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左右に関するdosequisのブックマーク (5)

  • 友寄英隆『「新自由主義」とは何か』

    友寄英隆『「新自由主義」とは何か』 「学者の議論ってわかりにくいよなー。っていうか実践に使えねーよなー」 てな言葉を左翼仲間からよく聞きます。 学術論文みたいなのはもちろん、総合誌や論壇誌にのっているようなのもそうです。共産党系の雑誌で言っても「経済」の学者の論文はそんなふうに言われたりしますね(笑)。「『前衛』読んでりゃいいや」とか。 マルクスは革命と科学を分け、革命の情熱と、科学をするときの冷静な頭脳は別のもんでないとダメよ、と言ったんですが、まあつい「実践」で使えるかどうかを基準にしちゃいますよね。「実践」って、たとえば党派外の一般の人と政治的な対話をしている最中なんかのことですが、要はそういうときに「さっ」と使える数字や議論かどうか、という基準であります。 余談だけど、連合赤軍事件の死刑囚・坂口弘の手記を読んでいて、 「下車した後、私が、『あの運ちゃんは日共の党員でしょ』と言うと、

  • 「本当に困っている人」とは誰か (Dead Letter Blog)

    少し前の話題の蒸し返しで申し訳ないのだけれども。 インターネット上で「死ぬ死ぬ詐欺」と呼ばれ、問題視された事例があった。重い心臓病で移植手術しか助かる見込みのない少女の親御さんたちやその友人らがその費用をまかなう為の寄附を募ったことに対して、彼らの公表する会計データに一部不透明なところがあるとして、それを「会計責任を果たしていない」、「詐欺同然」と糾弾する人たちが現れたのだ。 僕の興味を引いたのはこの問題の糾弾者たちが、「少女の命を救うなと主張したいのではなく、会計責任を果たしていないから批判するのだ」という論法を採っていたことだった。だがしかし一口に「会計責任」と言っても、お金を集める際の規模、目的等によって果たされるべき責任の程度は様々に異なる。仮に批判者達が言うような「厳格な会計責任」が求められるとするならば、それはどのような理由からなのか? 様々な理由らしきものが語られてはいたので

    dosequis
    dosequis 2007/12/31
    「完璧な弱者・非の打ちどころの無い被害者が存在し得ないことを弁えないリソース有限論はいくらでもそれを節約し、弱者に配分しない為の正当化の口実になりうる」「死ぬ死ぬ詐欺」「山形浩生イラク人質自己責任論」
  • 「歴史主体」論争をふりかえって - Apeman’s diary

    鉄血勤皇隊については資料を読み込んでからまた改めて追記する予定だが、それとは別件で。 加藤典洋と高橋哲哉の間で行なわれたいわゆる「歴史主体論争」を契機に戦争責任、戦争犯罪、戦後補償問題に関心をもった、というひとは少なくないように思う。私にとっても、いくつかあるきっかけの一つになっているわけだが、当時から漠然と予感していてこの2年ばかりつくづく実感させられているのは、「自国の300万の死者を弔い“われわれ”を立ち上げることによってこそ、アジアの2000万の死を悼むことができる」という議論に反駁することは比較的容易でも、「責任=応答可能性」がこの社会で広く受容されること、即ちこの社会のマジョリティが犠牲者からの呼びかけに応えること(応えるようはたらきかけること)は非常に困難である…ということだ。なにしろ、長い沈黙ののちにようやく語り始めた犠牲者を(なんらの具体的な根拠もなしに、頭ごなしに)嘘つ

    「歴史主体」論争をふりかえって - Apeman’s diary
  • そして右傾化した庶民と自衛官だけがバカを見る - Munchener Brucke

    防衛省の守谷元事務次官の逮捕により、日にも防衛利権という巨大な闇が存在することが次第に明らかになってきた。そもそも我々は防衛政策に対して余りに純粋無垢であり過ぎたのではないか? そもそも近代において戦争とは利権そのものであり、それに比べれば、戦後日の道路利権や土建政治の話などかわいい問題に過ぎない。それなのに戦後の日人は防衛問題を崇高なイデオロギー問題に祭り上げてしまった。そして道路族の族議員などを手垢に塗れた利権政治家と蔑む一方、防衛族議員を日の国家のあり方を考えていらっしゃる崇高な政治家であるかのように一目が置かれていた。ここで明らかになったのは、防衛族も道路族と同様の利権政治集団であり、実際はかなり醜悪であるということである。 そもそも現代行われている戦争は例外なくすべて利権であり、それ以上の崇高な理念など存在しない。ただそのような意見を言うものをすべて「サヨクだ」と切り捨て

    そして右傾化した庶民と自衛官だけがバカを見る - Munchener Brucke
    dosequis
    dosequis 2007/11/30
    「防衛利権絡みで保守や右派が追い込まれたとする考え方はむしろ油断につながるかと思います。」あと「ただ何の利権のおこぼれにも預かる見通しのない一般庶民」とはいえないところが難しいような気もする
  • 猿虎日記 - ウヨーサヨーする時代の中で

    小田嶋氏をめぐる話の続きです。時間がないので簡潔に……。と思ったら超長く……。 NakanishiBさんがおっしゃるように、前回私がとりあげた小田嶋氏の記事トラバ先、すなふきん氏の議論は大変興味深いです。 左翼から右翼へ〜反抗思想の変遷 すなふきん氏は、前回私がとりあげた、小田嶋氏の偉愚庵亭憮録「ウヨ曲折」と、それに反論しているBUNTEN氏のBUNTENのヘタレ日記「サヨ(左様)か?」を取り上げ、双方とも違った興味深い観点を提出しています。すなふきん氏は、小田嶋氏の意見と、BUNTEN氏の反論を次のようにまとめています。 保守的な大人たちへの「反抗の象徴」としての左翼運動がいつしか反転し、今では右翼がかっこいいものとなってしまった。そこには左翼思想を基盤にする戦後民主主義思想が空気のように当たり前(体制化)になってしまった(よって反抗的なのはむしろ右翼になった)という事情があるという小田

    猿虎日記 - ウヨーサヨーする時代の中で
    dosequis
    dosequis 2006/12/04
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