放送法「行政文書」、政府認める 立民・小西氏の資料と同内容―野党、高市氏辞職を要求 2023年03月07日20時22分 総務省が公表した、放送法が定めた番組の政治的公平性の解釈を巡る首相官邸とのやりとりを記した内部文書=7日 総務省は7日、安倍政権下で作成された放送法の政治的公平性を巡る首相官邸とのやりとりを記した内部文書を公表した。立憲民主党の小西洋之参院議員が官邸側の圧力を示すものだと主張して公開した資料と同じ内容で、「行政文書」だと認めた。 総務省内部文書の要旨 文書について高市早苗経済安全保障担当相は「捏造(ねつぞう)」と批判し、捏造でなかった場合、衆院議員を辞職する考えを示していた。立民の安住淳国対委員長は記者団に「政治責任は免れない」と高市氏の辞職を求め、関係者の証人喚問も要求した。 資料はA4判で78枚。放送法に関し「一つの番組ではなく番組全体を見て判断する」との従来の解釈に
今から55年前、戦後初の国葬となった吉田茂元総理大臣の葬儀はどのようなものだったのか。当時の映像や資料を調べると、4万人以上が献花に訪れていたほか、その後には法的な根拠など課題について議論されていたことが分かりました。 当時の映像を見ると 吉田元総理大臣の国葬は、亡くなった11日後の1967年10月31日に日本武道館で行われ、NHKは中継番組を放送しました。 この番組をデジタル化した映像を見ると、各地で弔旗や半旗が掲げられる動きや、都内中心部の青山通りに大勢の人が詰めかけ、車の葬列を見送っている様子が映されています。 そして、遺影が飾られた式壇に当時の皇太子ご夫妻、いまの上皇ご夫妻が献花されたほか、海外の要人などの参列者らも次々と哀悼の意をささげていました。 当時の経緯を記録した公文書「故吉田茂国葬儀記録」によりますと、神奈川県大磯町にあった吉田元総理大臣の自宅から日本武道館までの沿道には
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