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lifeに関するdazedのブックマーク (408)

  • 正しさに殴られ続けて死ぬ|マシーナリーとも子

    ここ数日、SNSが最悪だ。 連日あらゆる作家さんたちが「売れない創作物は……カスです!」という話をしている。 そのとおりだ。そのとおりすぎてうんざりする。 *** 「売れるものを作りましょう」 「売れるものとおもしろいものは両立できます」 「売れておもしろいものを作るためにいっぱい勉強しましょう」 「作品をたくさん作って経験を詰みましょう」 ぜんぶ正しい。 だがこうした正しい意見の厄介なところはまさにその正しいところにある。「お金を稼ぎましょう」 「野菜をたくさんべましょう」 「運動をたくさんしましょう」 「友達をたくさん作りましょう」 「結婚して子どもを生みましょう」 「街のゴミを拾いましょう」 「部屋を片付けましょう」 などなど…… そして正しい意見というのは反論を封じる。正しいからだ。 口が裂けても「マンガは売れなくたっていい!」と言うことはできない。 だが現実問題として「できない

    正しさに殴られ続けて死ぬ|マシーナリーとも子
  • 日本最高齢エロゲメーカー社長との最期の4年間の思い出|稲庭淳

    訃報】 日最高齢のエロゲメーカー社長ことLost Script代表・中村清治(hal)氏が逝去されました。 PC88の時代からゲーム一筋、傘寿を過ぎてなお『S.T.A.L.K.E.R. 2』をやり込む日々で最期を迎えるという、ゲーマーの晩年のお手のような方でした。 謹んでお悔やみ申し上げます。 pic.twitter.com/RczyCaZlcy — 稲庭淳 (@inaniwan) March 31, 2026 中村清治(hal)氏が亡くなった。 1941年生まれで、エロゲブランド・Lost Scriptの代表。 日最高齢のエロゲメーカー社長にして、ゲーム『S.T.A.L.K.E.R.』の日最高齢プレイヤーでもある。 還暦を過ぎてからエロゲメーカーを立ち上げたり、80歳を過ぎてなおPCゲームをしていたりするキャッチーなキャラの濃さの割に、最期の数年間で接していたのは僕しかいなかっ

    日本最高齢エロゲメーカー社長との最期の4年間の思い出|稲庭淳
  • 上野、パンダ、それからロックンロール。 - Everything you've ever Dreamed

    三連休の初日に大学時代の友人Aと後輩Bに会った。三人で会うのは2004年以来になる。物理的距離的体力的な問題の同時多発的な発生により、ずっと会うことが出来なかった。友人Aが2010年の冬に体調を崩してどうにもならなくなり東京から故郷の青森に帰省し、新聞社に勤めていた後輩Bはすでに九州へ異動していたため、三人で会うにも会えなかったのだ。おっさん三人には若いカップルのような遠距離を埋めるほどの愛の力はなかった。昨年、後輩Bが長年の激務が祟って体調を崩して仕事を辞め、地元の栃木に帰ってきた。そして、10数年かけて生活の安定した友人Aが青森から夜行バスで上京することになり、後輩Bも合流して上野で会うことになったのである。 上野恩賜公園のカエル噴水で待ち合わせした友人Aは元気そうだった。16年経って僕らは52歳のおじさんになっていた。青森へ帰るとき、死人みたいな青白い顔をしていたので、顔をあわせるな

    上野、パンダ、それからロックンロール。 - Everything you've ever Dreamed
  • 「勇気を持って戦え」〝ひふみん〟から娘への教え 仙台白百合女子大学長、加藤美紀さん

    将棋界で「神武以来(じんむこのかた)の天才」の名をほしいままにしていた加藤一二三(ひふみ)九段が22日、亡くなった。86歳だった。その次女で仙台白百合女子大学長の美紀さんが令和5年、産経新聞のインタビューに答え、家族だけが知る「ひふみん」について語っていた。 美紀さんは昭和40年、東京都出身。上智大外国語学部ポルトガル語学科を卒業した後、日貿易振興機構(ジェトロ)で雑誌編集に携わった後、いくつかの修道女会をへて、令和6年3月から仙台白百合女子大学長を務めている。 ◇ 絶対に受けるべきだ産経新聞からインタビューの依頼を受け、一旦は「受けさせていただきます」と答えたんですが、いろいろな方の話を聞いて迷ったうえで、「やはり辞退させていただきます」とお断りしました。 東京で父に会った際、「産経新聞のインタビュー企画の依頼を受けたんですが、断りました」と伝えたところ、温厚な父が「どうして断ったの。

    「勇気を持って戦え」〝ひふみん〟から娘への教え 仙台白百合女子大学長、加藤美紀さん
  • 100万回生きたねこはリーマン予想の夢を見るか?

