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ブックマーク / kanimaster.hatenadiary.org (9)

  • 有島武郎 『カインの末裔』 - 蟹亭奇譚

    『カインの末裔』 は大正6年に発表された短編小説。 貧しい小作農の仁衛門(にんえもん)は自分の飼っている馬に乗り、競馬に出場する。ところが、競技中の事故により、馬は前脚を二とも骨折してしまう。 金を喰う機械――それに違いなかった。仁右衛門は不愍(ふびん)さから今まで馬を生かして置いたのを後悔した。彼れは雪の中に馬を引張り出した。老いぼれたようになった馬はなつかしげに主人の手に鼻先きを持って行った。仁右衛門は右手に隠して持っていた斧で眉間を喰らわそうと思っていたが、どうしてもそれが出来なかった。彼れはまた馬を牽(ひ)いて小屋に帰った。 有島武郎 『カインの末裔』 七 北海道の開拓地での極貧の生活。そこに生きる仁衛門は、暴力、セックス、酒、博打とあらゆる罪業の淵に沈んでいる。しかし彼は、上に引用した馬を殺そうとして躊躇う場面をきっかけに彼は変貌していく。(最後は結局殺してしまうのだけど。)

    有島武郎 『カインの末裔』 - 蟹亭奇譚
  • 水木しげる原作 ドラマ・アニメ化作品主題歌まとめ - 蟹亭奇譚

    悪魔くん 1966年10月〜1967年3月に放映されたモノクロ実写版テレビドラマ。主演の金子光伸(子役)はこの番組のあと、『ジャイアントロボ』 にも主演している。 とても子供向け番組とは思えないドロドロしたオープニングである。僕は当時小学校入学前だったのだけど、当に怖くて母親の腕にしがみつきながら見ていたものだった。 それから当時は 『ウルトラマン』 が放映されていて、世の中は怪獣ブームだったため、ストーリーにあまり関係なく巨大怪獣が出現するのが、この番組の特徴だった。(『仮面の忍者赤影』 もこのパターン。) 河童の三平 妖怪大作戦 鬼太郎については後述。『河童の三平 妖怪大作戦』 は1968年10月〜1969年3月に放映された同じくモノクロ版テレビドラマ。主演の金子吉延は、『悪魔くん』 の主役と名前が似ているが親戚ではないらしい。金子吉延という子役は、『仮面の忍者赤影』 で青影役を演じ

    水木しげる原作 ドラマ・アニメ化作品主題歌まとめ - 蟹亭奇譚
    boyasan
    boyasan 2010/06/27
    水木しげるまとめ
  • 山口百恵とバッハ - 蟹亭奇譚

    山口百恵のヒット曲には、J・S・バッハの作品のフレーズがあちこちに引用されているようだ。 以下の映像は「プレイバック Part1」(作曲:馬飼野康二)。 「Part2」のほうが有名すぎて、「Part1」なんてあったの? という感じの歌だが、これはこれで名曲だと思う。 で、この曲のイントロはバッハの 「インヴェンション第13番」 をそのまま使用している。 「プレイバック」 は Play Bach *1をかけていたのだ。 そうなると、「Part2」(作曲:宇崎竜童) もバッハに関係があるにちがいない。と思って、聴き直してみた。 歌いだしのメロディが、「トッカータとフーガ ニ短調」 から引用されている。以下の映像の 1:45 からのフレーズは、「緑の中を走りぬけてく真っ赤な……」 と全く同じである。 ついでにもう一つ、ちょっとこじつけかもしれないけど。 「ひと夏の経験」(作曲:都倉俊一)。 イン

    山口百恵とバッハ - 蟹亭奇譚
    boyasan
    boyasan 2010/06/13
    こういうのワクワクしてくるな
  • 日本人へのお願いのガイドライン - 蟹亭奇譚

    JP Kellams on Twitter: "日人へのお願い:「ディス」って15年か20年前のアメリカスラング。15年前。15年。前。今更使うって意味分からない。そして、基的にdisじゃなくてdissだよ。アメリカ人が「GETS!」を使うぐらい残念な感じがするので、当にやめてください。" アメリカ人へのお願い:「ninja」って450年か500年前の日の職業。500年前。500年。前。今更コスプレするって意味分らない。そして、基的にninjaじゃなくて忍者だよ。日人が肩をすくめて「Boy!(やれやれ)」っていうくらい残念な感じがするので、当にやめてください。 キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション) 作者: J.D.サリンジャー,J.D. Salinger,村上春樹出版社/メーカー: 白水社発売日: 2006/04/01メディア: 新書購入: 11人

    日本人へのお願いのガイドライン - 蟹亭奇譚
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    boyasan 2010/04/28
    diss曲の紹介なんかの場合はいまでもふつうに diss は使います
  • 夏目漱石の「月が綺麗ですね」にまつわる考察と中勘助 『銀の匙』 - 蟹亭奇譚

    中勘助は明治18年に東京で生まれ、昭和40年に没した作家・詩人である。(谷崎潤一郎より一つ年上であり、谷崎と同年に亡くなった人だ。)彼は東京帝国大学英文学科で夏目漱石の講義を受け、のちに国文学科に転じた。明治44年に執筆した 『銀の匙』(前篇) が漱石に注目され、同作は東京朝日新聞に連載された。大正2年に書かれた同後篇も同じく新聞に連載された。*1 作は作者の自伝的小説である。幼少時代の回想がほとんどを占めており、子供の頃の出来事が子供の頃の視線で、時に美しく、時に醜く描かれている。前篇の前半は 「よくこんな細かいことを覚えてるなあ」 と思わせるようなエピソードが順不同に並べられているが、小学校に上がるあたりから次第に主人公 《私》 の成長過程がストーリーの軸になって行く。ときどき 《私》 が幼い頃の出来事を回想する場面があるのだが、「あっ!」 と声を出して驚いてしまうほど効果的な挿入の

