通常 BShi で放送されている「証言記録 兵士たちの戦争」シリーズが地上波でも再放送されます。 http://www.nhk.or.jp/shogen/schedule/heishi_rerun.html
今朝放映された「証言記録 兵士たちの戦争」シリーズの「ルソン島 悲劇のゲリラ討伐作戦 〜秋田県・歩兵第17連隊〜」。このシリーズでは大戦末期の戦場がとりあげられることが多いので、日本軍将兵の悲惨な体験についての証言が目立つ。今回もゲリラの巧みな襲撃、米軍の圧倒的な火力、そして飢餓についての証言がなされる一方で、タイトルが示唆するようにゲリラへの報復としての掃討作戦で“女子供”まで殺害したことについての証言にもかなりの時間が割かれていた。特に興味深かったのは、自分自身のことを含め非戦闘員を殺害した時の様子を詳細に証言した元兵士がいる一方で、非戦闘員の殺害については絶対にしゃべらないとカメラの前で強調した証言者がいたこと。登場するのは取材に協力するつもりのある人びとばかりであり、かつ部隊の生存者もごくわずかでかつてのように元上官や戦友の目を気にしての証言拒否ではなさそうである。自身でも“地獄の
加藤聖文、『「大日本帝国」崩壊 東アジアの1945年』、中公新書 近年、「8月15日」とは日本がポツダム宣言を受諾したことを帝国臣民に公表した日付に過ぎないとしてこれを相対化する(「終戦=8月15日」という認識を問い直す)議論が見られるが、著者はそうした動向を踏まえたうえであえて「8月15日」にこだわっている。「日本が占領したアジア地域では、八月一五日を境に日本の傀儡政権は次々と消滅していった一方、脱植民地化に向けた胎動がはじまっていた」(iv頁、原文のルビを省略)からであり、「この日に拘らなければ、戦後の日本と東アジアとの関わりは見えてこないのではないか」という認識によるものである。もっともこれは、戦争の記憶の中で12月8日と8月15日を特別視する意識の見直しと両立し得る視点であろう。 ポツダム宣言受諾後の在朝鮮日本人(「内地人」)の動向に関して興味深い記述があった。朝鮮総督府が機能不全
この年表を見ると、アメリカ(合)という国がいかに多くの戦争を行ってきた国であるかがよく分かる 建国以来の226年間で実に41回。(5年に1回!)第二次世界大戦後の57年間で19回の戦争・武力行使を行っている。(3年に1回!) 国際紛争・意見の相違を戦争・武力ではなく、話し合いと交渉で解決するというのが国際社会に求められている今日、 アメリカは自制と政策転換が望まれる。このアメリカの戦争・武力行使に全面的・盲目的に協力・追随するということは、 平和に逆行する道である。 今こそ、日本は憲法9条(戦争放棄・軍隊の不保持)の精神・決意を世界に向かって発信すべきではないだろうか。 (S.I) 1507 ドイツ人ワルトゼミューラー、アメリゴ・ヴェスプッチの名をとりアメリカ(大陸)と名づける。 1675 フィリップ王戦争勃発、この戦争によりニューイングランド地方の先住民、ほぼ制圧される。 1676 ヴァ
防空訓練に用いられた1942年のアニメ「協力防空戦」の「焼夷弾之巻」は白燐弾ガセビア「黄燐を主剤とした焼夷弾はない」 - 模型とかキャラ弁とか歴史とかで既に紹介した動画ですが、現在はYouTubeから削除されてしまっています。 AmebaVisionの方には残っているので、動画の再紹介も兼ねて一部を文字起こししてみました。 焼夷弾。 敵はこの焼夷弾によって木造家屋の多い我が家畜村を一挙に焼き払わんと狙っているのです。 我々はこの焼夷弾によって起こる火災の被害を最も少なくするためにどうして防ぎどうして処理したらよいかを きっかりと覚えておかなければなりません。 焼夷弾には油脂焼夷弾、エレクトロン焼夷弾、黄燐焼夷弾と大体の種類に分類されております。その種類によって処置の方法が違いますので、それを見分けなくてはなりません。 油脂焼夷弾は固形油あるいはベンゾールとパラフィンを混ぜたものが入れてあっ