    この記事の3つのポイント 絵作家・佐野洋子さんの代表作『100万回生きたねこ』 当は怖い輪廻転生、が生き返ることをやめた理由は ねこは輪廻の輪から解脱したが、数学者には難しいかも (文中敬称略、絵文中では「ねこ」「のらねこ」と表記していますが、稿文では「」「野良」とします) 『100万回生きたねこ』(1977年)という絵がある。絵作家・佐野洋子(1938~2010)の代表作にして、出版後48年を経てなお読み継がれる名作だ。何度も生きては死に、輪廻(りんね)転生を繰り返すが、愛を知り悲しみを知り、十全に生きることで輪廻が終わるという内容に、涙を流した人は少なくないだろう。 が、まずはストレートな内容ではなく、ちょっと(いや、かなりかも)ひねくれた話を展開しよう。題して「果たしては輪廻転生で100万回生きることが可能なのか?」。 の寿命からすると100万回は難しい

    100万回生きたねこはリーマン予想の夢を見るか?
  • ニートの息子とフリマ巡りしてる

    20代後半の息子がニート。 最初は厳しく接してしまっていたが、一時期は当に精神状態が悪化してしまった。 自殺や引きこもり化を防ぐためにと考えて話し合った結果、以下のことが決まった。 ・息子の現状を一旦肯定する ・息子ができることを肯定する ・息子が社会と接点を失わないようにする 息子はドライブとゲームセンター(UFOキャッチャーや、フックを引っ掛けてキーホルダーをとるやつ)が好きだ。 そこで息子に、ゲームセンターでぬいぐるみやフィギュアやキーホルダーを取ってもらい一緒にフリーマーケットでそれを売る、ということを発案した。 それで金や生活費を稼げというわけではない。 売るだけならメルカリだってできるし、その方が利益もあるかもしれない。 ただ、得意なものを肯定したうえで、社会との接点を失わせたくなかった。 息子は二つ返事で了承してくれた。 軍資金を渡すと一週間かけて想像以上にたくさんの商品

    ニートの息子とフリマ巡りしてる
  • 「グエー死んだンゴ」ニキにはなれないけれど

    少しまえに「グエー死んだンゴ」ニキが話題になった。末期がんで闘病を続けていた人が亡くなったあと、Xに予約投稿であろう「グエー死んだンゴ」という一文がポストされたのだ。 それに対して、ネット民たちは「成仏してクレメンス」と応えた。自分の当の死をネットスラングにしてみせる姿は、まさしくインターネットの人だった。 話はそれだけでは終わらなかった。新聞の訃報欄で事実が確認され、亡くなった人がまだ22歳の大学生であったこと、希少がんであったことなどがわかったのだ。 だれかのポストをきっかけに、「香典」として国立がん研究センターなど、がん対策の研究機関などに寄付が相次いだ。 そこには、なにかインターネットのよいところが現れているようにも見えた。 誹謗中傷や分断煽り、儲け主義がはびこる中で、ひさびさに見たヌクモリティだ、泣き笑いのある話だ。AIにはできないことだ。人の死は人にこんな反応をもたらす。 若

    「グエー死んだンゴ」ニキにはなれないけれど
  • 灯光 - megamouthの葬列

    大阪には環状線という全長20kmほどの路線があって、昔、その線路沿いを友達と3人で徒歩で一周したことがある。 どういう理由だったかは覚えていない。多分3人が3人とも暇を持て余していて、いつもの遊びを繰り返すのにも飽きてしまったぐらいの理由だったと思う。 朝8時ぐらいに最寄りの駅から始めて、時計回りに回って元の駅に戻った時には夜になっていた。一見するとスタンド・バイ・ミーみたいなエピソードではあるのだが、死体を見つけたとか、不良に絡まれたみたいな、ドラマチックなことは何も起きなくて、ようするに長い散歩だったので、ずいぶんくたびれたとか、当時はまだかなり治安の悪かった新今宮駅を通過する時は緊張したとか、その程度の話ではあった。ただ、随分昔なのに、道中のいちいちをよく覚えていて、例えば夕暮れの暗くなった大阪城公園の中を歩いている記憶は今でもありありと思い出すことができる。 私は、そういう共に無為

