平素より「はてなハイク」をご利用いただき、ありがとうございます。 「お題でつながるミニブログ」としてご利用いただいていた「はてなハイク」は、2019年3月27日をもちまして、サービスの提供を終了させていただきました。 これまでご利用いただきましたユーザーの皆さまに深く感謝いたします。 誠にありがとうございました。 詳しくは下記をご覧ください。 http://labo.hatenastaff.com/entry/2018/11/19/113653 株式会社はてな
まあ、収束気味だけど私なりのまとめをひとつ。というか、記事をまとめている間に似たようなことをすでに書かれている感があり。 賢明であると自認することと、賢明であろうと努めることとの大きな溝 謝罪までして撤退する様子のfromdusktildawn氏についてさらに突っ込むのはどうかと思うが、彼を一つの典型と扱うとして以下は読んで欲しい。 私が問題にしたいのはまさにこのタイトルに見られるような態度だ。 はてなグループ 素人が素人に分かりやすくいったい何を説明できるというのだろうか。搦め手で事件の実在を確信した理由は書いてあっても、それ以外の理由で確信できるかどうかは書いていないし、検証してもいない様子。素人の素人判断を素人に教えていったいどうしたいのか。私にはまったく要領を得ない議論にしか思えないのだけれど、これで納得したという人がいるというのだから不思議だ。 否定論者が完全否定論を唱えるのは、
『南京事件FAQ』 http://wiki.livedoor.jp/nankingfaq/d/FrontPage というのがあって、お疲れ様です、とブックマークしたのだが、ブクマコメントで zaikabou [歴史] 虐殺は事実。一般に提起される30万人説否定論への反論。とはいえ、このFAQが30万人説を主張しているわけではない…ということでよろしいか。ともかくお疲れ様です と書いたら MacacaFuscata [15年戦争][cynical&intolerance] ↓zaikabouさん、否定論の罠に完全にはまっちゃってますよ! と言われてしまった。んんん、ちょっとわからない。 このページは極めて慎重に書かれていて、まず南京であった日本兵による相当数の虐殺は事実である、と。そいでもって、巷間流布されているような、所謂『30万人説は誇大で捏造だから南京大虐殺は嘘だ!』的な議論の根拠にな
ここに一組の夫婦がいる。彼らは浮気をしてもいいということを暗黙の内に認め合っている。もしいきなり夫が、進行中の浮気について赤裸々に告白したら、当然ながら妻はパニックに陥るだろう。「もしただの浮気だったら、どうしてわざわざ私に話すの?ただの浮気じゃないんでしょ?」何かについて公に報告するという行為は、中立的ではありえない。(…中略…)秘密の情事についてたんに何も話さないことと、それについて何も話さないと公言することとの間には大きな違いがある(「いいかい、ぼくには人間関係すべてを洗いざらい君に話さない権利がある。ぼくの人生には、きみにはまったく関係のない部分があるんだから」)。後者の場合、暗黙の約束が明るみに出たとき、かならずやこの宣言そのものが更なる攻撃的なメッセージを発することになる。 学問の世界で、同僚の話がつまらなかったり退屈だったりしたときの、礼儀正しい反応の仕方は「面白かった」と言
パレスチナ かつてこちらの記事 http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20041219/p1で引用した、土井敏邦氏の言葉をもう一度引用します。 もちろんパレスチナ人の自爆テロは許されるべきではなく、糾弾されるべきである。ただ、自爆テロをはじめとするパレスチナ人側の暴力とイスラエル側の「報復」の暴力を並列し、「暴力が暴力を呼ぶ悪循環」「どっちもどっち」といった描き方で終わってしまいがちな現在の報道や識者の評論は、問題の本質を見誤らせると私は考えている。問題の根源はイスラエルによる”占領”にある。”占領”という状況がパレスチナ人を自爆テロにまで追い込んでいるといえよう。[(『パレスチナ ジェニンの人々は語る――難民キャンプ イスラエル軍侵攻の爪痕――』69-70頁) イスラエルとパレスチナ、機動隊と活動家、警察と西成の労働者、の対立についてのニュースなどがあると、かなら
私は何度もこのブログで、自分はメタ視点を採らないし、ネタであろうがマジレスすると強調してきた訳です(まあ別にそれは知らなくても良いですが)が、昨日の私の批判に対して、 2008年04月30日 inumash 左翼 そういうの全部分かってて煽ってるんだけど、ベタに批判されちまったなぁ。俺も左翼だからその辺の基本認識は変わらないし、単に「あの語り口」じゃ「彼等」の支持は得られないでしょ、ってことなんだけど。 はてなブックマーク - あなたは巣で餌を待つ雛か何か? - Close to the Wall こうあなたは返すわけですか。全部分かってるんだよ、と。「ネタにマジレス」されちゃったよーん、と。私は正面から問うているのにあなたはそうやって答えを避けるのですね。人を怒らせたいんですか? その上で、誰かも分からぬ「彼等」を担保にして「語り口」批判ですか。醜悪ですね。あなたはいったい何者なんですか
