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今月のことばNo.38 | 世界平和アピール七人委員会
チェルノブイリを初めて訪れたのは1990年、4号炉の爆発事故から4年後だった。それから何度か訪れていた... チェルノブイリを初めて訪れたのは1990年、4号炉の爆発事故から4年後だった。それから何度か訪れていたが、去年と今年は立て続けに訪ねた。事故から30年以上が過ぎたのだから土地も被曝者も改善されていると思っていたからだ。確かにそうした面もうかがえるが、医師や研究者に話を聴くと深刻な事態を30年間の歳月が解決してはいないようだった。 ウクライナでは213万人以上が原発事故による被災者(被曝者)として登録された。そして事故当時の処理には旧ソ連全体から80万人以上の作業者が駆り出され、その大半が癌に罹患した。4号炉でその時働いていた労働者は60人だったが、30人が亡くなり、今も4号炉内に1人が眠っているという。 高濃度の放射性物質は雨雲と風によって拡散し、ウクライナ、ベラルーシ、ロシアそしてヨーロッパも瞬く間のうちに汚染され、生態系に多大な影響を与えた。中でも子どもたちが受けたダメージは大きい。特
2018/01/20 リンク