    灯光 - megamouthの葬列
  • 好きなことで生きていく - megamouthの葬列

    昔DeNAの新人が入社後半年だかの振り返りのプレゼンの中で「うまくモチベーションが上がらなくて」ということを言った時に、南場社長が「社会人がモチベーションで仕事をするな」とすごく怒ったという話*1があって、とても印象に残っている。 また、これは実体験だが、その当時所属していた会社のけっこう中心的な人物が退職する送別会で、その人が受け持っていた客の話になった時、「あれもこれも大変なお客さんですね。私たちに引き継ぎできるものですかね」と残された側が不安をこぼすと、その人は「仕事やろ」とピシャリと言った、という場面をよく覚えている。 どちらも胸に氷を刺されたような、うすら寒い気持ちになったからだった。 私は、社会人だが、どうにも好き嫌いで仕事をしている節があった。やるべきことを淡々とこなすのではなく、やらなくてはならないことの中に何とか自分の興味が持てるようなテーマを見いだして、努力の為のエネル

    好きなことで生きていく - megamouthの葬列
  • 例えば、老母との喧嘩を警察に通報すること - megamouthの葬列

    ずっと更新していなかったブログを、金を払うのさえ忘れてしまってアドレスすら変わってしまったこのブログに新しくエントリを追加する気になったのは、どうも自分は死ぬらしい、と思ったからだ。 誤解のないよう付け加えると、今死にたいとか何か深刻な病気で、というわけでなく、なんとなく近々死ぬようだ、と思っただけなのだけど、そういう時に、このブログのことを考えると、ある程度は私という人間を司っている部分があったように思うし、読者の方々の声や存在に励まされたことも何度かあったから、このブログをそのままにして死んでしまうのも何だか落ち着かないというか、少し薄情な気がした、という理由である。 ご存知のように私は17年ほど病を患っているのだが、最近になって精神障害者保健福祉手帳なるものの3級に認定された。申請することになった経緯については、今ひとつ覚えが悪いのだが、職を一つダメにして、主治医に見放されて、代わ

    例えば、老母との喧嘩を警察に通報すること - megamouthの葬列
  • 島で30年余り孤立生活、イタリアの「世捨て人」が死去 85歳

    ローマ(CNN) 地中海の無人島で現代インフラに頼らない生活を30年あまり続けていた男性、マウロ・モランディさんが死去した。85歳だった。文明世界に戻ってからわずか3年後の死となった。 モランディさんはサルディーニャ島沖のブデッリ島に一人暮らしをしているところが確認され、メディアから「ロビンソン・クルーソー」のあだ名を付けられた。自身の孤独な生活に誇りを持っていた。 モランディさんは1989年、消費主義や社会そのものから脱出しようとポリネシアへ向かう航海を試みたところ、乗っていた双胴船が難破。その直後から管理人として島に滞在し続けた。 幸運なことに、モランディさんの前にブデッリ島の管理人を務めていた世捨て人の引退が近づいていたことから、モランディさんがこの仕事を引き受けた。サンゴと花崗岩(かこうがん)、貝殻でつくった家にひとり暮らしていたが、2021年、国が島を自然公園に改修した際、イタリ

    島で30年余り孤立生活、イタリアの「世捨て人」が死去 85歳
  • 33歳になって初めて知る両親の事情を咀嚼できないのでインターネットの海に放流する

    私は2年前まで渋谷ベンチャー企業でゴリゴリ働き、12時出社3時退勤、土日も稼働、コンビニ飯生活を続けていたらあれよあれよとになり遺書を書いて自◯スポットをロケハンするくらいには追い込まれてしまったので、退職して実家に戻らせてもらった。 人生で初めての母との2人暮らしだ。 母とはそれなりに仲は良い方なのかもしれない。 けど実はめちゃくちゃ苦手な人物でもある。 面倒見は良いのだけど、基的に人の話が聞けない。傾聴能力が0に等しい。 例 私「今日友達映画観てきて面白かったよーこんな映画でさ〜」 母「今日雨だったから自転車じゃなくてバスで買い物行ったら、ポイントカード忘れちゃってさ」 ってくらいには会話ができない。 子供の頃からずっとそうで、母は会話ができない人として認定しまっている。なので母に何かを相談したことがほぼない。確定事項を報告するのみ。 それに加えて全ての言動が否定的で、同意をして