チベット擁護運動を批判したいわけではないので、こういう形で言及するのはあまり好ましくないと思うけど、長野聖火リレーに参加したinumashさんの意見にとても同意できない部分があったのでブログにコメントしようと思ったけれど長くなったので単独記事にする。 直接関係するのは以下の記事と、そのブクマと、inumashさんの記事。 「反体制運動」は甘くない【在日琉球人さんの日記】 tk はてなブックマーク - 「反体制運動」は甘くない【在日琉球人さんの日記】 tk 2008年04月29日 inumash 社会 そういう「ノウハウ」をつんできたはずの左翼団体は現地にはいませんでしたね。こんなところで後出しするなら、最初からそのノウハウを素人である彼等に提供すればよかったんじゃないでしょうか。 ■『聖火リレーin長野』全体まとめ(かなり長いよ) - 想像力はベッドルームと路上から 最後に、余談だけれど、
写真で振り返る京都旅行 先日文学フリマ京都8に参加するため初めて1人で京都へ行ってきました。随分時間が経ってしまったのでもうブログにまとめなくていいか、と思っていましたが、せっかくなので写真をメインに記録しておこうと思います。 出発▷▶︎▷▶︎わくわく新幹線! 新幹線初心者すぎてか…
来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
旧本館に設置している掲示板で情報提供をいただいた件。 http://d.hatena.ne.jp/uedaryo/20081224/1230117294 http://coleopteran.seesaa.net/article/111034669.html 南京大虐殺についての宮台真司の認識については以前に取り上げたことがあるので、ここでは繰り返しません。宮台が「師匠」と呼ぶ小室直樹(およびそのフォロワー)の論法を通じて、抽象度の高い議論であっても事実を軽視してはならないとはどのような意味においてなのか、をみておきたいと思います。旧本館でもとりあげたことがあるのですが、愛着のある題材でもありますので。 あらかじめエクスキューズしておくと、私が受けた大学教育は人文系の、それも実証的でなく理論的な分野のそれですので、抽象度の高い理論・議論の意義は人一倍認めているつもりです。 先日、旧本館にこ
なんというか、東流「ポストモダン系リベラル」を支持するメンタリティとして、二つの類型が浮かびあがってきたような感じですね。以下は「類型」の記述なので単純化かつ誇張してますが。 一つは「我こそは科学なり」的自意識を持った、ネット理系。偽ソーカル氏もこのタイプだったけど。こういう人にかかると自然科学以外はもう『マッド・マックス2』というか anything goes な世界なので「東、正しいじゃん」と見えてしまう、と。 他方で、こういう偏見をみすみす助長するようなのがいるんですよ。思想屋さんの悪い癖、というか。D_Amonさんが言及しているような面々ですな。自分の得意なフィールドではまともなことを言うひとでも、よく知らない分野に安易に踏み込んでグダグダになってしまう、ってことならよくあるし(最近の顕著な例)、それはまあ人間的なミステイクというやつであるわけですが、無知に居直るというか、妙に事実
学問(主に人文学だけど)ってのが中立を装うことによってその政治性を隠蔽し、その「政治性」込みで連綿と受け継がれてきたわけだけど、その問題性は今や明らかだよね、とサイードとか色んな人が言ってから早30年弱。それなのに、学者を名乗る者がいまだに自分のポジショナリティ(立ち位置)とか、自分の発言のパフォーマティヴィティ(自分の発言が結果としてどのように受け止められたり影響を与えたりするか)を、自分で「俺はそういうつもりはないもん」と言えば簡単に打ち消せると考えているというのはどういう事なのか(挨拶)。 このところ、大屋雄裕さんとApemanさんの議論を見ていたのだが、僕はApemanさんに与する。大屋さんの議論は、僕から見ればまさに「中立を装う」事に終始しているように思えるからだ(その「中立を装ったことの結果」は敢えて無視、と言うスタンスでもあろう)。 時々大屋さんのブログは拝見していたが、その
少し前に出た東浩紀と大塚英志との対談本である『リアルのゆくえ』(講談社現代新書、2008年8月)を読み、東の発言内容の酷さに驚いた。私は東の文章を大して読んでいなかったのだが、昔からこんななのだろうか。 枚挙に暇がないのだが、私が最も呆れた箇所を挙げておこう。 「東 ぼくが言っているのは、むしろ了解可能性の拡大を大切にしたいということです。たとえば、日本のサヨクが2000年代になぜ急速に影響力を失っていったかというと、リベラルな人たちはリベラルではないということが大衆レベルで分かってしまったからです。リベラルは、みんながリベラルになることを望んでいる。たとえば、みんなが在日に対して優しくしようとリベラルは言う。でも世の中には、在日を差別する人がいっぱいいる。その現実はどうするのか。/ネット右翼の問題も同じです。彼らが言っているのは、左翼は出版メディアを握っている、みなが自分たちのようにリベ
