タグ

沖縄戦に関するdj19のブックマーク (16)

  • ETV特集:よみがえる戦場の記憶 ~新たに見つかった沖縄戦の映像~ 6月27日(日)

    写真:読谷村・1945年4月2日 米軍上陸直後に撮影 (写真左:伊波トミさん、“集団自決”から逃れる為に隠れていたガマ(壕)から出てきた直後に撮影された。 ) 左写真: 包帯を巻いた少女・・・ 今回の取材で戦争孤児の、ひとりの女性である事が解った。 その女性は、孤児院で名前をつけられ、今、自分の当の名前を探し続けている。 (1945年6~7月ころ 沖縄市の野戦病院で撮影) 65年前、住民を巻き込んだ激しい地上戦が戦われた沖縄。その戦場を記録した600の新たなフィルムが見つかった。沖縄県公文書館の調査で、多くのフィルムが米国立公文書館に眠っている事がわかったのだ。1980年代に沖縄1フィート運動の会や沖縄県公文書館などが収集した350のフィルムは、沖縄を記録した映像の一部に過ぎなかったのだ。NHK沖縄放送局は、3年前から沖縄戦を記録した全てのフィルムの収集を続けてきた。 新たな映像の中

    dj19
    dj19 2010/07/05
    録画していたものをやっと見た。いい番組でした。再放送希望。
  • 沖縄戦史 公刊戦史を写真と地図で探る 「戦闘戦史」 

  • Infoseek[インフォシーク] - 楽天が運営するポータルサイト

    2人以上で遊べる!ニンテンドースイッチ用パーティー向けゲーム7選 ニンテンドースイッチは据え置き機ながらも、持ち運んでゲームができるため、人が沢山集まるところに1台

    Infoseek[インフォシーク] - 楽天が運営するポータルサイト
  • 長勇第32軍参謀長の談話 - Apeman’s diary

    文部科学省お墨付きの『沖縄戦と民衆』(林博史、大月書店)より。 長参謀長は新聞紙上で次のように住民を煽った。 「ただ軍の指導を理窟なしに素直に受入れ全県民が兵隊になることだ。即ち一人一〇殺の闘魂をもって敵を撃破するのだ」、「従って戦場に不要の人間が居てはいかぬ。先ず速やかに老幼者は作戦の邪魔にならぬ安全な所へ移り住むことであり、稼働能力のある者は『俺も真の戦兵なり』として自主的に国民義勇軍などを組織し、此の際個人の権利とか利害などを超越して神州護持のため兵隊と同様、総てを捧げることだ」、「敵が上陸し戦ひが激しくなれば増産も輸送も完封されるかも知れぬ。その時一般県民が餓死□□□……□□ったって軍はこれに応ずるわけにはいかぬ。我々は戦争に勝つ重大任務遂行こそ使命であれ、県民の生活を救ふがために負けることは許されるべきものでない」、「沖縄県民の決戦合い言葉」は「『一人一〇殺』これでゆけ」(『沖縄

    長勇第32軍参謀長の談話 - Apeman’s diary
  • アジア太平洋戦争のなかの日本軍と民衆

  • 「鉄血勤皇隊」などの資格について(追記あり) - Apeman’s diary

    こちらのエントリのコメント欄でのご質問&情報提供を受けて。『沖縄一中 鉄血勤皇隊の記録―証言・沖縄戦』(兼城一、高文研)には鉄血勤皇隊の隊員が「軍人か、軍属か」ということにつき国会でも議論になった、とあったので議事録を調べてみました。 昭和30年06月17日、衆議院「海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会」において金城参考人が次のように語っています。 (…) 勤皇鉄血隊、通信隊戦傷病者は、事実に基きすべて軍人として取り扱っていただきたい。日政府が沖縄の戦没者に対し深い同情を寄せられ、行政が分離されているにもかかわらず他府県と同様に援護法を適用せられることは、まことに感謝にたえません。沖縄戦は人類史上かつて類例のない激戦であり、三十五万の住民中から十五万の犠牲者を出し、血の島として世界に知られ、その惨状は言語に絶しました。それがまた前例のない国内戦であったため、予想もされなかった

    「鉄血勤皇隊」などの資格について(追記あり) - Apeman’s diary
  • 意見書

    2007年11月27日10:00掲載 沖縄戦の「集団自決」への教科書検定について 文部科学省 教科用図書検定調査審議会に提出した意見書を公表するにあたって 林 博史 この意見書は、2007年11月22日付で郵送しました。3連休が入りますので、文科省に届くのは26日になると思います。それにあわせて、このホームページでも公表します。 文科省からは、正誤訂正の手続きが終了するまでは、意見提出を依頼されたことも含めて公表を控えてほしいと依頼されていますが、そうした秘密裏に検定作業をおこなうことこそが、今回のような歪曲された検定がなされた大きな原因であると考えますので、そうした依頼は拒否し、広く市民に公開することにしました。記者会見をおこなう予定はありませんので、この場で公表したいと思います。 今回、文科省が意見を依頼した人選そのものが不明朗であり、ほとんどの(あるいはすべての)沖縄にいる沖縄戦の