    33歳になって初めて知る両親の事情を咀嚼できないのでインターネットの海に放流する
  • ♯2:誰がために音楽は鳴る | ele-king

    平日の朝の9時台の渋谷行きの電車のなかといえば、そりゃあもう、その1時間前よりは空いているため多少はマシだが、それでもまだ混んだ車内は最悪な雰囲気で、ゲームやメルカリやYouTubeやなんかで時間を潰す勤め人や学生、座席に隙間なくそれでも眉間に皺を寄せた人たちは居心地悪そうに座り、たまにいびきをかいている輩もいると。まあ早い話、幸せとは思えないような人たちでいっぱいだ。だからそんななか、音楽を聴きながらステップを踏んでかすかとはいえ歌まで歌っているうら若き女性がいたら、周囲が視線を寄せるのも無理はない。ただし、そう、怪訝な目で。 たまたま偶然、彼女はぼくのすぐ前にいた。電車が動いているうちはまだいいが、停車し、ほんの数十秒の静けさが車内に訪れると彼女が歌っているのがはっきりとわかる。聞こえた人はそこで「ん?」と思う。ドアが閉まり、電車ががーっと音を立ててまた走りだすと人びとは手元のスマホの

    ♯2:誰がために音楽は鳴る | ele-king
  • 拝啓、松本人志様 - ←ズイショ→

    私は1986年生まれ、いまは37歳です。そこらへんにいる一般人です。 大阪の育ちじゃないし、4時ですよーだも知らないし、ど真ん中ではないのかもしれません、あなたの若い時の苦楽を当に知る年代からは少し遠いかもしれない。それでも間違いなくダウンタウン世代だという自負はあります。 僕はもともと気の弱い子どもでした。いつも人の顔色をうかがっている子どもでした。今もそういうところは抜けきりませんが、まぁなんとかちゃんとした大人をやっています。 子どものころは自分が戦える武器が何も見つからないから、人の顔色をうかがってヘラヘラしていました。声の大きな奴らの後をついていくくらいしか出来ませんでした。 そんな中で松人志と出会いました。これは僕にとって、とんでもないことでした。 親が家を買ったとかなんとかで僕は当時いじめられてた小学校を脱出して転校して、次の小学校に向かいました。そこで僕はキャラ変を決行

    拝啓、松本人志様 - ←ズイショ→
  • ノア・スミス「もっと浅薄な未来に向かって」(2024年1月3日; 2025年8月17日再投稿)|経済学101

    Art by GPT-5. Prompt: “an image that evokes ‘The Triumph of Death’, with similar buildings and a similar layout, but where everyone is healthy and happy”[2025年8月17日追記]今日,友達のヌール・シディキがネットで批判されているのを目にした.ヌールが創設して CEO をつとめている Orchid は,遺伝性疾患を避けるために IVF用の胚スクリーニングをやっている会社だ.遺伝性疾患をかかえる友達が何人もいるぼくにとって,これはすばらしく魅力的に思える――大半の親たちは,自分が苦しんだのと同じ先天的な障害に我が子が苦しまずにすんでほしいと願うはずだ.先日,ヌールは自分の会社について『ニューヨークタイムズ』のロス・ドウサットにインタビュー

    ノア・スミス「もっと浅薄な未来に向かって」(2024年1月3日; 2025年8月17日再投稿)|経済学101
  • 「お金より大事なもの」にどうやって気づくか | トウシル 楽天証券の投資情報メディア

    超重量級の質問 先日、トウシルの編集部に筆者宛のQ&Aの質問を募集して貰った。 実は、質問に答えて文章を書く形式は気に入っている。かつて、「週刊朝日」や「News Picks」などで人生相談の連載を持っていたことがあるし、作家の村上龍さんが編集していた「JMM」(Japan mail Media)というメールマガジンで、村上氏の質問に答える回答者の一人を長年やっていたこともある。 この種の質問に対する回答は、たいていの場合質問文を手掛かりに文章を書き始めると何とかなるのだが、時に、質問の重要性は分かるのに、答えが全く分からなくて考え込むような「超重量級の質問」が来る場合がある。 今回取り上げる質問は、その種のものだ。しかも、質問者がさるメディアの編集責任者を務める知り合いなので、スルーする訳にもいかない。 「世の中には、お金よりも大事なものがあるのは明らかだが、具体的にどうやったらそれに気

