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将軍に愛され、たった8年で大名に…「江戸時代に一番出世した男」から学ぶ"最強の処世術" 寵臣ではあったがイエスマンではなかった
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将軍に愛され、たった8年で大名に…「江戸時代に一番出世した男」から学ぶ"最強の処世術" 寵臣ではあったがイエスマンではなかった
日本の歴史から現代人が学べることは何か。歴史作家の河合敦さんは「江戸時代にもっとも出世した男は柳... 日本の歴史から現代人が学べることは何か。歴史作家の河合敦さんは「江戸時代にもっとも出世した男は柳沢吉保だろう。彼は将軍・綱吉の寵臣でありながら決して偉ぶらなかったし、綱吉の死後は未練なくすべての役職を降りて隠居するという見事な出処進退を見せた」という――。 ※本稿は、河合敦『禁断の江戸史 教科書に載らない江戸の事件簿』(扶桑社文庫)の一部を再編集したものです。 将軍の身辺雑務から大名に成り上がり 柳沢吉保は、館林藩士である安忠の長男として生まれ、家督を継いで保明と称したが、主君・綱吉が五代将軍に決まったことで運命が一変する。延宝八年(1680)、綱吉に従って江戸城に入った吉保(保明)は幕臣に取り立てられ、将軍の身辺雑務をこなす小納戸役を拝命。すると翌年、三百石を加増され、さらに天和3年(1683)には千三十石、貞享3年(1686)に二千三十石と増えていった。 その翌年、吉保の側室・染子が男