  • paper04

    沖縄戦における軍隊と民衆―防衛隊にみる沖縄戦     藤原彰編著『沖縄戦と天皇制』(立風書房、1987年)所収 林 博史 このは、1986年に首都圏在住の研究者を中心に作った研究会「沖縄戦を考える会(東京)」のメンバーによる 論文集です。私が防衛隊について調べてみようと考えるきっかけとなったのは、嶋津与志(大城将保)さんの 『沖縄戦を考える』(ひるぎ社、1983年)でした。こののおかげで、ひめゆりなどの学徒を中心に沖縄戦を とらえることの限界と問題を理解することができ、防衛隊を手がかりに沖縄戦像を考え直そうとしてきました。 その中間報告がこの論文です。このHPに掲載している「集団自決の再検討」なども同じ問題意識で書いたも のです。日軍は約2万人の沖縄住民を防衛隊として召集しましたが、その人々は戦場で次々と脱走していき ます。死ぬことを拒否した多くの人々の存在は、一般に理解されている沖

  • 沖縄出張法廷での安仁屋政昭さんの証言を電子テキスト化する(2) - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)

    これは以下の日記の続きです。 →沖縄出張法廷での安仁屋政昭さんの証言を電子テキスト化する(1) これは、『裁かれた沖縄戦』に掲載されている、1988年2月10日の「沖縄出張裁判」における安仁屋政昭さんの証言を電子テキスト化してみたものです。 元テキストは、『裁かれた沖縄戦』(安仁屋政昭編・晩聲社・1989/11)p23-124です。 原文の「注(頭中)」も、注釈として掲載します。 ただ引用しているだけではナニなので、ときどきぼく自身の意見や疑問点なども書くことにします。 安仁屋政昭証言テキスト・2 25・ところで、先ほど沖縄戦の特徴の一つとして、たくさんの住民が亡くなったということを述べられましたが、これは先ほど言われた捨て石作戦と係わりがありますか。 もちろん、ございます。 26・日軍----沖縄守備第三二軍ですね----は、沖縄の住民をどのように位置付けておったんでしょうか。 一つは

    沖縄出張法廷での安仁屋政昭さんの証言を電子テキスト化する(2) - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)
  • [300+] Zoom Backgrounds | Wallpapers.com

  • 第一章 太平洋戦争と沖縄戦

  • http://k0001.jp/sonsi/index.htm

  • http://www.okinawa-senshi.com/index.htm

  • 沖縄タイムス平和ウェブ 過去の「慰霊の日」企画一覧

    ※サイト内の記事・写真・その他の著作権は沖縄タイムス社が所有・管理しています。 許可なく複写・転載することは固くお断りいたします。

  • 大江健三郎を擁護する。女々しい日本帝国軍人の「名誉回復裁判」で…。 - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

    「沖縄集団自決」において「軍命令」があったか、なかったかを争う大江健三郎の『沖縄ノート』の記述をめぐる名誉毀損裁判に、訴えられている側(被告)の大江健三郎が大阪地裁に出廷し、証言したようであるが、日頃の僕の「保守反動的」(笑)な言論からは意外かも知れないが、僕は、「沖縄集団自決裁判」に関しては、多くの留保をつけた上でだが、質的には大江健三郎を擁護する。大江健三郎は法廷に出廷することを拒否していたようだが、証人喚問ということで、仕方なく出廷し、証言することになったようである。大江健三郎を嫌う一部の保守派陣営は、「大江健三郎を法廷へ引き摺りだした・・・」ことを重視して、「大成功」だとでも言いたげに喝采を叫んでいるようだが、僕には、それは、無知無学な大衆のルサンチマンの叫びであり、ただ単に不謹慎に見えるだけだ。僕には、その拍手喝采する保守陣営の背後に曽野綾子や谷沢永一の顔が重なって見える。僕が

    大江健三郎を擁護する。女々しい日本帝国軍人の「名誉回復裁判」で…。 - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』
  • 沖縄戦における「集団自決」と「住民虐殺」の事例一覧 - 15年戦争資料 @wiki

    資料 沖縄戦における「集団自決」と「住民虐殺」の事例一覧 大城将保『沖縄戦の真実と歪曲』(高文研・07.10.10)より 07.10.25講演セミナーで配布されたプリントを表形式にし、事件が起こった場所を地図上にプロットした。 「集団自決」と「住民虐殺」の事例 「集団自決」も「住民虐殺」もこれまで国も県もまともな調査を行ったことはない。したがって発生件数も犠牲者数も公式の数字というものはない。それでも県史や市町村史、新聞、雑誌などには体験者の手記や証言として両事件に関する記事が散見される。管見(かんけん)の及ぷ限りそれらの情報を集めて、なるべく現場に足を運んで確認したものが次の一覧表である。もちろん氷山の一角にすぎない。たとえば一家全滅が多いのも沖縄戦の特徴であるが、死者たちは自ら証言が出来ないからである。(大城将保氏 『沖縄戦の真実と歪曲』 ★ 緊急出版です 高文研/2007.9/ 18

    沖縄戦における「集団自決」と「住民虐殺」の事例一覧 - 15年戦争資料 @wiki
  • 1