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東浩紀氏の著作どころか、ポストモダン関連の書籍は読んだことがないし、ポストモダンそのものにも興味がないので今まで言及していなかったが、どうしても言いたかったことがあるので。 例えば、どっかの国で、「原爆なんかホントは落ちてない」「落ちたけど、すげー人が死んだってのは日本人のでっちあげ」という話が出てきた、としよう。 日本人として、あるいは個人として、そういうことを言う人に対しては、控えめにいって、かなり不愉快な気持になる。 また、それに対して「絶対の真実などないから、原爆否定論にも耳を傾けよう」という人がいたら、理屈ではわかるにせよ、不愉快な気持にはなってしまう。それが重要な論点で、どうしても言う必要があるのなら分かるけど、さしたる必要もないなら持ち出してほしくはない。 「俺は、ちゃんと原爆の現場見て来たんだぜ。広島の原爆ドーム見たら実感あったけど、長崎原爆資料館は、あんまり実感なかったね
12月22日の朝日新聞は一面で、1965年に訪米した当時の佐藤栄作首相がマクナマラ国防長官(当時)に対して「(日中で)戦争になれば、米国が直ちに核による報復を行うことを期待している」と発言したことを示す外交文書を外務省が公開したことを伝えていた(第1ページ、第2ページ)。新聞を読んだ時の第一印象は、「外務省は反核世論なんてもはや大して気にする必要はない、と踏んだのか?」というものだった。都合の悪いものはあくまで隠す(参考)ところが公開したんだから。この報道によって、改めて日本が米軍の「核の傘」の下にいることの是非が国民的な議論の対象になる、と予測したならば公開しなかっただろう。そして外務省のこうした判断は、客観的には間違っていないのだろう。本来なら、もはや日本が全面核戦争に巻き込まれる脅威など存在しないと言ってよい時代にこそ、米軍の「核の傘」の下にいることの是非がきちんと問われてよいはずな
――南方侵略について、アジア解放の戦争というのが、“靖国派”の言い分ですが…。 不破 この言い分のでたらめさも、政府・軍部の公式記録を見ると、よくわかります。 前回、太平洋戦争への足取りの話をしたとき、その一歩一歩を決めた四つの御前会議について紹介しましたね。その前後に政府・軍部のいろいろな会議がありますが、どの会議の記録を見ても、東南アジア地域の人民の話は何ひとつ出ないのです。出てくるのは、そこに何があるか、どこを占領したらどんな物資が手に入るか、資源の話ばかりです。コメは仏印とタイ、石油は蘭印、ニッケルはセレベスとニューカレドニア、ゴムはタイと仏印と蘭印、錫(すず)はタイと仏印、銅はフィリピンなどなどです。 ――前の世界再分割で日本支配の縄張りを問題にするとき、「生存圏」という言葉を使ったのも、同じ意味なんですね。 そこに住む人の権利を無視 不破 「生存圏」とは、これだけの地域を支配す
歴史上の重要な出来事が違う結末だったら? 現在の世界はどう変わっていただろう? ハーバード大学のNiall Ferguson教授はこんなことをよく考える。経済史学者として有名なFerguson教授は、「反事実的な思考」の達人でもある。つまり、歴史上の主な出来事について、関連する史実を少しずつ変えながら、その成り行きがどうなるかを繰り返し想像しているのだ。 (略) エッセイも面白いが、Ferguson教授が本当に求めていたのは、『ホロデッキ』[『スタートレック』に登場する究極のバーチャル・リアリティー環境]のような体験だった。コンピューター・シミュレーションを使って、実世界の事実に基づく歴史的反事実を設定し、何が起きるかを見守ることができたら、そう願っていたのだ。「私はいつも、将来ぴったりの技術を自分の人生に迎え入れることを夢想していた」と、Ferguson教授は打ち明けた。 そして2006
NHKスペシャル「戦場 心の傷」(1)(2)を見て、印象に残ったこと、考えさせられたことをいくつかメモしておく。 まず、私がいかに「平和ボケ」しているかを思い知らされたのは、ビデオで2度見るまで「市街戦」を「紫外線」と聞き間違えていたこと。(1)の冒頭で、アメリカ海兵隊のペンデルトン基地(カリフォルニア州)の訓練の様子が映される。「映画のセットのように作られたイラクの一部」(総工費約2億5千万円)で、「シガイセンを疑似体験させるため、人々の服装から周囲の音、臭いまでが忠実に再現されて」いるというのだが、私の脳内辞書はこれを「紫外線」と誤変換してしまったため、何か違和感が残っていたのだった(なんとなく夜間でも見える赤外線暗視スコープと関係があるのかと思っていた)。 だが、あえて言えば、こういう「誤認」にこそ「戦争と日常」の問題を考えるカギが潜んでいるのだと思う。 たとえば、この戦場の疑似体
