2014年12月23日に奈良県立万葉文化館にて、額田王の和歌を現代的音楽とともに唄うコンサートが開かれました。このパネルディスカッションは、コンサート第3部として行われ、万葉集の持つ価値と意義について議論されました。日本が世界に誇る文化資産である万葉集の真の価値を再認識し、現代に生かしていくことの重要性を議論しております。パネリストは、同志社大学文学部准教授垣見修司氏と万葉文化館主任研究員井上さやか氏、コーディネーターは同志社大学経済学部教授八木匡氏であります。
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日本語ひらがなの五十音図といえば,言わずと知れた下表を指す. * わらやまはなたさかあ (ゐ)り みひにちしきい るゆむふぬつすくう (ゑ)れ めへねてせけえ をろよもほのとそこお 旧仮名遣いの「ゐ」と「ゑ」を含めても実際には50の異なる音(モーラ)を表してはおらず,表の中に穴もある.だが,5×10の表におよそまとめられるという意味で,五十音図と呼び習わされている.五十音図は,ひらがなの学習に活躍するのみならず,上一段活用や下二段活用など現代日本語や歴史日本語の文法記述にもなくてはならない存在であり,日本語のなかに占める位置は大きい.にもかかわらず,なぜこの並び順なのかが広く問われることはない. 実は,この見慣れた五十音図の背後には,調音音声学の原理が隠されている.この話題について大名 (2--12) が丁寧かつ易しく解きほぐしているので,是非そちらを参照してもらいたいが,原理の概要
「百人一首」の全歌人と歌を書いた全国的にも極めて珍しい「百人一首絵馬」(江戸時代後期)が、歴史に憩う橿原市博物館の企画展「百人一首の世界」で公開されている。全歌人と歌を書いた絵馬はほかに兵庫県宍粟市の御形(みかた)神社の絵馬だけという。 絵馬は、横に長い扁額(へんがく)形式。大小14の木製の扁額に持統天皇や山部赤人、柿本人麻呂ら百人一首の歌人の姿と歌がすべて書かれている。弘化(こうか)3(1846)年の制作で、大きい額は縦46センチ、横182センチ。歌人の顔は後世に失われたものが多いが、衣装などが色彩豊かに描かれている。 橿原市指定文化財で、市内の牟佐坐(むさにいます)神社の拝殿に飾られていたが、平成17年に市に寄贈。20年から3年かけて絵の剥落止めなどの修復作業が行われた。絵馬に残る記録から、南岳(なんがく)という絵師が描き、地元の人たちが神社に奉納したらしい。 よく知られた小倉百人一首
天理市内の古墳のデータや発掘調査の成果を同市教委がまとめた解説書「天理の古墳100」が発行された。市制60周年を記念した事業で、出土遺物や空から撮影した古墳のカラー写真を数多く掲載して一般にもわかりやすくした。市教委文化財課は「最新の成果を紹介しているので、一般の方も本を手に古墳巡りを楽しんでほしい」としている。(岡田英也) 同書はA4判82ページ。3世紀後半~7世紀の古墳と同時期の遺跡も掲載している。 県内の市町村では最多の1500基以上ある市内の古墳のなかから、規模や歴史ファンの関心が高い100基に絞った。 さらに、▽崇神天皇陵や景行天皇陵とされる巨大古墳がある「柳本古墳群とその周辺」▽5~6世紀に栄えた有力豪族・和爾氏の本拠地とされる「和爾・櫟本周辺」▽大和朝廷で軍事を担当し、聖徳太子や蘇我氏に滅ぼされた物部氏の勢力地「布留・杣之内周辺」――など、5つのエリアに分類。県や天理大などか
甲賀忍者の末裔 渡辺俊経 わたなべ・としのぶ/1937年生まれ。京都大学大学院工修士修了。三菱化成(現三菱化学)に入社。2000年に甲賀に戻って忍者の末裔だと判明。甲賀忍術研究会前会長など、忍者の歴史と文化を広めるため活動中(撮影/横関一浩)この記事の写真をすべて見る 伊賀忍者の末裔 伊室春利 いむろ・はるとし/1955年生まれ。高校卒業後、三重県旧阿山町役場に就職。企画、商工観光などを担当する。2010年から伊賀市教育委員会事務局に勤務、14年から事務局教育次長に。教育行政全般に関わる(撮影/横関一浩) 忍者・忍術研究家 川上仁一 かわかみ・じんいち/1949年生まれ。甲賀忍之伝を受け継ぎ甲賀伴党21代宗師家に。忍術・武術・兵法研修の神道軍伝研究所を主宰。三重県伊賀市の伊賀流忍者博物館名誉館長。三重大学社会連携研究センター特任教授(撮影/横関一浩) 歴史の裏舞台で暗躍した忍者。忍者・忍術
伊賀忍者 阿修羅(撮影/写真部・岡田晃奈)この記事の写真をすべて見る 忍術書「萬川集海(ばんせんしゅうかい)」に「その功、天地造化の如し」とあるように、忍者は正体を隠し通したが、その歴史は今も継承されている。忍者・忍術に造詣の深い川上仁一(かわかみ・じんいち)氏をナビゲーターに、伊賀忍者の子孫・伊室春利(いむろ・はるとし)氏と伊賀忍者の末裔・伊室春利(いむろ・はるとし)氏と甲賀忍者の末裔・渡辺俊経(わたなべ・としのぶ)氏が知られざる歴史の裏側を語った。 * * * 川上:伊賀甲賀が対立していたとか世の中では言われていますが、とんでもない誤解です。伊賀忍者、甲賀忍者と分けて考えるものではありませんから。だからこそ、地域間の垣根を越えて、伊賀甲賀という地域が一体となり一つの忍者文化として伝えていけたらいいなと私は思っています。 渡辺:歴史的にも甲賀と伊賀はずっと仲良くやってきたはずです。甲
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