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宮地尚子「傷を愛せるか」 痛み認める包帯のような言葉|好書好日
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宮地尚子「傷を愛せるか」 痛み認める包帯のような言葉|好書好日
「のほほんとしていたら、生き残れませんよ」という今の風潮にうながされ、自分たちは「打ち勝つ力をも... 「のほほんとしていたら、生き残れませんよ」という今の風潮にうながされ、自分たちは「打ち勝つ力をもつ能動的な存在」と思えるよう訓練されてしまっている。新自由主義は、1980年代のサッチャリズムに代表される規制緩和政策として注目されるようになったが、気づけば、「熾烈(しれつ)な競争」によって個々の人間が弱肉強食のルールに従わされる社会になっていた。 傷ついたとしても、生物の自然回復力に頼ればいい。この社会がいかに傷であふれているかを熟知しているトラウマ研究の第一人者、宮地尚子は本書において、最近よくいわれるこのような人間の回復力、つまり「レジリエンス」に過剰な期待が寄せられることに警鐘をならしている。戦争で負ったトラウマ、性暴力、DV、誹謗(ひぼう)中傷によってできた深い心の傷。こういった目に見えない傷だって「かさぶたがすぐ剝がれる傷」と同じように、生乾きの状態でさらされつづけているのだ。本書