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24色のペン:私たちの心に潜む「収容所」=國枝すみれ(デジタル報道グループ) | 毎日新聞
シディングハム・デュアさんが抑留中に書いた日記を手にする長男の出羽仁さん(右)。長女のケイ・サカ... シディングハム・デュアさんが抑留中に書いた日記を手にする長男の出羽仁さん(右)。長女のケイ・サカヤマさんが持つ写真がデュアさん=横浜市で2022年8月、國枝すみれ撮影 <日本生まれ、日本育ち、日本人として生きてきたにもかかわらず、敵国人? 納得がいきませんでした> 日本が米国ハワイの真珠湾を攻撃した1941年12月8日の朝、医学生のシディングハム・デュアさんは登校した大学で特高警察に拘束され、「敵国人抑留所」に収容された。 当時22歳。英国籍だが、英国に行ったこともない。祖父が英国から来日したのは江戸末期で、祖母も母も日本人だ。 「生きてここから出る時が来るのだろうか」 6月中旬、神奈川県の丹沢山地にある廃校となった中学校で、デュアさんの抑留日記を基に作られた紙芝居が上演された。彼が収容された神奈川第一抑留所があった場所だ。JR御殿場線・山北駅から数キロ離れた高台にあり、森に囲まれている。
2023/06/25 リンク