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ちょっと気になったブクマ※。 【▼CLick for Anti War】はてなブックマーク 2008年01月01日 thir 俺は南京も沖縄も実際に起こったことだと思っているが、違う意見を持った人間を「厨」呼ばわりしてdisるエントリを読む気にはならない。 clawさんのブログはよく見てるけど、かれが厨と呼ぶのは「意見が違うから」ではないよ。南京厨の活動が問題なのは意見が間違っていることではなく、議論そのものの破壊を企図してるからなんだけど、外野からしか見てないとそういう印象を抱いてしまうのはいたしかたないかも。 そして、実は、そういう印象(対立する意見のもの同士が争ってる)を振りまくことが南京厨の活動目的の一つだったりする。id:thirさんはまんまと一方の当事者の誘導に籠絡されてしまってるように見える。 (同上) 2008年01月01日 rihaku2007 歴史 結論。歴史修正主義
九人の乙女の像 本事件で自決した9名の慰霊のために建てられた。 真岡郵便電信局事件(まおかゆうびんでんしんきょくじけん)とは、太平洋戦争後の樺太の戦いで、真岡郵便局の電話交換手が集団自決した事件である。当時日本領だった樺太では、一方的に条約破棄したソ連軍と日本軍の戦闘が、1945年8月15日の玉音放送後も続いていた。真岡郵便局の電話交換手(当時の郵便局では電信電話も管轄していた)は、疎開(引き揚げ)をせずに業務中だった。8月20日に真岡にソ連軍が上陸すると、勤務中の女性電話交換手12名のうち10名が局内で自決を図り、9名が死亡した。真岡郵便局事件、また沖縄のひめゆり学徒隊と対比して北のひめゆり(事件)[1]とも呼ばれる。 自決した電話交換手以外に残留していた局員や、当日勤務に就いていなかった職員からも、ソ連兵の手榴弾や銃撃による死者が出ており、真岡局の殉職者は19人にのぼる[2]。 背景[
あのウォルト・ディズニーが戦時中は戦意高揚のためのプロパガンダ映画を製作していたことは知る人ぞ知る事実ですが、この動画は1943年の日本とドイツを空爆するディズニーアニメ映画『航空戦力での勝利(Victory Through Air Power)』の予告編です。 この映画が作られたいきさつを、参考までに「空の戦争史」という本から引用しておきます。 1942年には、一時ミッチェルの部下を務めたことがあり、当時は飛行機製造会社の社長となっていたアレグザンダー・デ・セヴァースキーという、もともとはロシアから移民してきた人物が、生前ミッチェルが色々な雑誌や新聞で発表した評論を集め、『航空戦力での勝利(Victory Through Air Power)』という表題の一冊の本にして売り出し、これがベストセラーとなった。 この中にはもちろんミッチェルが日本との戦争を想定して書いたものが多く含まれており
いま、原発事故で多くの人が感じている不安や水買い占めなどのパニックは、結局のところ知識不足からくるものかと思います。 (マスコミの報道の仕方にも大いに問題があると思いますが) 今週の月曜日(3/21)に福島で行われた「福島原発事故の放射線健康リスクについて」という講演がネット上で公開されていて、私は大変参考になりましたので紹介したいと思います。 講師は、被爆地の長崎、そしてチェルノブイリ事故の研究を重ねられた、長崎大学の山下教授、高村教授で、この分野での国際的な権威だそうです。 少々長いですが、住民向けのものですので聞けば理解できる内容ですし、無用な不安は取り除かれ、安心できるかと思います。 3月21日「放射線と私たちの健康との関係」講演会パート1 (約47分) 3月21日「放射線と私たちの健康との関係」講演会パート2 (約47分) パート2の方は、いま一番放射線について不安を
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