古代や中世での朝廷の権力争いといえば、女性によって左右されることが少なくなかった。そのすさまじさは、「女性の活躍推進」を掲げる安倍内閣も真っ青といっていいほどだ。源氏と平氏が争った動乱の時代、次々と有力な女性に近づいて政治的地位を上昇させていった人物がいる。源通親(みなもとのみちちか、1149~1202年)。村上天皇の末裔(まつえい)という血を誇りつつ、たくましく政界を泳ぎ切った奇人の生き方を見てみたい。 「聖帝」の末裔として…“ホスト人生” 村上天皇は10世紀後半を生きた天皇で、その治世は醍醐天皇の世と合わせ「延喜・天暦の治」と後世、理想化された。通親はその皇子(具平=ともひら=親王)に始まる村上源氏の嫡流である。 しかし、皇胤(こういん)貴族といっても、通親らの世代まで下ると貴種性は薄れた。そればかりか、藤原摂関家やその庶流の台頭の前に、望む昇進も難しくなっていたのだ。通親は父・雅通(