記 憶 の 社 会 史 ~全共闘運動とは何だったのか~ はじめに 今から30年以上も前、1968年から69年にかけてのわずかな期間ではあったが、全国的な規模で、大学紛争の嵐がとおり過ぎていった。その紛争のなかから、自然発生的に「全共闘」という大学当局や機動隊に対峙する学生の共闘集団がつくられた。 私はかねてから、戦後学生運動のなかで日本の政治・社会運動に光彩を放った「全共闘」とは何だったのか、という問題意識にとりつかれていた。その運動が、何によって展開したのか。行動様式、組織原理、その思想、背景とはどのようなものだったのか、ということである。また、政治党派(セクト)との関係はどのようなものであったのか。 しかし、全共闘を「新左翼」と呼んでいいのかどうかさえ分からなかった。 手さぐりのうちに次第に分かってきたのは、戦後、日本の資本主義が回復、高度化し
近年、日本でもヘイト・スピーチという言葉がしばしば聞かれるようになり、ヘイト・スピーチを規制するか否かについての議論がなされている。 ヘイト・スピーチという言葉は、1980年代のアメリカで使われるようになったものである(*1)が、その捉え方自体が多様であるため、定義は論者によって異なる(そのためか、議論が錯綜していることもある)。本稿では、さしあたり、「人種、民族、宗教、性別等にもとづく憎悪及び差別を正当化もしくは助長する表現」と定義する(*2)。 (*1)それ以前では、1920~1930年代は人種嫌悪(race hate)、1940年代は集団的名誉毀損(group libel)などと呼ばれていた。 (*2)本稿では、人種差別的ヘイト・スピーチについてのみ検討する。 現在のところ、日本ではヘイト・スピーチを規制する法は存在しない。名誉毀損罪(刑法230条)や侮辱罪(刑法231条)が適用でき
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