に寄贈する契約を締結した。大学側が整理した上で、来年6月から順次閲覧できるようにする予定。 協会では考古学に関する国立博物館の建設を要望し、書籍を収集。だが、財政事情により実現せず、保管費用負担が重くなったことから、奈良大学への寄贈を決めた。 現在、書籍は埼玉県で保管。今月28日から整理や目録の作製を進め、完了したから順に大学の図書館に移す。奈良大では蔵書が増えることから、11月からは図書館の改築工事も始めるという。 協会の高倉洋彰会長は「これまでこの書籍は収蔵するだけだったが、奈良大学のおかげでいろいろな人に利用してもらえるようになった」。大学の千田嘉博学長は、「貴重な書籍を贈与していただいたことで、大学がわが国屈指の考古学研究の拠点となる」と歓迎した。

    日本考古学協会、奈良大に書籍6万3千冊寄贈
  • 【ベテラン記者のデイリーコラム・渡部裕明の奇人礼讃】源通親(上)女性に近づき政界のし上がる 「村上源氏」の誇り…源平争乱を駆け抜けた貴族(1/4ページ) - 産経WEST

    古代や中世での朝廷の権力争いといえば、女性によって左右されることが少なくなかった。そのすさまじさは、「女性の活躍推進」を掲げる安倍内閣も真っ青といっていいほどだ。源氏と平氏が争った動乱の時代、次々と有力な女性に近づいて政治的地位を上昇させていった人物がいる。源通親(みなもとのみちちか、1149~1202年)。村上天皇の末裔(まつえい)という血を誇りつつ、たくましく政界を泳ぎ切った奇人の生き方を見てみたい。 「聖帝」の末裔として…“ホスト人生” 村上天皇は10世紀後半を生きた天皇で、その治世は醍醐天皇の世と合わせ「延喜・天暦の治」と後世、理想化された。通親はその皇子(具平=ともひら=親王)に始まる村上源氏の嫡流である。 しかし、皇胤(こういん)貴族といっても、通親らの世代まで下ると貴種性は薄れた。そればかりか、藤原摂関家やその庶流の台頭の前に、望む昇進も難しくなっていたのだ。通親は父・雅通(

    【ベテラン記者のデイリーコラム・渡部裕明の奇人礼讃】源通親(上)女性に近づき政界のし上がる 「村上源氏」の誇り…源平争乱を駆け抜けた貴族(1/4ページ) - 産経WEST
  • 秋の平城宮跡にぎやかに 11月1日から「天平祭」 奈良

    秋の平城宮跡を楽しんでもらおうと、県や奈良市などでつくる「平城宮跡にぎわいづくり実行委員会」は11月1~9日間、世界遺産の平城宮跡(同市)で「平城京天平祭・秋2014」を開く。 平成23年から毎年開催。期間中は天平時代の華やかさを花を使って演出するコーナーや、竹アーティストの三橋玄氏が奈良の竹で平城京を守る四神(朱雀、青龍、白虎、玄武)を表現したオブジェの展示、クイズを解きながら平城宮跡を巡る謎解きイベントなどが実施される。 土日と祝日には、平城宮を警護していた衛士隊の再現や、古代行事の蹴鞠体験、奈良時代の貴族が庭園でくつろぐ様子を再現したイベントなども実施。第一次大極殿特設ステージでは、県立ジュニアオーケストラによる演奏や、和太鼓とダンスのコラボレーション、石見神楽など伝統芸能も楽しめるプログラムも。奈良の名物が集まったのイベントも開設予定だ。 担当者は「盛りだくさんのイベントを往時の

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  • 【歴史事件簿】豊臣家滅亡(上) 豊臣“一掃”狙った家康の深謀遠慮…秀頼に突然“いちゃもん”、淀君も陥れ「大坂の陣」仕掛ける(1/3ページ) - 産経WEST

    太閤・豊臣秀吉が亡くなって16年後の慶長19(1614)年7月。世は関ヶ原を経て豊臣から徳川の時代に移って間もない頃のことだった。秀吉の子、秀頼は徳川家康のすすめもあって地震と火災で失った太閤発願の方広寺(ほうこうじ)の大仏と大仏殿の再建を果たす。だが、家康は自身も認めたはずの開眼供養(かいげんくよう)を中止するよう申し入れてきた。完成した梵鐘(ぼんしょう)の銘文の中に徳川家を呪う文字が見つかったのだという。そう、歴史上最も有名な“いちゃもん”事件。ついに豊臣家滅亡への秒読みは始まった。 「国家安康」の鐘 梵鐘は、今でも京都国立博物館の北隣に建つ方広寺の鐘楼にさがる。高さ4・2メートル、最大径2・8メートル、重量82・7トンという巨大なもので、京都・三条釜座(かまんざ)の釜師、名越三昌(なごしさんしょう)がこの年の4月16日に完成させている。 銘文を考えたのは、東福寺や南禅寺で長老となった

    【歴史事件簿】豊臣家滅亡(上) 豊臣“一掃”狙った家康の深謀遠慮…秀頼に突然“いちゃもん”、淀君も陥れ「大坂の陣」仕掛ける(1/3ページ) - 産経WEST
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