    夏目漱石の「月が綺麗ですね」にまつわる考察と中勘助 『銀の匙』 - 蟹亭奇譚
    boyasan
    boyasan 2010/03/29
    ロマンチックな仮説
  • おばあちゃんの話 - 蟹亭奇譚

    僕の祖母は明治二十七年に東京で生まれた。その頃の東京には無名時代の夏目漱石がいた。島崎藤村や樋口一葉は同人雑誌に習作を載せていた。そんな時代の話である。ちょうど日清戦争が始まった年だが、さすがに日清戦争のことは記憶になくて、その代わりに日露戦争の話をよく僕に聞かせてくれた。ときどき空襲の話が混ざるので、日戦争に勝ったのか負けたのかよくわからなくて困った記憶がある。 上の写真は祖母が十七八のころのもの。祖母は明治の終りに結婚して関西に住み、大正の初めに女の子を産んだ。娘が十二のときに夫が亡くなり、祖母は働きに出た。やがて祖母は再婚し、男の子を産んだ。十五になっていた娘は女学校をやめ、家を出て全寮制の音楽学校に入った。昭和の初めのことである。 祖母の再婚生活は長くは続かなかった。なぜなら 《当の結婚》 ではなかったからである。母一人子一人となったわけだが、その後も祖母の 《お妾さん》 生

    おばあちゃんの話 - 蟹亭奇譚
    boyasan
    boyasan 2010/03/06
    あまりふさわしいタグじゃないかもしれないけど、ポジティブな感じでご勘弁を
  • ベーム/ブラームス 『交響曲第1番』 - 蟹亭奇譚

    ブラームスと同時代の指揮者ハンス・フォン・ビューローが、ブラームスの交響曲第1番のことを 《第10》 と呼んだ、という逸話が残されている。ベートーヴェンの第九の後継という意味なのだが、たいていの CD の解説にはこの話が書かれている。確かにこの曲はベートーヴェンの影響を受けている。第九にちょっと似ている箇所もある。だが、ブラームスが生まれたのは1833年。1827年にベートーヴェンが死んだ後のことだ。それに第九の初演(1824年)から、ブラームスの第1番初演(1876年)までは50年以上も経っている。《ベートーヴェンの後継者》 というのは名誉ある呼称には違いないが、いくらなんでも時代錯誤ではないか。当時はそれで良かったのかもしれないが、そういう逸話をいまだに語り続けて良いものなのだろうか。現代の中堅シンガーに向かって、「プレスリーの後継者」、「二十一世紀のジョン・レノン」 と呼んでしまうよ

    ベーム/ブラームス 『交響曲第1番』 - 蟹亭奇譚
  • 横光利一 『機械』 - 蟹亭奇譚

    初めの間は私は私の家の主人が狂人ではないのかとときどき思った。 横光利一 『機械』 冒頭にこんなことが書かれているが、どう考えても狂っているのは語り手の 《私》 のほうである。そう解釈するほうが辻褄があう。《私》 が住み込みで働くネームプレート工場の主人について、主人のから 「金銭を持つと殆ど必ず途中で落してしまう」 と聞かされるが、いくらなんでもそんな性癖は存在しない。《私》 は騙されているのである。ほかにも、工場の同僚二人とのやりとりは台詞を除くと、ほとんどが 《私》 の思いこみ、誤認、誤解、妄想のたぐいとしか思えないものばかりだ。(再読したら、台詞さえカギカッコで括られたものは一つもなかった。) 全く使い道のない人間というものは誰にも出来かねる箇所だけに不思議に使い道のあるもので、このネームプレート製造所でもいろいろな薬品を使用せねばならぬ仕事の中で私の仕事だけは特に劇薬ばかりで満

    横光利一 『機械』 - 蟹亭奇譚
    boyasan
    boyasan 2009/11/06
    そのうち
  • 「形容詞 + です」という日本語の用法について - 蟹亭奇譚

    「形容詞 + です」 は誤用ではない 変な日語(1) 「危ないですから」-九十九式 電車に乗っていると、ホームでこんなアナウンスがよく流れてくる。 「3番線に電車がまいります。危ないですから、黄色い線の内側にお下がりください」 僕はこれを聞くたびに、強烈な違和感を覚える。電車には毎日乗るので、この襲い来る違和感と戦うだけで会社に着く頃にはヘトヘトになってしまう。 言うまでもなく、「危ない」という形容詞に直接「です」を付けるのは誤用だ。 変な日語(1) 「危ないですから」-九十九式 「危ないです」 のように、「形容詞 + です」 という表現は、文法的に間違った用法ではない。上記リンク先の主張の根拠として、以下の MSN 相談箱の回答欄が引用されているが、これに至ってははっきり 《間違い》 といって良いだろう。 昭和27年の国語審議会で「形容詞+です」表現を「許容する」としたときから、日

    「形容詞 + です」という日本語の用法について - 蟹亭奇譚
    boyasan
    boyasan 2009/10/23
    国語審議会が「何の役にも立たない」は言いすぎだが
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