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ブックマーク / spinou.exblog.jp (8)

  • 未成年の自殺報道について | L'art de croire             竹下節子ブログ

    大津いじめ自殺事件についていろんな方から意見を聞かれたのでひとこと。 自殺防止のためには報道を規制すべきだということは、国連のWHOからのガイドライン でも強調されていることだが、その中で、 「個人的な問題に対処する方法として自殺を描き出さない。」というのがある。 自殺が「問題対処の方法」の選択肢の一つであり得たかのようにまず描いておいて、それからその選択肢を選ばせない方法をあれこれ議論するのはどこか間違っている、と私も思う。 日語では「自裁」、「自決」という言葉もあり、「自殺」というのも『春秋左氏伝』などに出てくる古い漢語らしい。私はなんとなく、Suicideの翻訳語だと思っていた。 日の昔の心中だとか切腹とか自害というのは、「選択」というより、社会的に行き詰って他の選択肢がなかったり制度化して強制されるものだったりという印象を持っていたのだ。 キリスト教国では、「狂気の果て」と見な

    未成年の自殺報道について | L'art de croire             竹下節子ブログ
    boyasan
    boyasan 2012/08/14
    やはり興味深いテーマ
  • 「オバサン」の話 | L'art de croire             竹下節子ブログ

    フェミニズムに関係した日語のブログでおもしろいと思うのは最近見つけた田中ひかるさんの http://ameblo.jp/tanakahikaru77 だ。 彼女の『「オバサン」はなぜ嫌われるか』は読んでいないのだが、「おばさん」はまあいいけれど「オバサン」は差別語だということみたいだ。 彼女も、若い時に学生からジョークでオバサンと言われたことはあるがほんとにオバサンの年齢になったら言われなくなった、それは「差別語」という認識があるからだ、というようなことを述べている。 ところが、動画も少し拝見したが、田中さんは若々しくてかわいい感じの人で、歳も若いし、外見では彼女のいう「オバサン」のカテゴリーに入らない。 考えてみると、こういうタイプの言説というのはすごくスタンスが難しい。 たとえば、「女性は太っているくらいの方がきれいですよ」と発言する女性が太っていたら「自己弁護」だと思われるし、痩せ

    「オバサン」の話 | L'art de croire             竹下節子ブログ
    boyasan
    boyasan 2011/11/08
    おばあちゃんに対して「ばあさん」と呼びかけるのが許されるキャラクターの気持ちよさ、について考えてる
  • アラブ世界で起こっていること  その4 フランスとアメリカ | L'art de croire             竹下節子ブログ

    エジプトの次はイエメンかバーレーンかと思っていたがリビアになりそうだ。 その血なまぐささは半端でなく、2007年にサルコジ大統領がエリゼ宮にカダフィを歓待した時に「フランスは血にまみれた足を拭くマットではない」と批判して左遷された当時の人権大臣ラマヤデは溜飲を下げているだろう。 アメリカもイギリスもドイツも、当時すでにカダフィと石油と武器の交換貿易の成果をあげていて、フランスもあわてて遅れを取り戻そうとしていたのだ。 (追記:ヨーロッパでリビアに最も利権を確保しているのは旧宗主国イタリアであることはもちろんだ。もう一つ、カダフィはアフリカ大陸からヨーロッパへの不法移民を防ぐための海岸線警備に有能だった。昨年、それを強化して「ヨーロッパを黒くしないために」とEUに5億ユーロだかを要求し、さすがに断られていた。) サルコジ政権以来、フランスは 「人権理念よりもリアルポリティクスね」 となりふり

    アラブ世界で起こっていること  その4 フランスとアメリカ | L'art de croire             竹下節子ブログ
  • アラブ世界で起こっていること  その3 イエメン | L'art de croire             竹下節子ブログ

    イエメンとの仕事に最近挫折したフランス人ビジネスマンと話した。 仕事の挫折は最近の情勢と関係があるのかどうかと私は聞いてみた。 この人は確かに現大統領の家族とコンタクトがあったので、今の体制が崩壊するとすべてを失うことになるから、ビジネスがストップしたこと自体は後悔していない。 けれども、問題は、それよりも、カートにあったという。 カートは麻薬の一種で、イエメン人はカートの葉を朝からくちゃくちゃと口に含み始め、反芻するかのようにかみしめていて、午後1時頃になると多幸がピークになるので、ほとんど仕事にならないそうなのだ。 飲酒が禁じられているという事情があるとはいえ、とにかく町中でも家庭内でも老いも若きも1日中できるだけ長い間カートの葉をチューインガムのように噛んでいるらしい。 もちろんアディクションが起こることははっきりしている。 反体制を目指す若者たちのツイッターなどにカートの話題は出て

