基本的には河が国境になっているようだ。陸続きの場所もあったが、どこまでが中国で、どこからが北朝鮮なのか、明確でない情景にも遭遇した。 「こんなラインなくなってしまえばいいのにね。別に誰が得するわけでもないんだから。人間ってのは、どうしてこうも自分を守りたがるのかねえ」 筆者と男の少し後ろを歩いていたキムさんの漏らす声が耳に入ってきた。私たち2人は特に反応しなかった。 押し黙ったまま2時間ほど歩いた。「国境人」は徒歩が好きなのか。とにかくやたら歩く。情勢をウォッチしながら進んでいるようで、何も考えず、ただ暇つぶしに時間だけが過ぎていくようにも感じる。筆者にはよく分からない。歩くことが嫌いでなくてよかった。 中朝国境の旅を通じて1000キロ近い距離を歩くことになるが、国境を越えたことは一度もない。率直に言うと、1メートル手前くらいまで接近したことは数え切れないほどあった。 国境につき物の緑色の
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震災当日、休暇をとって家族旅行中だった本誌記者は、福島県いわき市のスパリゾートハワイアンズで被災。そこで記者が見た「スパリゾートハワイアンズ」スタッフの「プロフェッショナルな姿勢」とは? 3月11日。運命の日。記者は福島県いわき市にある「スパリゾートハワイアンズ」で被災した。久々にとった有休休暇。家族サービスと称し、妻と2歳10か月の息子を連れ、無料送迎バスでホテルに到着し、わずか1時間半後の震災だった。知らない土地、さらには水着のままの避難という、非日常的な状況下での悲劇ではあったが、ここで被災したことは不幸中の幸いだったのだと、今にして思う。それも、特上の。 まず、ここはガス、水道、電気という、いわゆるライフラインがすべて生きていた。そのため、さまざまなメディアで報道されている被災地のように、寒さに震えたり、暗闇に怯えたりすることが一切なかった。しかも、食料の備蓄があり、東京に帰る
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