    「お金より大事なもの」にどうやって気づくか | トウシル 楽天証券の投資情報メディア
  • 山崎元さんと「お金」と「怒り」について - いつか電池がきれるまで

    diamond.jp media.rakuten-sec.net 経済評論家の山崎元さんが亡くなられた。 道がんで闘病中であることを公表されていたし、メディアに出演されている姿をみて、痩せてしまったなあ、と心配してもいたのだ。 山崎さんは、金融機関や保険会社が「売りたい(手数料が稼げる)商品」に比較的忖度せず、「個人投資家にとって、(長期投資ができるのであれば)比較的低リスクで低コストのインデックス投資」をずっと勧めていた。 各種保険の必要性にも疑問を投げかけていた。 それは山崎さん人が癌で闘病されていたときも変わらなかった。 アメリカならともかく、日においては、「お金がないから標準医療を受けられない」ということはないし、高額医療も手続きをすれば一定額以上は還付される仕組みになっている。僕自身は、学生時代に寮で息苦しい思いをしたこともあり、入院するなら個室がいいなあ、と思うので、躊躇

    山崎元さんと「お金」と「怒り」について - いつか電池がきれるまで
  • 自分を救うプログラミング|naoya

    子どものころは絵を描くのが好きだった。 学校の休み時間は、クラスメートはみな外にサッカーをしにいっていたが一人教室にのこってノートに漫画を描いている、そんな小学生だった。 自宅に戻っても、自室にこもってよく漫画を描いていた。 漫画と書くいっても、別に人を楽しませるために描いているわけではなかった。もちろん褒められると嬉しかったが、それが目的だったわけではなく、いま思えば、それは自分で自分を癒すかのような行為だった。自分を救うために絵を描いていた。 絵を描いているときは、それに夢中で没頭していて、ほかの何にも代えがたい時間を過ごすことが出来た。この時間が、どこか自分の救いになっていた。 中学二年生ぐらいになって思春期にさしかかった頃だろうか。教室で絵を描いていると浮いてしまうことに気づいて、恥ずかしくなって、描かなくなった。 それでもやっぱり絵を描いたりなにか作品を作ったりするのは好きだった

    自分を救うプログラミング|naoya
  • 【豊島】自然卵ヨベル 吉野聖さん、桃子さん 50羽の鶏と1日2,500円の暮らし

    満員電車の通勤や集団行動が苦手という理由で、フリーランスを貫き「その日暮らしのような生き方をしてきた」桃子さんと、東京で会社勤めだった聖さん。資主義の社会システムになるべく依存しない生き方を模索するため、田舎への移住を決意。小学生のお子さんがいて、かつクリスチャンであるがゆえ、小学校と教会があることを条件に移住先を探した。仕事は農業をするとは決めていたが、何を育てるかはまったくの白紙。まったくゼロからのスタートだった。移住先と農業のリサーチを同時並行で開始した。 リサーチの過程で、たまたま訪れた豊島に心を奪われた聖さん。「なんにもない!いい島!」と感じたそうだ。目立った商業施設は何もなく、吉野夫が理想とした離島らしい風情があり、移住の条件である小学校と教会があった。さらに、豊島は農業とクリスチャンの両方に縁の深い「農民福音学校」にまつわる歴史でも知られる場所でもあった。日最大規模の生

    【豊島】自然卵ヨベル 吉野聖さん、桃子さん 50羽の鶏と1日2,500円の暮らし
    dazed
    dazed 2023/12/13
    ふとautomaticsを聴いてヨシノモモコさんどうしてるのだろう?と思って検索して、このページに辿り着いた。お幸せそうで何より。
  • 【報告】ねとらぼを退職しました(理由:膵臓がなくなったから)|たろちん

    おれはねとらぼをやめるぞ! ジョジョーッ! というわけで2023年11月30日をもってアイティメディア(ねとらぼの会社)を退職しました。 30手前までフリーライターなどと称して世間を欺き実家でただただ黒霧島を飲む毎日を過ごしていた穀潰しの私に仕事を与え、ついには「正社員」という真人間の称号まで授与してくれた会社には感謝しかありません。当にクソお世話になりました。 今後はフリーランスに戻ります。なお、2023年12月1日からは業務委託としてねとらぼの編集・執筆に携わっていきます。そんな音速の出戻りあるんだ、という感じですが他の仕事も並行してやっていきます。ねとらぼ以外にも色々やりてえぜ、ってことで今回の決断となりました。 「父さんな、会社辞めてYouTube1っていこうと思う」みたいな激イタ退職エントリを期待した方には置きに行った選択で申し訳ないんですが、ねとらぼ仕事量を半分くらい

    【報告】ねとらぼを退職しました(理由:膵臓がなくなったから)|たろちん