    アラブ世界で起こっていること  その3 イエメン | L'art de croire             竹下節子ブログ
    boyasan
    boyasan 2011/02/25
    よく聞くが限度こえてはまりすぎだろ
  • コプトのキリスト教など | L'art de croire             竹下節子ブログ

    イラクのキリスト教徒たちは、国外に逃げられる人たちはもはやほとんど逃げて、残った人たちは教会にも行けないほどの脅迫を受けている。 エジプトのコプト教会でも自爆テロまであって大変だったのは記憶に新しい。 コプト教会にはカトリック(22万5千人)もいるせいか、フランスではかなりの大騒ぎになった(フランスには4万人のコプト・コミュニティがある)。 エジプトは言わずと知れた初期キリスト教の揺籃の地の一つで、アレキサンドリアはローマと並ぶ国際都市で、あり、神学においても中心地だった。 「コプト」というのはエジプト人を指すギリシア語のaiguptiosを、642年にイスラム教と共にやってきたアラビア人がアラビア風に読んでキリスト教共同体を指すようになった言葉だ。 コプト教会というのはなかなか辛酸をなめてきたグループである。 ヘロデ王による嬰児虐殺を逃れるために生まれたばかりのイエスを連れて聖家族が亡命

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  • 伝統医学 | L'art de croire             竹下節子ブログ

    今、自分が肩を痛めたリハビリを通して、代替医療についてのレポートを書こうとしているのだが、それについてフランス語で読む時と、日語で読む時の差に気づいて改めて考えさせられた。 昨年鳩山内閣は代替医療のエビデンスを確立したいというような統合医療を目指す方針を出したらしいが、日では、 「近代西洋医学」 対 「伝統医学」または「代替医療」 という図式があって、 「近代西洋医学」は科学的でエビデンスを追求し、普遍性があるが、機械論や細部にとらわれて全体を見ない、個々の人間を見ない、副作用で体を壊すこともあり、冷たい、 それに対して「伝統医学」や「代替医療」は自然にやさしく人間にやさしく、ホーリスティックで全体を見て、理論は確立していなくとも実績がある、温かい、 という印象がある。 これが、フランスでは根的に違う。 もちろん、近代医学が解決できない難病などの前に、代替医療系の特効薬や奇跡の治療が

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    boyasan
    boyasan 2010/10/18
    叩き方が違うと
  • フランス・バロック音楽のオリジナリティについて | L'art de croire             竹下節子ブログ

    『バロック音楽はなぜ癒すのか』(音楽之友社)に書いたことの一部を、分かりやすく言い換えてみよう。 フランス・バロックの音楽は、1650年から1750年の100年間に、その後いわゆる「西洋近代音楽」に発展したイタリア・ドイツ系のバロック音楽とは全く違う、いわば「ガラパゴス」的な展開をした。その後、ある種のヨーロッパ・グローバリゼーションと民主化と産業革命の流れの中で、フランス・バロックは絶滅種となってしまう。 ここでフランス・バロックと言うのは、別にフランス人がフランスで作曲したものと言うわけではなく、スタイルの問題であり、バッハもたとえばフランス組曲を書いている。 フランス・バロックは非常に複雑で知的な体系だった。 それを可能にしたのはルイ14世に頂点をなした中央集権的な芸術の囲い込みという政治的経済的背景である。宮廷や首都に、コーラスやバレエ団やオーケストラや大がかりな機械仕掛けを常駐さ

    フランス・バロック音楽のオリジナリティについて | L'art de croire             竹下節子ブログ
    boyasan
    boyasan 2010/10/11
    たいへんわかりやすい
  • ブルカ禁止法 | L'art de croire             竹下節子ブログ

    フランスに亡命アフガニスタン人などが増えたせいか、いわゆるブルカという全身を隠して目のところが網目になっている服を着ている女性がたまに見られるようになった。その他に、サウジ・アラビア風の全身真っ黒のものとか、イスラム系女性が外で身にまとうものはいろいろあるのだが、フランスでは、顔を含めて全身を隠すものをブルカと総称し、これを公道で来て歩くことを制限する法律を作るかどうかでいろいろもめている。 少し前の学校における「イスラムスカーフ禁止法」が、イスラムを特定しないように、あらゆる宗教のシンボルの目立つものは禁止と言い換えたように、宗教と結びつけた抑圧と取られるのはいかがなものかという考えもある。 私も、どちらかといえば、もぐらたたきみたいに法律を作るよりも、ケース・バイ・ケースで、ある女性の全身ヴェールが、どういう力関係によって決められているのかをチェックして、セクト禁止法や女性差別に関する

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