さてケーキを売ればいいのにというエントリーを読んで何となくいらいらしたのでその理由を考えてみる。 なんでそんなに性別にこだわるんだろう、と感じるのがまず引っかかる理由かなあ。 やっぱり女子学生のかなりの部分から「かわいそうだ」という反応があった。 と聞いてきた男子学生には、僕は巧くコンセプトが伝わった、その通り!と褒めたい感じ と書いてきたお嬢さんもいた この人たち(文脈からして女性たち?)の目に映るのは という女子たちによる吊し上げ 閉鎖的共同体の嫁姑関係くらい 彼女たちがあの特殊な疑似共同体的「バザー」に熱心なのは 結局女ってなんかあれだね、というのがそもそもの主張のように読めてしまう。というかそれが主張なのかな? まあ、実際に「かわいそう」という意見をそれぞれの場面で述べたのは女性の方が多かったかもしれないけど、それにしてもそれは本質ではないですね。もし「経営学」の話をしているんであ
てなわけで該当サイト見てきましたが…うーん。 葛藤がないね - 思いて学ばざれば あっちにもリソースが必要、こっちにもリソースが必要、しかし両方に割けるほどリソースに余裕はない。そういう虻蜂取らずなディレンマの状況にいかに対応してくかがマネージメントの出発点であり目的というもの。一方を切りすてるなんてのはサルでも思いつくような安直なあるいは浅はかな考えであって、そんなものにマネージメントと称する価値はない。マネージメント性のかけらもない。ディレンマそのものから目を背けてるだけなんだから。「どちらか片方を切りすてることができないとき、あなたならどうしますか?」と問われて、「片方を切りすてます!」などと得意満面に答えてたら、こいつバカかと思われるのがオチだろうし、そういうアホな発言ができることでオレって格好いいとか満悦してたら、そりゃ間抜け以外のなにもんでもない。 これは筋が悪い。 なぜなら、
オールドタイプ的な老害トークをぶってみます。「プログラマーなら梅田本よりK&R読め」と(あぁ老害)。 「ヱブ弐点零デ、マツシユアツプ」とか言ってる場合じゃないんですよ。Nintendo DSのカートリッジ自作ハックくらいしろと。OSカーネルやコンパイラを書けと。 本職のプログラマを名乗るなら、「珠玉のプログラミング」を読んで問題を解いて欲しい。Perl/PHP/Ruby/Pythonしか書けないようでは、本物のプログラマと呼びにくい。JavaとLispとC/C++(まあ、いまならC#ですかね)も覚えてほしい。ちなみにWrite Great Codeも良いらしいです。 本書でいうグレートコードとは「高速・コンパクトかつ、リソースを無駄使いせず、可読性に優れ、保守が容易で、一貫したスタイルに従った、系統的に設計され、拡張性に富む、十分にテストされ、確実に動作し、ドキュメントが整備されている」コ
実名でブログを書くことは、非常に危険です。ましてや何を書いて良いかもわからない初心者の人はスタート地点でいきなりタブーを犯してしまう危険性があります。例えば、現状と照らし合わせて、個人のブログが炎上して日常生活に影響を及ぼす大半の理由は実生活までトレースされうる情報が掲載されているからに他なりません。 ここで予め言っておきます。ネット上に蔓延る匿名の悪意、あるいは社会正義の名の元の鬱憤晴らしを認めているわけでも、減らそうとしていないわけでもありません。ただ、それは現実にそこにあることを認めないと危険だ、ということです。それがなくなる前に実名での活動を勧めるのは、こちらが有益なものを提供しているのであるから襲われまいとヨハネスブルクを丸腰で一人で歩くようなものです。装甲車に乗って声を張り上げられる人は限られています。まずいちばん最初に自覚しなければならないのは「現実として」いつでも襲われえる
いきなり結論から→書くなとヤボは言わないが、じゅうぶん注意して。 子どもの誘拐事件に対し、警察はどこから調べるか? 以下の順番でしらみつぶしに捜査する。営利なら時間との勝負。短時間に大量のリソースを投入し、犯人が「動く」前に網をできるだけ絞っておく。 ・ 子の近親・親戚 ・ 園、学校、塾など定期的に通う場所 ・ 友だちや遊び場など子の生活圏 では、なぜこの順番か? それはターゲット(子ども)に最も近いから。ターゲットに近いということは、行動パターンや特徴、周囲の状況がよく把握できるということ。子どもは犯人を知らないかもしれないが、少なくとも犯人は子どもを知っている。むしろ「子どもを一方的によく知っている」大人こそ、犯人として絶好のチャンス(!?)を有するとも言える。 ターゲットがどの学校へ通い、何曜日に塾へ行くか(そして何時に帰るか)、一人で行動するのか友達と一緒が多いか、事前に調べ上げ、
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