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だから私は「人間」より「猫」を信用するようになった…小学2年生の養老孟司が「敗戦の日」に体験したこと 大人たちの言うことがガラリと変わった
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だから私は「人間」より「猫」を信用するようになった…小学2年生の養老孟司が「敗戦の日」に体験したこと 大人たちの言うことがガラリと変わった
猫は「しゃべらない」から信用できる 「養老さんにとってまるとはどんな存在ですか?」と聞かれて、よく... 猫は「しゃべらない」から信用できる 「養老さんにとってまるとはどんな存在ですか?」と聞かれて、よく「ものさしです」と答えた。 人間社会に長くいると、判断に迷うことがある。まるを眺めていれば、人間社会の“常識”に毒されず、物事の本質を見誤ることはないだろう。ものさしにする、というのはそういう意味である。そう思う理由の一つに、まるがしゃべらない、ということがある。 私は、人がしゃべったことは基本的には信用しない。そうなった原因は、1945(昭和20)年8月15日の体験である。 当時、私は小学2年生で、大人たちが敵襲に備え、「鬼畜米英」「本土決戦」「一億玉砕」などと言って一生懸命、訓練をしていたのを憶えている。ところが、あの日を境に、世の中ががらりと変わってしまった。「本土決戦」も「一億玉砕」も、そう言うのだから当然やるものと思っていたが、結局やらなかった。もしやったら最悪の状態になっただろうか

